『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

「手塚治虫WORLD - 少年マンガ編」 著者:手塚治虫 監修・文:みなもと太郎

手塚治虫WORLD - 少年マンガ編、これがホントの最終回だ!】

発行:ゴマブックス株式会社 著者:手塚治虫 監修・文:みなもと太郎

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 手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『リボンの騎士』『どろろ』『ジャングル大帝』『W3』の6作品の雑誌初出時のオリジナル最終回を掲載、漫画家のみなもと太郎氏が解説する一冊。

鉄腕アトム』では「少年」の最終回の後「別冊少年マガジン」に掲載された外伝的な最終回「アトム今昔物語」小学館の「小学2年生」に掲載されたストーリーなどを多彩に取り上げ、『W3』では当時事件の発端となった『宇宙少年ソラン』の漫画を担当された宮腰義勝氏のコメントも紹介されていて、これはなかなか貴重な証言? また初出と現在購入可能な書籍も掲載されていて親切設計。漫画家であり、マンガ研究家としても活躍される「みなもと太郎」氏の博覧強記な解説が魅力の一冊です。

どろろ』は「ぬえの巻・後半」が収録されています。

 

 みなもと氏の『どろろ』解説に由れば、

『光』『どろろ』『ブラック・ジャック』の人物設定 ( ちょっとニヒルな主人公にまとわりつく少女という配置、凸凹コンビの面白さ ) が酷似していて、これら三作品は奇妙な三角関係にある。

 とのこと、

 これに関しては、三角関係がもう一つあるような気がします。

どろろ』『ブラック・ジャック』『ドン・ドラキュラ』

 これらの三作品は親子の関係性が感じられる作品だな、と以前から思っていまして、ピノコが長女のるみ子氏に似ているのは、あちこちで良く指摘されていますが、チョコラは手塚家の次女様に似ていると思いませんか?

 まあ、私見になるのでアレですが、

 どろろのモデルを手塚眞氏、ピノコをるみ子氏、チョコラを  …

 とすると、しっくりくる気がするのです。

 手塚先生が『ドン・ドラキュラ』は『ブラック・ジャック』のパスティーシュと語っておられたのも、

ピノコ、せんせいのおくたんよのさ ( お父さんのお嫁さんになるの )」

 から、

「チョコラ、わしを見捨てないでくれ」

 父はどんどんおじさんになり、娘は成長し、そんな娘を見てお父さんは ー

 という構図です。

 百鬼丸が少年期、BJが青年期、ドンドラキュラが中年以降と考えると面白いんですよ。「身体がバラバラ」になった時に百鬼丸もBJも取り戻すのに苦労するわけですが、ドン・ドラキュラは灰になっても、身体の一部になってもしつこく再生してくるんですよね。傷つきやすい少年・青年も、いつかカッコ悪くもしたたかな中年になり、いちいち傷ついてもいられないというわけでしょうか、

アニキもきっと50年後には、したたかな爺ぃになっているんじゃないかな、

どこか、物語の外で、

その時は、隣に気風が良くって口の悪い婆ぁがいるんでしょう、

 

 

どろろ』は、手塚眞氏自作の怪獣・妖怪図鑑『ババー百鬼』から先生が「四化入道」を着想したエピソードも含めて、私には眞氏の印象が強い作品なんです。

( 手塚先生の本棚には当時「鳥山石燕・図画百鬼夜行」が有り、それに掲載されていた「鉄鼠」も参考に「四化入道」のキャラクターが作られた )

 手塚眞氏とお父さん「手塚治虫」の『どろろ』に纏わるエピソードは、

【 虫ん坊:手塚マンガあの日あの時・第27回:妖怪ブームの荒波に挑んだ『どろろ』の挑戦 ‼ 】に詳しく掲載されておりますので是非。

 

 

秋田書店・秋田文庫「どろろ」3巻・解説「正統的な妖怪漫画」手塚眞

「ところで僕も自他ともに認める妖怪好きなのですが、これが父親の漫画のせいなのか、それとも息子の妖怪好きが父親に妖怪漫画を描かせたのか、今となっては分かりません。しかし、僕はわずかにこの漫画に貢献したようです。そのひとつは「どろろ」という題名。幼かった僕が「泥棒」のことを舌足らずに「どろろお」と呼んだのを父親はヒントにしたとか。これは、記憶に定かではないので真偽のほどは分かりません」

【 虫ん坊:手塚マンガあの日あの時・第27回 】

「『どろろ』について、家族の間でいまだに謎なのが「どろろ」の語源についてなんです。父はこれを「ぼくの子どもが、どろぼうのことを片言で “ どろろう ” といったことからできた」と書いているんですが、実際にそれを誰が言ったのかが分からないんですよ。ぼくが言ったのなら父は「子どもが」とは書かずに「息子が」って書くと思うんです。じゃあ親戚の子どもかっていうと、それも思い当たるような年齢の子はいないんです …」

と、タイトルの謎は、やはり謎のままの様子です。

昆虫つれづれ草

【昆虫つれづれ草 著:手塚治虫 小学館Lapita books】

 ー手塚治虫、虫の博物誌ー

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『昆虫つれづれ草』は手塚先生が旧制中学時代、御学友と一緒に昆虫についての小論をまとめて発行していた小冊子で、装丁・挿画、構成の巧みさとこだわりも凄いのですが、先生の早熟な文才と当時の ( 旧 制 ) 中学生の教養の高さに驚かされます。

 天才は早熟だと言いますが、これを1~2週間で清書、装丁・製本までやって仕上げていたそうなので、いやはや天才とは本当に恐ろしい ( 栴檀は双葉より芳しというやつでしょうか ) 漫画は「インセクター」と「ゼフィルス」の二編が収録。

 また、巻末に先生の旧制北野中学時代の同級生「林久男」さんインタビューが掲載。40数年ぶりに偶然書庫から発見された経緯、戦時下の記録も含めて、読みどころも多く、少年手塚治虫のみずみずしい感性に驚嘆せずにはいられません。

 序盤の「昆虫と神話」で記紀神話に登場する昆虫について論じたり、引用される文献も神話・古典・民話と多岐に渡っていて、手塚作品の豊かな物語のしっかりした土台はこの辺りにあるのでしょう。

amazonで安価になっていたので、虫が苦手じゃない方にはお勧めしておきます。( 2021年3月現在 )

 

 

 関西キー局で再放送された『手塚治虫』特集番組で拝見したのだと思うのですが、この林久男氏が、インタビューで、

「手塚君に心酔している友人がいて、いつも3~4人で遊んでいた」

「手塚君は女の子によく構われていた」

 と、当時の思い出を語っておられて、

 これを聞いて思い出したのがNHKの手塚治虫 ( 追悼?) 特集番組。

「同窓会で『この○○に登場するキャラクターの名前は私 ( の旧姓 ) でしょう? 珍しい名前だから偶然じゃないよね』 って手塚君に絡んで困らせちゃった、うふふ……」

 と、インタビューを受けて「手塚治虫」との思い出を語っていた上品なおばさま。

 

 手塚先生、小・中学生時代にモテていたのでは?

 ご本人の自覚は無かったと思いますが、

 先生の昔の写真を見ていても思うのですけれども、こんな小柄で可愛くて頭良くて面白いことを思いつく、ちょっと気弱な男子が居たら女子は構っちゃうと思うんですよ。

 モテモテとか、憧れの的とか、きゃーきゃー言われたじゃなくて、

「構われていた」

 と、言うのが先生には申し訳ないのですが、

 微笑ましくていいなあ、

 と、

 思う所存で御座います。

手塚治虫昆虫図鑑 

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手塚治虫昆虫図鑑 手塚治虫・小林準治 ( 解説・構成 ):著 講談社+α文庫】

 《 漫画の神様手塚治虫は稀代の昆虫好きだった。その膨大な作品群の中から、あるときはリアルに、またあるときは漫画的に昆虫が登場してくる140作品をセレクト。昆虫を通して、手塚ワールドの新たな魅力を発掘します 》 -BOOKデータベースより

 手塚作品を昆虫という切り口でまとめた一冊。

どろろ』もいくつか取り上げられているのでご紹介します。

 

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 マイマイオンバのモデルとなったドクガ科の「マイマイガ

 

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 どろろの昆虫食、トノサマバッタ?を焼いて食べているシーン。

 

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琵琶法師が仕込み杖で蠅を一刀両断する場面。

主役はハエでは無いのですが、

《 ハエの翅の付け根をよく見ると、細く棒状にくびれ、平均棍が描かれている。これが、ハエを描くうえで最も肝要な部分で、ハエの一番の特徴なのだ 》

と、紹介された正確な描写に手塚先生のこだわりが感じられます。

 

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 どろろ助六と「ミノムシ」の様にぶら下がる場面。

 地味な虫である「蓑虫」は手塚作品でも登場が少なく、登場してもミノムシモドキ、ギャグカットと紹介されていますが、

ー 枕草子・第41段 -

《 蓑虫いとあわれなり。鬼の生みたれば、親に似てこれもおそろしき心あらむとて、親のあやしき衣引き着せて「いま秋風吹かむをりぞ来むとする。待てよ」といひおきて、逃げて住にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになりぬれば「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴く、いみじうあはれなり 》

《 蓑虫はとても趣深く感じる。鬼の ( 生んだ ) 子なので、親に似て恐ろしい心を持つだろうと、( 親が ) 粗末な衣装を着せて「秋風が吹くころに来るので、それまで待っておれ」と言いおいて去ったことも知らず、風の音を聞き知って、八月になると「父よ、父よ ( あるいは乳よ )」と心細く鳴くのは、しみじみと不憫で趣き深い 》

 ・「蓑虫の声を聞きに来よ 草の庵」と、芭蕉の俳句が有名ですが「蓑虫」は秋の季語で、多くの俳人歌人が題材にしており「蓑虫」の異名「鬼の子」「鬼の捨子」こちらもよく題材になっています。

 ・蓑は異界との往復の装備で、祭りの来訪神は蓑をまとっていることが多く、秋田のナマハゲも蓑を装備して現れる。

 と「ミノムシ」に関するアレコレを列挙してみると、どろろ助六の浮浪児二人がミノムシ ( 鬼の捨て子 ) の恰好をしているのも偶然では無く、なんらかの暗喩があるのではないかと考えてしまいますね。

 

 また、手塚作品では「虫」「植物」「鳥」で季節の変化を表していることも多く「手塚治虫文庫・どろろ ( P17 )」でツバメが子育て中、( P61 ) でマルハナバチ (?) が描かれているのを見ると、アニキは5月中頃~6月下旬生まれの様ですね、牡牛座かふたご座? 

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 手塚治 “虫” 作品では「虫」が作品世界の暗喩、象徴に使われていることが多く、読書のお供にこの一冊を添えることで、より深く手塚ワールドに浸れるので、おすすめしておきます。架空の昆虫も含めて適当な描写が無く、特に先生がこよなく愛した「チョウ目鱗翅目」の章は充実していて楽しいです。

 

 本書のP226・オオホシオナガバチ

《「人間昆虫記」の主役、十村十枝子の生き方を見ると、ここにヒメバチを登場させたのは、さもありなんと思わせる。手塚治虫だけが持つセンスを感じさせる、恐ろしい象徴である 》

は、本書を読むまで気が付かなかったけれど、気が付くとゾクゾクする、象徴的な暗喩でした。小さくて地味なハチなのですが、その華奢なシルエットが女性的で寄生と言う習性とともに印象的な昆虫ですね。

表現規制と都市伝説

※怪談注意

 

 冬の北海道で踏切事故が発生、はねられた女子高生は上半身と下半身が完全に切断されたが、寒さの為に切断部分の血管が収縮し数分間生存していた。上半身は下半身を探して息絶えたという。この話を聞いた人のところには三日以内に下半身の無い女性の幽霊が現れ、逃げても時速150キロの高速で追いかけてくるので逃げられない。「地獄へ帰れ」などの追い払う呪文を唱えないと恐ろしい目に会う。

 多くの場合女性が事故にあうが、まれに男性とされるバージョンもある。

 切断面が凍結したため死亡まで時間がかかったとされるバージョンもある。

 

 突然何の話か? 表現規制と何の関係が? 

と、面食らわれたと思います …すみません。

 ご存知の方は「アレ」かな、と気が付かれたでしょうか、

 これは都市伝説「テケテケ」です。

 バリエーションが豊富で複数のバージョンが有り、線路事故後に上半身が見つからず、その後付近で高速で這いよる上半身だけの男あるいは女を目撃する。交通事故で自動車の下敷きになった人を引っ張り出そうとするが下半身が轢殺されており……

と、この二つが巷間に流布されている「テケテケ」誕生エピソードです。

 1990年代には人気の都市伝説で、児童たちの間で広く語られるうちに、学校バージョンも出現しました。

「一人の女の子(男の子)が忘れ物を取りに学校に戻ると、もう遅い学校の窓に人影が見える。人影は窓の縁に手を組んで外を見ており、忘れ物を取りに来た子は自分以外にも忘れ物を取りに来た子がいるのかと校舎に入って、その窓のある教室をのぞくとその子には下半身が無く、上半身だけでテケテケ追いかけてくる」

と言うのが学校怪談として有名なもので、こちらを聞いた方も多かったのではないかと思います。

 最初に紹介した「高速で追いかけてくる怪異」が都市伝説として広く巷間に流布した結果、怖い話が好きな小学生児童によって、出現場所が「学校」名前が「テケテケ」と設定され、さらに妖怪としてのキャラが立ち、人気の学校怪談として定着した様です。

  さて、1990年代には不安な世相を反映してかテケテケのような都市伝説が良く流行った時期で、民俗学者常光徹先生が児童書「学校怪談」を上梓、子供たちの心を掴んでヒット作となり、1995年には映画化されてシリーズとなりました。

 当然、当時流行の都市伝説であった「テケテケ」も映画「学校怪談」1~3に出演していますが、都市伝説の「テケテケ」描写とは大幅に異なり、映画中ではコメディタッチの妖怪となって登場。もはや下半身が無いという設定も無くなり、鎌を手に「あぐら」をかいて宙を飛んで登場します。

  何故かというと、

 1989年の「連続幼女殺人事件」以降、強くなった「表現の自主規制」の波を「テケテケ」もかぶってしまったんですね。

 「下半身を欠損」した少女の怪異、

 怪異であっても、都市伝説というファンタジーであっても、「人の形をして身体の一部を欠損」している時点でOUTです。

 あぐらをかいてしまっては、もはや「テケテケ」ではないと思うのですが、映画の中では高速で追いかけてくる妖怪という属性のみ残して登場しています。

 

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 本来はただの都市伝説、怪談話であったものが「場所」と「名前」を与えられて、よりはっきりとした怪異・妖怪となり、メディアに持ち上げられて知名度が全国区になり、「表現規制」というメディアの大人の事情で人としての形を失う…… と「テケテケ」の辿った歴史を考えるとなんだか物怪の哀れを覚えずにはいられませんが、

 その後、2009年にはそのものずばり「テケテケ」というB級ホラーとして復活、こちらでは本来の形に戻って下半身の無い少女として描写されています。

 

 以前より有った「表現の自主規制」「オタクパッシング」は1990年代に吹き荒れ猛威を振るいましたが、2000年代に入って徐々に(LGBT・ジェンダー問題など、新たな裾野は広がり、依然として有るものの) 緩和?されていると感じます。

 それが良いことなのか、如何なのかは時間の経過を待たなければならないのでしょうが……

  メディアで叩かれにくくなったのは、さらなる人権意識の高まりにより、身体の欠損も個性と捉え、もはや欠損を隠す必要は無くなった時代背景と、

 時代の変化とともに「オタクカルチャー」評価の上昇、幼少時からマンガ・アニメ・ゲームが豊かに有る環境で育った「オタク」がライフスタイルとなっているライトオタク層の増加、海外でのジャパニーズサブカルチャーの人気上昇、etc……

 まあ、ぶっちゃけてしまえば、この時代、オタクカルチャーは「ビックビジネスに成り得る」「お金になる」ことが、大きな理由のひとつなのでしょう。

 

 

※「表現の自主規制」とは、使用したとしても(法律化されてはいないので)処罰されないが、公共の利益に反したり、社会通念的に不適当と思われる表現を行政に拠らず、創作者個人・団体が自律的に規制することですが、各業界の暗黙の了解で成り立つ部分が多く、同調圧力の強いこの国では、法律などの外的規制で律せられるよりも、創作者個人が内的な価値観の変化を強いられることになり、裏を返せば「表現の自由」への侵害となる問題でもあります。

 

 

『AKIRA』と『it』の相似

 2019年、奇妙な同時多発を見て「長々オタクをやっていると面白いことがあるものだ」と感じたので、雑感を纏めてみます。

 まあ、単なる偶然で、その様に感じたのは私くらいでしょう。理屈と膏薬はどこにでもくっつくものですし、しばし由無しごとにお付き合いください。

 

 新アニメ『どろろ』が放映されていた2019年、二つの映画が話題になっていました。

 キングオブホラー “  スティーヴン・キング  ”  の『it -  “ それ ”  が見えたら、終わり』と、世界の “ 大友克洋 ” の『AKIRA』です。

 どちらも名作で、おすすめです。

『it - イット -』は映画も良いですが、小説を是非、御一読下さい。

 以下、あらすじと雑感を少々、結末に触れる部分もありますので、ネタバレが嫌な方は回れ右でお願い致します。

 

 

『it- “ それ ” が見えたら、終わり』

 主人公と、その仲間 “ ルーザー  (  負け犬  )  クラブ ” と自分たちで自嘲気味に名乗る子供たちは「いじめられっ子」で両親や成育歴に問題を抱えた被虐待児たちです。

 彼らと町に巣くって子供を喰う化け物ピエロ「ペニーワイズ」との戦いを書いたこの物語は、映画化されてヒット作となりました。モダンホラーですが、ビルディングスロマンとしての側面も優れており、それが高い評価につながったのでしょう。

 この作品の舞台となる「デリー」という町は怪物の災禍に定期的に見舞われており、町の人々はその難を逃れ生き延びた人々の子孫です。

 なので、事無かれ主義が徹底しており、子供たちが虐待されていても、住人が見て見ぬふりをするシーンが小説にも映画にも何度かあります。怪物は餌を得るためにこの町にかりそめの繁栄を与えており、町は豊かですが、怪物が目覚める23年ごとに子供たちは怪物に食われて犠牲になります。

 第一部では子供たちが戦って「ペニーワイズ」を撃退し、怪物は眠りにつきますが、退治することは出来ませんでした。

 第二部で大人になった彼らは、自身の持つ課題 ( 幼少期からの虐待による心的外傷 ) と対峙しながら困難を乗り越えて怪物を倒します。

 怪物が蜘蛛のような姿形で出産間近の母であったというのも何やら暗示的。

 そして、怪物が退治された後に繁栄していた町を崩壊が襲います。

 この辺の描写は容赦なく、かりそめの繁栄はかくも脆かったのだと思い知らされます。「ルーザークラブ」のメンバーは子供のころからの課題に蹴りを付け、成長し、それぞれの人生を歩みだします

 失うものもあり、得るものもある、いいエンディングでした。

 

 もう一つの作品『AKIRA』は大友克洋先生原作・監督の名作です。

 2019年は劇中で舞台となった年で、それを記念して、リバイバル上映、コンサートなど多くの催し物が開催されました。

 

 さて、この物語には老人のような容姿の “ ナンバーズ ” と呼ばれる子供たちがいます。親に売られ実験体となった彼らは「超能力」を持ちますが弱弱しい存在です。

 また、実年齢は中年ですが、実験体とされた為に “ 成長できなかった ” 彼らは老人にも子供にも見える容姿に描かれます。親に売られ、国家に食われている成長できなかった子供たちです。 -そして、物語の最後に都市は大崩壊を迎えます。

 子ども ( 未 来 ) を喰って繁栄している都市あるいは国家は崩壊してしまうのです。

 

 新アニメ『どろろ』も魔神が “ 百鬼丸 ” を喰って国が繁栄している設定でしたが、崩壊は訪れませんでした。最後にどろろが「金だよ」とか言うんですけど、武力や魔神の力よりまし ( ? ) かもしれませんが “ マネー ” がそれらにとって代わる世の中は本当に良い世の中なのか、疑問です。

 大国・大企業が文字通り “ 人の尊厳、自由 ” を奪って、経済の力でねじ伏せているのを見ると「金が力」も明るい未来に結び付くとは考え辛い気がします。

 

  まあ、「Not for me」案件なのですが、

 私は物語の筋の悪さは否めないし、創作者としてのセンスも?だと思いました。

 

 『子供たちを犠牲にしてかりそめの繁栄を得ていた都市の崩壊』

 2019年に、これら3つの作品が同時多発したのは面白い偶然だと思いませんか?

 

 

とんぼの本『手塚治虫:原画の秘密』

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とんぼの本 『手塚治虫 原画の秘密』

発行:新潮社 著:手塚プロダクション・森晴路

『切り貼り、描き直し、ボツ…「漫画の神様」の苦闘の痕跡は、すべて「原画」に刻まれていた。門外不出の原画・下描き類がいま語る、手塚漫画の秘密とは?』

 

 原画・カラー原画を多数収録。

 切り貼り、修正、書き直し、没原稿など制作過程が分かる様に写真で詳細に掲載。単行本未収録原稿も多数掲載があり『どろろ』では、

 冒険王1969年9月号、単行本化でカットされた「醍醐景光・縫の方」の会話シーン。

 冒険王1969年5月号付録から単行本化の際に設定変更の為、全面カットされた『冒険王版』が一部掲載(「百鬼丸」の魔神に奪われた身体48ケ所で作られた人間が「どろろ」で「どろろ」を殺して体を取り戻すか「百鬼丸」は悩み苦しむという設定があったがカットされた)

 週刊少年サンデー1968年4月21日号、単行本化でカットされた見開きタイトルページ。

  が、収録されています。

 その他、手塚作品のシノプス・設定画・下書きなども多数紹介され、幻の『燈台鬼』の未発表ボツネームも掲載されていて、ファンには親切設計 “ ありがとう新潮社さん ” な一冊。

 

 新潮社さん “ とんぼの本 ”  で「原画の秘密」シリーズを続けて下さらないかしら、手塚プロダクション監修の「お蔵出し」を是非、少年マンガ編・青年マンガ編と、カテゴリー毎に分けて、大判サイズで …  ( 強 欲 )

『金目童子』 著:高橋葉介

 『金目童子』 著:高橋葉介

 朝日ソノラマ:ハロウィンコミックス 

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【あらすじ】

 出産時に母と死別した「金目童子」は孤児として拾われる。しかし、彼を拾った養父母は人でなしで虐待されて育つことになる。養父母の折檻で両目を失い彷徨っていた童子は、山中で母の霊と出会う。そして、母に神通力を宿す目を与えられ、実の父を探すように助言される。

 こうして不思議な金の目をもつ「金目童子」はあてどない旅に出る。道中出会った少女「銀姫」と僧侶「紫銅」が仲間となり、三人の妖怪退治の旅は賑やかに続く。

 

 怪奇と幻想、奇妙な諧謔味。

 独特の作風で知られる高橋葉介先生のコメディ「妖怪退治道中物語」少年が主人公の妖怪退治もの。

 道中、仲間になる「銀姫」は妖怪「単眼鬼」を山に封じるため鎮魂の鈴を鳴らしていた少女なのですが、この「単眼鬼」はふもとの村に福をもたらすために生贄にされた子供たちの怨念の集合体で…

 とか、

 脇役に、かっこいい、腕っぷしが強いお坊さん、

 最期の敵が〇〇とか、

 どこか『どろろ』を思わせる妖怪退治譚。

 最期は大団円で綺麗にまとまっていますが、この設定とキャラクターで珍道中をもう少し長く見たかったかな。

『夢幻紳士-冒険活劇編-』が好きな方にはオススメ、

 

 

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『猟鬼博士』に収録されている『影一号指令』の本郷さんも蟹頭で「あのキャラクター」に似ているのは気のせいだと思うのですが…

他にも『影男』に四肢を武器や機械で補填したダークヒーローが登場したりします。

街場の現代思想 -手塚治虫の天才性ー

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【 街場の現代思想 】 2004年7月6日発行:NTT出版 著:内田樹

 「あとがき」、あるいは「生きることの愉しさ」について P227 -より

手塚治虫が天才であることに異論のある人はいない。だが、彼が「どのように」天才であるかについてはさまざまな解釈があって必ずしも意見は一致しない。私は手塚の天才性はなによりもその「さかさまのストーリーテリング」にあると考えている。手塚は重大な問題については、ほとんどつねに「現象の図と地を入れ替えて考える」人だったからである》《ふつうの人間に保証されているはずの基礎的なリソースをすべてそぎ落としたあとになお「残るもの」があり、それを拠点として人間がおのれの存在理由を構築できることがあるとすれば、それこそが人間性を担保する「最後のもの」に違いない。それは何か?》

 『鉄腕アトム』のテーマは「人間性とは何か」という問いかけだ。何が人を人たらしめているのかという問いかけを物語として昇華するために、手塚治虫は「人ならざるもの」、ロボットを主人公にした、それこそが手塚治虫の天才性であると内田氏はいう。答えが無い困難な問いに、類まれなる想像力で挑み続けた天才、それが手塚治虫であると、

  大塚英志氏の『アトムの命題』は「親に呪われ、その生を否定された子供はどのように成長すればよいのか?」という答えのない問いかけを含んでいる。

 「あとがき」、あるいは「生きることの愉しさ」について P227 -より

《「死んだ少年の代理表象」であるところの「成長しないロボット」が、彼にとっての創造主=神である天馬博士に「無価値なもの」とレッテルを貼られ棄てられるという、これ以上はない絶望的状況に投じられたところから手塚は物語を始めた。自分が自分であることの意味を支えてくれる一切の条件を奪われたものは、その全的喪失から、いったい何を足がかりとして自分が存在することの意味と尊厳を奪還してゆくことができるのか?手塚はそう問いを立てたのである》

  これは、こうも言い換えられるだろうか、

どろろ』という物語は「親に呪われ、生を奪われた」子供が、子供にとっての「しあわせの国」である「両親」に捨てられ流されるという、これ以上はない絶望的状況に投じられたところから物語が始まる。全的喪失を纏ったものの成長とは何か?

  本来ならば子供は幼児的万能感を満たされた後に母子分離を果たし、母と自分は違う人間であると気が付いて「しあわせの国」を失う、

 成長とは一種の「失楽園」だ。

 しかし、失うものすらも持ちえぬ「親に呪われた子供」はどう成長すればいいのか?

 その絶望的状況から『どろろ』の百鬼丸の物語は始まる、

 欠乏は物語を動かすエンジンで「大きな欠乏」は物語を動かす大きな力になる。

 とはいえ、この全的喪失は大きすぎないか?

 エンジンがピーキーすぎて車体がどうにかなる危険を胎んではいないか?

 しかも天才はさらに仕掛けてくる、

 もう一人の主人公も「大きな欠乏」を抱えている。

 彼女にとって「しあわせの国」であった両親は、彼女に過剰な期待を寄せて依存する。彼女に掛けられた「呪い」は両親への思慕の情が大きければ大きいほど、両親の期待に添いたいと「彼女を縛って」しまうものだから、

 然りとて、この二人の主人公は残酷な戦国の世を彷徨いながら、他者に依存することなく「生 ( 成長) 」への道を、あがいて進むのだ。

「おいらだって人間だ」と、

 

どろろ』に限らず、手塚作品では「人間性とは何か」「人に成るとは何か」

が問いかけられていることが多く、特に『アトムの命題』を強く背負ったキャラクターが出てくる作品にはその傾向が強い。

 答えの無い問いかけは「考え続けるしかない」

  読者に、

「これはマンガだけれど、マンガと言う手法で僕は君たちにメッセージを送っています」と、問いかけ続けた天才のメッセージを少しでも受けとることが出来たら ー

 ー 思考し続けるしかない。

 答えはいつも「時空不連続体をすり抜けて」しまうのだけれど、追いかけ続けたい。

  そして、

 居住まいを正し背筋を伸ばして、臆する気持ちを抑えながら、

「やあ、先生、この作品について私はこう思うんですけれど …」

  このブログはそんな私的なブログです。

 内容のアレコレはいいっこなしで、よしなに

 

 最後に満面の笑顔で、

「せんせい、おたんじょうびおめでとうございます!」

どろろ草紙縁起絵巻

 

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 【 どろろ草紙縁起絵巻 1996年6月22日発刊 フィルムアート社 武村知子

  帯に、

手塚治虫原作、幻の怪奇TVアニメ『どろろ』― 27年後のいま、その封印をついにこじ開ける ホゲタラ・メランコリック・メタフィクション ― 480枚 》

 と、有る様に、

 独特の文体で語られる “ ホゲタラ・メランコリック・メタフィクション ” です。

 “メタフィクション ” とは、それが作話であるということを意図的、あるいは自己言及的に読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する作劇法で、「劇中劇 ( 作中作 )」「作品の創作者やスタッフが作品内に出演するもの」「登場人物が作品から逸脱して動き出すもの」等があります。この『どろろ草紙縁起絵巻』は「登場人物が作品から逸脱して動き出す」に該当するでしょうか、

 本書後半には “ 原作:百鬼丸 ” “ 旧アニメ:百鬼丸 ” “ ブラックジャック ” “ 百鬼博士 ” と多数のキャラクターが登場し、脚本形式で『どろろ』に関連する作品を考察し語って ( 愚痴って? ) います。

 また、

メタフィクション」とは “ 第四障壁の突破 ” であり「フィクション」が「ノンフィクション」を「フィクション」に見立てる表現方法。転じて、読者 ( 観客 ) を巻き込んで言及する皮肉・婉曲表現を言う、ー 書いていてなんだか混乱しますが、

 この「第四障壁」で隔てられた “ 現実 ” と “ 作品世界 ” は、お互いに影響を与えることが出来ない関係ですが、作中でフィクション側から現実への干渉が演出手法として行われることがあり、このような演出を「第四の壁を破る」と呼称します。( 例えば、登場人物・演者が突然、読者・観客に話しかけるなどの演出 )  

 なので、本書は単なる「どろろ解説本」ではなく物語として機能しています。「旧アニメ・どろろ」の資料も多く掲載され、博覧強記な著者の注釈も魅力。

 メタフィクションの手法で観客を揺さぶり干渉し続けてきた寺山修司作品のような読後感も有り、読み手を選ぶ一冊だと思いますがオススメです。

 手塚先生も「メタ」的な表現形式を作品で多用していたので “ メタフィクション ” はメッセージ性の強い手塚作品を語るのに向いている手法だなあ と、再読して思いました。

 < どろろ草紙縁起絵巻、P15 - “ 百鬼丸草紙縁起 ” > より

安保闘争学園紛争の熱さめやらぬ六〇年代末の世に盥に乗って川を下った百鬼丸が、本懐とげたあかつきにぬくぬくと「出世」して国守におさまるはずもなかろうというものだが、それはそれ、御伽草紙というよりむしろ今昔物語ふうになってしまった<百鬼丸草紙>は、「こうはならなかった」百鬼丸の物語、裏百鬼であり、いわば「どうすれば二人の主人公を向かい合わせにしてやれるか」という問題を解くためにあえて引いた、いずれ不要になるはずの補助線であった。この問題をぜひとも解きたく、かつ解答はかならず「画面から背を向けて去ってゆく百鬼丸とこちらを向いて駆けているどろろとは、実は向かい合っている」というものでなければならなかった。そうでないと、桐の箱のなかで背中合わせのかれらが居心地わるげにカタコトと立てる音が次第に五山鳴動を呼んでわたしを地に打ち倒すからである。いわばこの疑似草紙は、つくりもののくせにひとを喰らおうとするこの作品、<どろろ>という化けものを退治するためのはかりごとであった 》

 と、

 武村知子氏の「どうすれば二人の主人公を向かい合わせにしてやれるか」という思いの昇華、二次創作として捉えると本書の内容はしっくりくるような気がします。

 物語の外へ旅立った “ 百鬼丸 ” への「魂呼ばい」

 そんな一冊です。

 

 

 

どろろのあゆみ【23】 時系列まとめ

1947:手塚治虫新宝島』でデビュー

  赤本マンガが大人気になるが、同時にマンガパッシングも始まる。

1950:岡山県で「図書による青少年の保護育成に関する条例」制定 

 この頃より全国で「悪書追放運動」が活発に、

1954:警視庁「不良出版物」も取り締まり対象に、「赤坂少年母の会」が「不良雑誌・ カストリ雑誌ゾッキ本、成人向けの赤本」を焼却

 手塚先生は、当時頻繁に開催されていた“児童漫画を追求する集会”にパネリストとして壇上に立ち糾弾された。

  暴力的表現を理由に低俗マンガ排斥運動は貸本漫画に掲載された劇画に波及、

 赤本・貸本がこの流れで衰退、1960年代に入り、楳図かずお水木しげる等、貸本ブームを牽引していた作家が週刊漫画誌へ移動。

 

1959:6月~1959:12月 漫画王で『光』連載

1961:「虫プロ」の前身である「手塚治虫プロダクション動画部」設立

1962:1月「株式会社・虫プロダクション」に改称し正式に発足

1963:01/01『鉄腕アトム』フジテレビ系列にて放送開始、大ヒットとなる

1964:11/11~1967:01/22 サンケイ新聞社『ハトよ天まで』連載

1965:08/29『オバケのQ太郎』放送開始、社会現象ともいえる「オバQブーム」に、

 その後も『パーマン』『怪物くん』とヒット作が続き、テレビマンガにもギャグマンガブームが到来

1966:『ウルトラQ』放送開始、次作品『ウルトラマン』も大ヒットし特撮ブームに

1968:01/03~『ゲゲゲの鬼太郎』放映開始、妖怪・怪奇漫画がブームに

1966:『バンパイヤ』連載開始 COMで『火の鳥』連載開始

1967:08/27~1968:07/21 少年サンデー『どろろ・第一部』連載

 

 週刊少年サンデーどろろ」の連載は打ち切り終了?

 打ち切り理由は「不人気であった」「作品が生臭くなり、手塚治虫の執筆意欲が低下した」「差別用語問題」等、と言われているが、

①新しい手塚マンガへの厳しい批評(子供には人気があった)

②この時期の手塚治虫の多忙さ

が近因と考える。

差別用語」「身体表現」に関しては、同時期の漫画・雑誌・新聞にも現在の基準で言えば掲載できない文言・表現が使用されており、この時期は人権意識・配慮が現在より希薄で、これらの表現が問題視されていなかった様子が伺える。また、「差別用語問題」が浮上しての連載終了で有ったなら、後のアニメ化企画・冒険王での第二部は無かったと考えられるので「どろろ週刊少年サンデー連載終了理由に(この時点では)「差別用語」は絡んでいなかったのでは無いか?

 

1968:01/29 旧アニメ『どろろパイロットフィルム完成

1968:03/31 負債返却の為、10年間フジテレビに「虫プロ」作品の権利譲渡

 この頃より「虫プロ」の経営は困難に、

1968:漫画制作・管理のための別会社「手塚プロダクション」設立

1968:04/28~12/22 週刊少年キング『ノーマン』連載

1968:10/03~1969:09/24アニメ『佐武と市捕物控』放送

1969:01/01~06/29 週刊少年キング『鬼丸大将』連載

1969:6月号 「まんが王」手塚プロダクション制作 セル画マンガ『どろろ』掲載

1969:3月号 「少年ブック」に翌月から、新連載『どろろ:原作・手塚治虫 漫画・大野ゆたか』の予告が掲載、しかし「少年ブック」は休刊となり連載は実現せず

 

1969:01/18・19「東大安田講堂事件」警視庁により封鎖解除

 これ以降、全国に波及した学生運動は収束、1970年代に終焉を迎える。

 学生運動が盛んであった頃“右手に(朝日)ジャーナル、左手に(週刊少年)マガジン”のフレーズが生まれるほどマンガ週刊誌は若者に支持されていた。

 1968年には「週刊少年ジャンプ」が創刊される。

 “W3事件”後、人気作『8マン』連載中止『ハリスの旋風』長期休載と厳しい状況が続いた「少年マガジン」は貸本劇画で活躍していた、さいとうたかお水木しげる等を積極的に登用、この劇画路線は大成功を収め、マガジンは上記にある様に青年層の支持を得た。

 

1969:04/06~09/28 旧アニメ『どろろ』フジテレビ系列で放送

 (後に『どろろと百鬼丸』に改題)

どろろ』放映開始となるも、北陸では放送中止となるなど開始早々波乱含み、

 再放送された地域もあり? 表現問題、人権意識に地域格差があった模様?

1969:04/06~09/28『カムイ外伝』フジテレビ系列で放送

1969:冒険王5月~10月号『どろろ・第二部』連載

1969:朝日ソノラマ辻真先版、小説『どろろ』刊行

 

どろろ』の「差別用語」「身体表現」へのクレームはアニメ放送で『どろろ』という作品の一般認知が進んだ結果と考えられる。

 また、1970年代に入り学生運動は終焉を迎えるが、「大衆の異議申し立て運動」の流れは人権・ウーマンリブなどの運動に受け継がれた、この流れによる「人権意識の高まり」もクレームの遠因となったか?

 1969年前後からTVマンガをスポンサーしていた大手製菓会社が高価格帯商品(チョコレートなど)を児童より購買力があるハイティーンに向けてアピールしたかった事情から、TVマンガがアイドル番組に切り替わり、児童の人気は高かったもののTVマンガの制作数は減少、第一次アニメブームで潤っていた制作会社に冬の時代が訪れた。

 

1970:08/27付・朝日新聞に「少年雑誌またヤリ玉」と記事が掲載

 少年チャンピオン「やけっぱちのマリア・手塚治虫少年キング「アポロの歌・手塚治虫少年マガジン「アシュラ・ジョージ秋山」「キッカイくん・永井豪」などが、福岡で有害図書指定・青少年への販売禁止に、

 1971:手塚治虫虫プロ」社長退任

1972:04/01~09/30 『海のトリトン富野由悠季監督 放映

1973:7月・虫プロ商事倒産 同年11/01虫プロ倒産

1973:11/19~ 少年チャンピオンブラックジャック』連載開始

1974:10/06~『宇宙戦艦ヤマト』放送開始

1974:06/10~ ビッグコミック『シュマリ』連載開始

 1976:年末『ブラックジャック』にロボトミーを美化・正当化した描写があるとして「青い芝の会」等が抗議文を秋田書店に送付、翌年2月10日付の全国紙に謝罪文掲載

 1977:12/01「虫プロ新社」営業開始

1977:08/06 映画『宇宙戦艦ヤマト』大ヒット、

1978:06/24 『スターウォーズ』日本封切、SFブームに、

1978:「アニメージュ創刊」この頃よりアニメ誌の創刊ラッシュ

1970年代後半~第二次アニメブームに、

 この時期より、漫画・アニメファンの年齢層が上昇、公式なFC以外に、ファンによる非公式アニメFCも多数設立。ハイティーンに向けた作品・商品・情報誌も増加。

 

1978:03/07ランデヴー「どろろ」特集

1978:04/30「どろろ」アニメ選集刊行

1979:ライリー商会「どろろ」8㎜発売

1980:03/05「ペーパームーンコミックス・どろろ・ばんもんの巻」刊行

1980:8月「どろろFC」発足

 この辺りの『どろろ』関連書籍・商品発売は熱心なファンのリクエストとファンの年齢が上昇、商品の購買力が上がったことも理由の一つに挙げられるだろうか、

 

1982:『ブレードランナー』映画公開

1983:07/15ニンテンドーファミコン」発売

1984:にっかつビデオフィルムズより『どろろ』VTR上下巻、発売

1986:05/27『ドラゴンクエスト』発売、大ヒット

1987:『魍魎戦記MADARA』連載開始

 

1987~1991“バブル景気”

 

1988:「黒人差別をなくす会」の抗議により『ちびくろサンボ』絶版

 (原書が出されたイギリス、問題発祥の地であるアメリカでは絶版になっていない)

1990年:「黒人差別をなくす会」各出版社に抗議文を送付。

 その中に『ジャングル大帝』など手塚作品があり、「手塚治虫漫画全集」をはじめとする「黒人」が描かれている作品を収録した出版物の出版・販売を一時停止。「手塚治虫漫画全集」は約1年間の停止期間を経て1992年3月から「読者の皆様へ」と釈明文を掲載し出版・販売再開となった。

1990年7月:「黒人」をイメージさせるオバケが登場する『オバケのQ太郎』に抗議、同作品は回収・絶版となる。同時期『ジャングル黒べえ』も回収・絶版に、

 

1988:大友克洋監督 映画『AKIRA』公開

1988:01/01 JICC出版『どろろゲームブック発売

1989:01/10 クエイザーソフト『どろろ-地獄絵巻の章-』PCゲーム版発売

 

1989:02/09「手塚治虫」逝去

 

1989:07/23「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」犯人逮捕

「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」発生以前から、最高裁が青少年条例により有害と指定された「図書」販売規制を合憲と判決。80年代末までに長野県を除く全都道府県で青少年条例が制定されるなど、創作物を取り巻く環境は厳しい状況にあった。

 また、「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の発生を受けて、1990年の和歌山県住民運動を発端とする「有害コミック規制運動」の動きは全国に波及、この時期より「青少年に有害なコンテンツ」の追放運動は急速に進み、青少年に有害と指定された創作物の販売規制は強化されていく。

1991:8月「コミケ幕張メッセ追放事件」

1991:出倫協が「成年コミック」マークの制定「コミック特別委員会」を設置、自民党有志議員がポルノコミック対策議連を結成、法規制を示唆

 これらの動きを受けて、出版大手三社が指定コミックスを出荷停止、絶版、回収。 

 1980年代後半から1990年代前半にかけては“オタクパッシング”も含めて「創作物とそれを愛する人々」の受難の時代で、作家(同人作家も含む)・出版社・書店・制作プロダクション等、が表現規制・クレーム対策に追われ戦々恐々としていた様子が伺える。

 

1990:07/20~09/02「東京国立近代美術館」で「手塚治虫展」開催、

 国内国立美術館で漫画家初の美術展

1991:テアトル池袋「手塚治虫劇場」開催

 テアトル池袋で手塚アニメ一挙上映、パイロットフィルム含む「どろろ」も上映。

1992:「手塚治虫のガラスの地球を救え」サンシャインシティで開催

1993:「私のアトム展」ラフォーレ原宿で開催

 “手塚るみ子氏”が手塚作品を初プロデュース。多くのアーティストが参加し“ぴあ”他、多くの雑誌で取り上げられる。

1994:没後5年、宝塚市に「手塚治虫記念館」オープン

 開館に当たり、同年3月から5月「宝塚歌劇団花組公演」がミュージカル「ブラックジャック-危険な賭け-」ショー「火の鳥」を上演

1994:池袋ACTシアター・虫プロ作品と旧アニメ『どろろ』オールナイト上映

 「手塚治虫」逝去後、催し物・美術展・記念館のオープンなど「手塚治虫」関連ニュースが多くの媒体で流れ、再発見・再評価が進む。

 この時期、サブカル誌で『どろろ』関連の記事増加?

 

1995「神戸児童殺傷事件」

 この事件時には「ゲーム」「映像作品」が原因と見做されかねない報道が目立つ、

 

1995:『新世紀エヴァンゲリオン』放映

1995:「Windows95Microsoftよりリリース、この時期よりインターネット普及進む

1996:08/24付・米国ビルボード攻殻機動隊-GHOST IN THE SHELL-』売上1位

1996:06/22 フィルムアート社「どろろ草紙縁起絵巻」武村知子 発刊

1996:05/02~05/06 神ひろし企画オフィス公演「ミュージカル・どろろ」公演

1998:01/25 『どろろ』LDボックス発売

1997:手塚治虫文化賞、創設

手塚治虫の業績を記念して“マンガ文化の健全な発展”を目的に創設」

 

1999:「児童ポルノ禁止法」成立、

 書店による過剰な自粛が記事になり大手新聞に掲載される。

 

2000:06/21 東映ビデオより『どろろ』『どろろと百鬼丸』VTR・全6巻、発売

2001:07/15 学習研究社 鳥海尽三版・小説『どろろ』全3巻 刊行

2002:11/21 コロンビア『どろろ』DVDボックス発売

 

ウィル・アイズナーコミックインダストリーアワード(Will Eisner Comic Industry Awards)を手塚作品が受賞

2002:「手塚治虫」審査員による選出で“コミックの殿堂”入り

2004:『ブッダ』最優秀国際作品賞、受賞

2009:『どろろ』最優秀日本作品賞、受賞

2014:『地帝国の怪人』最優秀アジア作品賞、受賞

海外より逆輸入の形で「手塚治虫」再評価が進んだか?

 

2003:4月7日「鉄腕アトム」誕生日

2003:「ASTROBOY-鉄腕アトム」フジテレビ系で放送開始

 2003年前後は“アトムイヤー”で「手塚治虫」関連のリメイク・市場活動が活発で、関連商品も多く発売された。

2003:05/14 、SEGAが E3(例年6月に開催される世界最大のゲームショウ)でPS2ゲーム『DORORO』の製作発表、この時点で日本国内発売のアナウンスは無し?

2004:5月、日経BP社から「日経キャラクターズ」が創刊

 2000年代に入り“ジャパニーズポップカルチャー”としてオタクコンテンツの市場展開が活発に、

 

2004:06/16~06/23 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸」公演

2004:09/09、SEGAよりPS2ゲーム『どろろ』発売

2004:09/21 PS2ゲーム『どろろ』北米で発売

英題は『 -Blood will Tell- DORORO 』 翌年06/05に欧州でリリース

2005:11月 東宝が実写映画『どろろ』の制作発表

2006:12/30 NAKA雅MURA版、小説『どろろ』刊行

2007:01/26 全国東宝系劇場にて映画『どろろ』公開

2007:05/22 ヤングチャンピオンどろろ梵』連載

2009:07/04~07/05 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸厚木市文化会館公演

2009:07/08~07/12 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸紀伊国屋サザンシアター公演

2010:9月より「osamu moet moso (オサム・モエット・モッソ)」全国巡回

 コミケコミティアにも参加

2012:02/23~02/27 Bunkamuraオーチャードホール「テヅカ-Tezuka-」公演

 世界的な振付師シディ・ラルビ・シェルカウイによるダンスステージ、「どろろ」も劇中に登場

2012:03/06“シネマトゥディ”に「手塚治虫の名作“どろろ”のハリウッド映画化企画が進行中」と記事が掲載、この時点ではジャスティン・リン監督とのオプション契約を結んだ段階

2012:11/16読み切りで週間漫画ゴラク日本文芸社に『どろろとえん魔くん』掲載

2013:02/22~20/14:03/07『どろろとえん魔くん』連載

2018:10月「テヅコミ」vol.1~18号 カネコアツシ『サーチアンドデストロイ』連載

2018:「チャンピオンRED」12月号より士貴智志どろろと百鬼丸伝』連載開始

2019:03/07~03/17 舞台「どろろ2.5次元 サンシャイン劇場

         他、大阪・福岡・三重で公演

2019:03/27~03/31 人形劇団ひとみ座、人形劇『どろろ』公演

2019:05/11~05/19 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸座・高円寺1公演

2019:06/14 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸千葉市美浜文化ホール公演

2019:06/16 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸厚木市文化会館公演

2019:深夜アニメ「どろろ」TOKYO-MX・BS11で放送、Amazonプライム配信

 2018年頃より『どろろ』リメイク漫画・新アニメ・舞台…と、周辺の市場展開が活発化しているのは「手塚治虫生誕90周年」であったことが近因か?

(2012年のハリウッド契約が切れ、版権が戻って来たのだろうか?)

 

2022:04/09【 みきくらのかい 】梶裕貴×三木眞一郎 第五回公演リーディングにて

「新浄瑠璃 百鬼丸」上演 2022年4月9日(土)14:00/17:30 日野市民会館

2022:12『どろろ Re:Verse』
どろろ」を現代アクションファンタジー・フルカラー縦スクロール漫画としてリメイク、2022年12月より日本では『ピッコマ』、韓国では『kakaopage』で日韓同時に配信開始。韓国スタジオ・テラピン制作で、脚本・絵コンテはイ・ドギョン氏、絵はBean氏が担当。