『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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どろろのあゆみ【7】

 昭和50~60年代にかけて
どろろ』に関して流布されている風説が幾つかあり、当時から気になっていたので、
私見になりますが、推理・考察も含めてご紹介したいと思います。

「 “ どろろ ” は不人気の為、打ち切られた」「封印作品であった」
原作マンガ・旧アニメともに、今もネットも含めて、あちこちで語られる噂です。
しかし、FC活動、アニメ誌での取り扱い、当時の商品展開を見ていると不人気作品とは思えません。
 私が『どろろ』を一人のファンとして追いかけていたからかもしれませんが、
キャラクター商品や、各アニメ誌に掲載される『どろろ』関連の記事を頻繁に見かけていたこともあり、再放送が難しいことで「幻作品」ではあったが、熱心なファンは多く存在する「長く愛されている作品」と言う方が「封印作品」と言うより、しっくりくる様な気がします。
 実際に『どろろFC』の会員数は最盛時には3桁に上り、創立時の昭和55年 ( 1980 ) には本放送から10年以上が経ち、プロダクション主導のFCでは無いことを合わせて考えると凄い会員数だと思います。
 また、1970年代以降のアニメ誌のお便りコーナーでも『どろろ』のファンアートやコスプレ写真を見ることがあり、本放送から10年以上たっても新しいファンを獲得していた印象です。
( 1980年代のコミックマーケット百鬼丸とカムイが仲良く歩いているのを見たことがあります、当時は男性レイヤーさんによる『百鬼丸』が多かった印象です。アニメ誌でもコスプレ投稿写真を見かけました )

 もう一つの噂話は、
「『どろろ』のビデオソフトが発売されないのは手塚先生が『どろろ』を映像商品化しないように言っていたから」
 この噂は「にっかつビデオフィルムズ」からビデオソフトが発売される前に聞いたので、昭和56年~58年頃の噂だったと思います。
 この噂に関しては当時から懐疑的な印象がありました。
 と言うのも、昭和54年にすでに8㎜フィルムが販売されており、
「ビデオソフトがダメなら、そもそも8㎜フィルムの販売も駄目なのでは ー」と当時の私は感じていたので、
 その後は「にっかつビデオソフト・全2巻」を皮切りに10年ほどの時を経て、ビデオソフト・全6巻、LD、DVD、と定期的に映像商品が発売されています。

 この噂の元となったのは、
ユリイカ』昭和56年10月27日発行に掲載された
【 対話・二十世紀の印象・手塚マンガの方法意識 】手塚治虫・巖谷國武士 
ではないか? と思いましたので、気になった箇所を抜粋してみます。

 

巖谷「そこがすごいってことを僕は繰り返し書いてるんですが(笑)。
そう言えば畸形の出てこないマンガってないですね、手塚マンガには」
手塚「いや、最近はなるべく避けてはいるんですけどね ( 笑 )」
巖谷「まあ、ちょっとリアリズム的にやっておられるけど」
手塚「いやぁ、危ないからですよ」
巖谷「危ないですか」
手塚「危ないですよ、やっぱり恐いですね」
巖谷「うーん、とすると、またそういう時代になりつつある ……」
手塚「十年ぐらい前からもう大変になって来てますね。
だから『どろろ』のアニメはあれはもう幻の映画で、絶対にリピートできないですよ。『どろろ』とか、『バンパイヤ』とかね」
巖谷「『バンパイヤ』もダメですか」
手塚「あれも一種の畸形人間ですからね」
巖谷「あれは名作だと思うんだけど」

 

 上記の   “ 絶対にリピートできない  … ”  の箇所が巷間に流布された結果、
 噂話の常で、伝言ゲームの拡大解釈もあり、
「『どろろ』のビデオソフトが発売されないのは手塚先生が『どろろ』を映像商品化しないように言っていたから」
と、変化したのではないかと思います。
 同様の噂話で、先生が鬼籍に入られてから、
「遺言になっているからDVD化はあり得ない」と言うものもありました。

ーしかし、旧アニメに関しては、
虫プロ斗争ニュース』に、
「昭和43年 ( 1968 ) 3月31日 1億5千万円の負債返却の為、アトム・ジャングル大帝リボンの騎士他10作品を10年間、全権利をフジテレビに譲渡」

と、書かれており、権利は倒産時に手塚先生の手を離れていたので、これも根拠のない噂であったようです。

 このような噂話が聞かれるのも、『どろろ』と言う作品が注目され、人々の興味を引く作品だったことの証左のような気がします。