『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

どろろのあゆみ【13】1994年:池袋ミニシアター上映

 1994年、池袋ACTシアターで旧虫プロ作品の上映があり、その中で幻作品として『どろろ』26話も上映。後に『どろろ』のみ一挙上映されました。
「ぴあ」などの媒体で宣伝されたこともあり、第一回の上映には劇場前が長蛇の列となりました。館内は通路も立錐の余地が無いほど立ち見客で埋まり、虫プロ作品と『どろろ』の人気の高さが伺える上映企画でした。

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 上映前に館長さん ( ? ) の御挨拶があり、
「この作品を上映するとひどい差別作品を上映したといって抗議が来ることがあるので~」云々との事でしたが、要約すると「滅多に見られない貴重な作品を上映します。付近には飲食店・民家もあるので深夜・早朝に騒がないで下さい、抗議が来るからね」という注意喚起だったような … ( 記憶曖昧 )
 当時の印象・感想としては、
「本当に危険な作品だったら “ ぴあ ” に掲載できないし、チラシも配布できないのでは …」だったので、お察しください。
 となりの女性客お二人は「芝居小屋の口上みたいだったねー」「あんな、おじさんいるよね」と、館長さんの挨拶も楽しかったご様子でした。
 その後2回目、3回目と上映時の人出は落ち着き、3回目には立ち見客もいませんでしたが、これは消防の指導が入ったのかも… ( … と思うほど、ばれたら消防署に絶対叱られる、と言うくらい立錐の余地も無く立ち見でした。都内の通勤電車もかくやの “ きゅうきゅう ” で、小さなミニシアターでしたし、空調があっても大変な状態でした )

 

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 第一回上映後には、リリーフランキー氏が「百鬼丸」を描いて「ぴあ」に寄稿。

 

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 また、1996年6月発行「どろろ草紙縁起絵巻・武村知子著」に、
百鬼丸縁起:P17 ー そこにあるものとしてまずは見なければならないだろうと思った。機会をとらえ、勇を鼓して、見に出かけた」
と、武村知子氏が書いており、氏も上映に足を運ばれた様子です。
( 休憩時間のお客さんの会話は聞くとも無しに小耳に挟まってくるものですが、興味深い小耳もあって、当時、思った以上に業界の方が足を運んでいた印象を受けました。また一話終了毎に主題歌を聞くことになるので、深夜も更けてくると何回も聞くことになるのですが、何回目かのオープニングで若いお嬢さんが “ また、ホゲタラだぁ~ ” と叫んで館内が爆笑の渦、の一幕もありました )
「ぴあ」に掲載されたことで多くの方が興味を引かれたのか、館内には若い方も多く見かけ華やかな賑わいを見せていました。

 1994年にACTシアターで虫プロ作品とともに『どろろ』が上映されるプログラムが組まれた経緯は不明ですが、この一挙上映で、改めて『どろろ』は再発見されたと思います。

 この後、
1998年1月25日発売 『どろろ』LDボックス
2000年6月21日より 東映ビデオシリーズ『どろろ』全6巻発売。 
2002年11月21日には DVD 『どろろ・Complete-BOX』発売。
2001年には学習研究社から鳥海版『小説・どろろ』が上梓。
と、関連商品・書籍の発売が続き、
 2004年9月には、
 SEGAから『どろろ:DORORO』PS2版ゲームが発売。
 同年に『新浄瑠璃百鬼丸』が紀伊国屋ホールで上演となります。

「青少年に有害な書物の排斥」運動は継続し、マンガを含む創作物の規制は年を追う毎に厳しくなっていましたが、1970年代後半の「手塚治虫復活」から評価の高まりを見せていた手塚作品は1989年に先生が身罷られてから、1990年代に入って、さらに評価が上がっていた時期でした。
( 1990年7月20日 ~ 9月2日「東京国立近代美術館」で『手塚治虫展』開催、同美術館で漫画家初の美術展 )
 1990年代以降、サブカル誌で取り上げられるのと並行して、
 上手く表現できないのですが … 先生の評価は歴史上の偉人になり、作品もPTA推薦のような文脈で語られることが増えました。1950年代の悪書追放・焚書騒動で手塚作品がやり玉にあげられ「手塚治虫は破廉恥漫画家」と言われた時代があったことが嘘の様ですが、時代は変わっていました。
 その変化と連動して『どろろ』の評価も変化し、商品化・メディアへの露出が増えてきた側面はあると思います。