『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

どろろのあゆみ【17】2009年「どろろ」米国アイズナー賞・最優秀日本作品賞、受賞

 2000年代は、2001年9月11日に発生した「アメリ同時多発テロ」に象徴されるように、世界各地でテロが多発。政情不安定なアフリカ・中東諸国はもとより、アメリカ・西側諸国陣営で過激なイスラム原理主義陣営が主導するテロが発生、これらは「対テロ戦争」と呼称されました。「アメリ同時多発テロ」発生後、ジョージ・W・ブッシュ大統領は「テロとの戦い」を宣言、アフガニスタンへ侵攻。泥沼の紛争が長く継続することとなりました。
( 2020年2月29日 アメリカ合衆国とターリバーン和平合意 )
 また、中国やロシアは以前より地域内で抱えていたイスラム系民族への弾圧の口実として「対テロ戦争」を利用、現在も少数民族への弾圧は継続、大きな問題となっています。
 経済的には2008年9月アメリカの有力投資銀行リーマン・ブラザースの破綻による金融機関の連鎖的な経営危機に端を発する、株価下落・金融危機・同時不況「リーマンショック」が発生。
 日本では1998年のアジア通貨危機や消費税増税を経て低成長は継続。
リーマンショック」の余波もあり「失われた10年」が「失われた20年」に成る過程でした。「勝ち組・負け組」「ひきこもり」「ニート」「パラサイト」「ネットカフェ難民」などの流行語に象徴されるように日本でも格差社会、世代間の問題が顕在化してきます。グローバリズム新自由主義などの声掛けはあれど、新時代の華やかさよりも、テロの世紀・先進諸国の格差社会問題など、不安定な状況が目立つ「新世紀の幕開け」でした。

 メディア・オタク文化面では、高速インターネット回線が普及し、2005年にはYouTubeが登場、2006年にはニコニコ動画が誕生。これら動画共有サイトと「2ちゃんねる」がメディアとしての大きな影響力を持つ様になり、それまで娯楽の王様であったテレビがその王座から本格的に滑落し始めます。
 2006年には『涼宮ハルヒの憂鬱』がアニメ化「ハレ晴レユカイ」が “ 踊ってみた ” とこれらの動画投稿サイトに投稿され、大いに盛り上がりを見せ、
 2ちゃんねるのスレから発生した『電車男』が小説・映像化。秋葉原オタク文化の中心と認知されるきっかけとなるなど、( 誤解は有っても ) オタク文化の一般認知が進んだ年代であり、オタク層の年齢層がさらに厚みを増し、オタク人口がコンテンツの消費者・市場として改めて発見された年代と言えると思います。
 

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  2004年5月には日経BP社から「日経キャラクターズ」が創刊。ビジネス出版社が発刊、経済的な側面からコンテンツを評価・分析する視点が高く評価された雑誌でしたが、同時期に大人向けのオタクコンテンツ雑誌が相次いで創刊されたため、狭い市場での淘汰が進み、2006年8月号を持って休刊になりました。
 1990年代後半 ( 特に “ 新世紀エヴァンゲリオン ” 以降 ) から
 仲間との情報・趣味のやり取りを「タコつぼ」的に楽しみながらも、社会への影響を意識した積極的な活動も行う、「ライトオタク」層と言えるアングラ・サブカル
「オタクパッシング」以前のオタク層とは、やや趣が異なる “ 層 ” が出現・増加した時代でもありました。

 また、2000年代~ は “ ジャパニーズポップカルチャー ” としてアニメ・マンガ・ライトノベル等の海外での人気・知名度が高まった時期でした。
 外務省のホームページ「わかる国際情勢vol.138:2016年」には “ ポップカルチャーで日本の魅力を発信 ” と対外的なポップカルチャー戦略が紹介されています。
 しかし、マンガ・アニメなどのオタク文化が “ ジャパニーズポップカルチャー ” と、
持ち上げられる一方、
1990年代以降も創作物の表現規制は継続し、
2004年には「指定図書の包装義務化」「表示図書の包装義務化」出倫協は小口シール止め自主規制決定。
2005年に「都青少年・治安対策本部」が発足、中高生向け雑誌の自主規制条項を導入。
2007年には少女マンガの性描写が問題視され、2009年には大阪堺市図書館でBL本排除される等の動きが見られました。

 このような時代背景の中、
 ウィル・アイズナー コミックインダストリー アワード( Will Eisner Comic Industry Awards 以下、アイズナー賞 )を手塚作品が受賞。
( アイズナー賞は米国のコミック業界が過去一年間で特に優れた業績を残した作品・アーティストを顕彰する、米国のコミック業界で最も注目されるアワード。また、長年コミック業界に貢献してきた人物を「コミックの殿堂 ( The Comic Industry’s Hall of Fame ) に加える顕彰活動も行っている )
2002年 手塚治虫、審査員による選出で「コミックの殿堂」入り
2004年 最優秀国際作品『ブッダ
2009年 最優秀日本作品『どろろ
2014年 最優秀アジア作品『地帝国の怪人』

 

 1963年1月より虫プロ制作『鉄腕アトム』放送開始。同年の9月には米国NBC系列のローカルTV局で『アストロ・ボーイ ( 鉄腕アトム ) 』の放送が始まります。
『アストロ・ボーイ ( 鉄腕アトム ) 』は米国でも高い視聴率を得て、日本製アニメ輸出の好調な滑り出しとなりました。放送開始となった1963年は米国の娯楽の中心が映画からTVへ移行する時期で、新たに放送局が設立され多くの番組を必要としていた時期と重なっています。( 1962年には米国のテレビ世帯所有が90%を超えています )『アストロ・ボーイ』の好評価で『エイトマン』『鉄人28号』等も放映され人気を得ましたが、その数年後には日本製アニメの輸出は一時途絶えます。
 その後、1990年代に入り米国ではケーブルTVチャンネルが増加、多くの番組を必要とした為、日本製のアニメが多く輸入され『ドラゴンボール』『美少女戦士セーラームーン』『カウボーイビバップ』等の作品が放映されました。これらの作品が高い評価を得て米国で改めて認知される事となった “ 日本製アニメーション ” は、今も根強い人気を誇る『AKIRA』『GHOST IN THE SHELL-攻殻機動隊』『新世紀エヴァンゲリオン』等を発火点として世界をマーケットに、更に広がりを見せる事となります。
 こうした「日本製アニメ・マンガ」が牽引した2000年代初頭の “ ジャパニーズポップカルチャー ” ブームは多くのファンを海外に獲得。その潮流が「日本アニメ・マンガ」の名作を掘り起こした結果、海外 ( 米 国 ) ファンの日本大衆文化、日本アニメ・マンガの歴史への知的好奇心が高まり、「日本アニメ・マンガ」の情報が米国内で増加。米国で、日本アニメ・マンガの源流として「手塚治虫」が再発見・評価された事が、アイズナー賞・受賞に繋がった近因と考えます。


 

 さて、2000年代初頭からの海外も含めた「手塚再発見」の潮流の中、手塚作品のマーケティングの模索は、

① 年齢の高いファンへ向けて「文芸・芸術作品」として、価格帯も高価なもの
 手塚作品が扱われる雑誌もサブカル・アニメ誌から、やや文藝・芸術寄りに成って行きます、手塚ファンの高年齢化により購読雑誌が変化、商品の購買力が上がったことが背景にあるのでしょうか?

 

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河出書房新社 文藝別冊「総特集:手塚治虫」 1999年5月25日発行

増補・新版 2014年5月30日発行

 

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芸術新潮「特集:生誕80周年記念“手塚治虫を知るためのQ&A100”」

 

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DEAGOSTINI「週刊100人ー歴史は彼らによってつくられたー №017:手塚治虫

2003年10月7日発行

 

 とは言え、手塚先生関連の記事は神出鬼没で多岐に渡っており、ファン泣かせなので、一概にこれらの変化があったとは言えないと考えています。( ここで移行しました、と線が引けるような変化では無いですし )
 サブカル関連が減ったのはバブル崩壊後にサブカル誌がどんどん廃刊になった事もありましょう …

 

② もう一つは若い世代への手塚入門として、手塚作品の「リメイク」「アニメ化」

次回は1990年~のリメイク作品を纏めたいと思います。