「どろろ」を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」の記事を掲載しています。ほぼ、それだけなので、「たわし」しかない雑貨屋状態です。挙句の果てに新アニメの記事は殆どありません。「たわし」といっても亀の子しか置いてないんです、すみません状態です。書いてる本人も如何なものか… と思ってるので、どうか御容赦下さい。

どろろのあゆみ【23】 時系列まとめ

1947:手塚治虫新宝島』でデビュー

  赤本マンガが大人気になるが、同時にマンガパッシングも始まる。

1950:岡山県で「図書による青少年の保護育成に関する条例」制定 

 この頃より全国で「悪書追放運動」が活発に、

1954:警視庁「不良出版物」も取り締まり対象に、「赤坂少年母の会」が「不良雑誌・ カストリ雑誌ゾッキ本、成人向けの赤本」を焼却

 手塚先生は、当時頻繁に開催されていた“児童漫画を追求する集会”にパネリストとして壇上に立ち糾弾された。

  暴力的表現を理由に低俗マンガ排斥運動は貸本漫画に掲載された劇画に波及、

 赤本・貸本がこの流れで衰退、1960年代に入り、楳図かずお水木しげる等、貸本ブームを牽引していた作家が週刊漫画誌へ移動。

 

1959:6月~1959:12月 漫画王で『光』連載

1961:「虫プロ」の前身である「手塚治虫プロダクション動画部」設立

1962:1月「株式会社・虫プロダクション」に改称し正式に発足

1963:01/01『鉄腕アトム』フジテレビ系列にて放送開始、大ヒットとなる

1964:11/11~1967:01/22 サンケイ新聞社『ハトよ天まで』連載

1965:08/29『オバケのQ太郎』放送開始、社会現象ともいえる「オバQブーム」に、

 その後も『パーマン』『怪物くん』とヒット作が続き、テレビマンガにもギャグマンガブームが到来

1966:『ウルトラQ』放送開始、次作品『ウルトラマン』も大ヒットし特撮ブームに

1968:01/03~『ゲゲゲの鬼太郎』放映開始、妖怪・怪奇漫画がブームに

1966:『バンパイヤ』連載開始 COMで『火の鳥』連載開始

1967:08/27~1968:07/21 少年サンデー『どろろ・第一部』連載

 

 週刊少年サンデーどろろ」の連載は打ち切り終了?

 打ち切り理由は「不人気であった」「作品が生臭くなり、手塚治虫の執筆意欲が低下した」「差別用語問題」等、と言われているが、

①新しい手塚マンガへの厳しい批評(子供には人気があった)

②この時期の手塚治虫の多忙さ

が近因と考える。

差別用語」「身体表現」に関しては、同時期の漫画・雑誌・新聞にも現在の基準で言えば掲載できない文言・表現が使用されており、この時期は人権意識・配慮が現在より希薄で、これらの表現が問題視されていなかった様子が伺える。また、「差別用語問題」が浮上しての連載終了で有ったなら、後のアニメ化企画・冒険王での第二部は無かったと考えられるので「どろろ週刊少年サンデー連載終了理由に(この時点では)「差別用語」は絡んでいなかったのでは無いか?

 

1968:01/29 旧アニメ『どろろパイロットフィルム完成

1968:03/31 負債返却の為、10年間フジテレビに「虫プロ」作品の権利譲渡

 この頃より「虫プロ」の経営は困難に、

1968:漫画制作・管理のための別会社「手塚プロダクション」設立

1968:04/28~12/22 週刊少年キング『ノーマン』連載

1968:10/03~1969:09/24アニメ『佐武と市捕物控』放送

1969:01/01~06/29 週刊少年キング『鬼丸大将』連載

 

1969:01/18・19「東大安田講堂事件」警視庁により封鎖解除

 これ以降、全国に波及した学生運動は収束、1970年代には終焉を迎える。

 学生運動が盛んであった頃“右手に(朝日)ジャーナル、左手に(週刊少年)マガジン”のフレーズが生まれるほどマンガ週刊誌は若者に支持されていた。

 1968年には「週刊少年ジャンプ」が創刊される。

 “W3事件”後、人気作『8マン』連載中止『ハリスの旋風』長期休載と厳しい状況が続いた「少年マガジン」は貸本劇画で活躍していた、さいとうたかお水木しげる等を積極的に登用、この劇画路線は大成功を収め、マガジンは上記にある様に青年層の支持を得た。

 

1969:04/06~09/28 旧アニメ『どろろ』フジテレビ系列で放送

 (後に『どろろと百鬼丸』に改題)

どろろ』放映開始となるも、北陸では放送中止となるなど開始早々波乱含み、

 再放送された地域もあり? 表現問題、人権意識に地域格差があった模様?

1969:04/06~09/28『カムイ外伝』フジテレビ系列で放送

1969:冒険王5月~10月号『どろろ・第二部』連載

1969:朝日ソノラマ辻真先版、小説『どろろ』刊行

 

どろろ』の「差別用語」「身体表現」へのクレームはアニメ放送で『どろろ』という作品の一般認知が進んだ結果と考えられる。

 また、1970年代に入り学生運動は終焉を迎えるが、「大衆の異議申し立て運動」の流れは人権・ウーマンリブなどの運動に受け継がれた、この流れによる「人権意識の高まり」もクレームの遠因となったか?

 1969年前後からTVマンガをスポンサーしていた大手製菓会社が高価格帯商品(チョコレートなど)を児童より購買力があるハイティーンに向けてアピールしたかった事情から、TVマンガがアイドル番組に切り替わり、児童の人気は高かったもののTVマンガの制作数は減少、第一次アニメブームで潤っていた制作会社に冬の時代が訪れた。

 

1970:08/27付・朝日新聞に「少年雑誌またヤリ玉」と記事が掲載

 少年チャンピオン「やけっぱちのマリア・手塚治虫少年キング「アポロの歌・手塚治虫少年マガジン「アシュラ・ジョージ秋山」「キッカイくん・永井豪」などが、福岡で有害図書指定・青少年への販売禁止に、

 1971:手塚治虫虫プロ」社長退任

1972:04/01~09/30 『海のトリトン富野由悠季監督 放映

1973:7月・虫プロ商事倒産 同年11/01虫プロ倒産

1973:11/19~ 少年チャンピオンブラックジャック』連載開始

1974:10/06~『宇宙戦艦ヤマト』放送開始

1974:06/10~ ビッグコミック『シュマリ』連載開始

 1976:年末『ブラックジャック』にロボトミーを美化・正当化した描写があるとして「青い芝の会」等が抗議文を秋田書店に送付、翌年2月10日付の全国紙に謝罪文掲載

 1977:12/01「虫プロ新社」営業開始

1977:08/06 映画『宇宙戦艦ヤマト』大ヒット、

1978:06/24 『スターウォーズ』日本封切、SFブームに、

1978:「アニメージュ創刊」この頃よりアニメ誌の創刊ラッシュ

1970年代後半~第二次アニメブームに、

 この時期より、漫画・アニメファンの年齢層が上昇、公式なFC以外に、ファンによる非公式アニメFCも多数設立。ハイティーンに向けた作品・商品・情報誌も増加。

 

1978:03/07ランデヴー「どろろ」特集

1978:04/30「どろろ」アニメ選集刊行

1979:ライリー商会「どろろ」8㎜発売

1980:03/05「ペーパームーンコミックス・どろろ・ばんもんの巻」刊行

1980:8月「どろろFC」発足

 この辺りの『どろろ』関連書籍・商品発売は熱心なファンのリクエストとファンの年齢が上昇、商品の購買力が上がったことも理由の一つに挙げられるだろうか、

 

1982:『ブレードランナー』映画公開

1983:07/15ニンテンドーファミコン」発売

1984:にっかつビデオフィルムズより『どろろ』VTR上下巻、発売

1986:05/27『ドラゴンクエスト』発売、大ヒット

1987:『魍魎戦記MADARA』連載開始

 

1987~1991“バブル景気”

 

1988:「黒人差別をなくす会」の抗議により『ちびくろサンボ』絶版

 (原書が出されたイギリス、問題発祥の地であるアメリカでは絶版になっていない)

1990年:「黒人差別をなくす会」各出版社に抗議文を送付。

 その中に『ジャングル大帝』など手塚作品があり、「手塚治虫漫画全集」をはじめとする「黒人」が描かれている作品を収録した出版物の出版・販売を一時停止。「手塚治虫漫画全集」は約1年間の停止期間を経て1992年3月から「読者の皆様へ」と釈明文を掲載し出版・販売再開となった。

1990年7月:「黒人」をイメージさせるオバケが登場する『オバケのQ太郎』に抗議、同作品は回収・絶版となる。同時期『ジャングル黒べえ』も回収・絶版に、

 

1988:大友克洋監督 映画『AKIRA』公開

1988:01/01 JICC出版『どろろゲームブック発売

1989:01/10 クエイザーソフト『どろろ-地獄絵巻の章-』PCゲーム版発売

 

1989:02/09「手塚治虫」逝去

 

1989:07/23「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」犯人逮捕

「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」発生以前から、最高裁が青少年条例により有害と指定された「図書」販売規制を合憲と判決。80年代末までに長野県を除く全都道府県で青少年条例が制定されるなど、創作物を取り巻く環境は厳しい状況にあった。

 また、「埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の発生を受けて、1990年の和歌山県住民運動を発端とする「有害コミック規制運動」の動きは全国に波及、この時期より「青少年に有害なコンテンツ」の追放運動は急速に進み、青少年に有害と指定された創作物の販売規制は強化されていく。

1991:8月「コミケ幕張メッセ追放事件」

1991:出倫協が「成年コミック」マークの制定「コミック特別委員会」を設置、自民党有志議員がポルノコミック対策議連を結成、法規制を示唆

 これらの動きを受けて、出版大手三社が指定コミックスを出荷停止、絶版、回収。 

 1980年代後半から1990年代前半にかけては“オタクパッシング”も含めて「創作物とそれを愛する人々」の受難の時代で、作家(同人作家も含む)・出版社・書店・制作プロダクション等、が表現規制・クレーム対策に追われ戦々恐々としていた様子が伺える。

 

1990:07/20~09/02「東京国立近代美術館」で「手塚治虫展」開催、

 国内国立美術館で漫画家初の美術展

1991:テアトル池袋「手塚治虫劇場」開催

 テアトル池袋で手塚アニメ一挙上映、パイロットフィルム含む「どろろ」も上映。

1992:「手塚治虫のガラスの地球を救え」サンシャインシティで開催

1993:「私のアトム展」ラフォーレ原宿で開催

 “手塚るみ子氏”が手塚作品を初プロデュース。多くのアーティストが参加し“ぴあ”他、多くの雑誌で取り上げられる。

1994:没後5年、宝塚市に「手塚治虫記念館」オープン

 開館に当たり、同年3月から5月「宝塚歌劇団花組公演」がミュージカル「ブラックジャック-危険な賭け-」ショー「火の鳥」を上演

1994:池袋ACTシアター・虫プロ作品と旧アニメ『どろろ』オールナイト上映

 「手塚治虫」逝去後、催し物・美術展・記念館のオープンなど「手塚治虫」関連ニュースが多くの媒体で流れ、再発見・再評価が進む。

 この時期、サブカル誌で『どろろ』関連の記事増加?

 

1995「神戸児童殺傷事件」

 この事件時には「ゲーム」「映像作品」が原因と見做されかねない報道が目立つ、

 

1995:『新世紀エヴァンゲリオン』放映

1995:「Windows95Microsoftよりリリース、この時期よりインターネット普及進む

1996:08/24付・米国ビルボード攻殻機動隊-GHOST IN THE SHELL-』売上1位

1996:06/22 フィルムアート社「どろろ草紙縁起絵巻」武村知子 発刊

1996:05/02~05/06 神ひろし企画オフィス公演「ミュージカル・どろろ」公演

1998:01/25 『どろろ』LDボックス発売

1997:手塚治虫文化賞、創設

手塚治虫の業績を記念して“マンガ文化の健全な発展”を目的に創設」

 

1999:「児童ポルノ禁止法」成立、

 書店による過剰な自粛が記事になり大手新聞に掲載される。

 

2000:06/21 東映ビデオより『どろろ』『どろろと百鬼丸』VTR・全6巻、発売

2001:07/15 学習研究社 鳥海尽三版・小説『どろろ』全3巻 刊行

2002:11/21 コロンビア『どろろ』DVDボックス発売

 

ウィル・アイズナーコミックインダストリーアワード(Will Eisner Comic Industry Awards)を手塚作品が受賞

2002:「手塚治虫」審査員による選出で“コミックの殿堂”入り

2004:『ブッダ』最優秀国際作品賞、受賞

2009:『どろろ』最優秀日本作品賞、受賞

2014:『地帝国の怪人』最優秀アジア作品賞、受賞

海外より逆輸入の形で「手塚治虫」再評価が進んだか?

 

2003:4月7日「鉄腕アトム」誕生日

2003:「ASTROBOY-鉄腕アトム」フジテレビ系で放送開始

 2003年前後は“アトムイヤー”で「手塚治虫」関連のリメイク・市場活動が活発で、関連商品も多く発売された。

2003:05/14 、SEGAが E3(例年6月に開催される世界最大のゲームショウ)でPS2ゲーム『DORORO』の製作発表、この時点で日本国内発売のアナウンスは無し?

2004:5月、日経BP社から「日経キャラクターズ」が創刊

 2000年代に入り“ジャパニーズポップカルチャー”としてオタクコンテンツの市場展開が活発に、

 

2004:06/16~06/23 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸」公演

2004:09/09、SEGAよりPS2ゲーム『どろろ』発売

2004:09/21 PS2ゲーム『どろろ』北米で発売

英題は『 -Blood will Tell- DORORO 』 翌年06/05に欧州でリリース

2005:11月 東宝が実写映画『どろろ』の制作発表

2006:12/30 NAKA雅MURA版、小説『どろろ』刊行

2007:01/26 全国東宝系劇場にて映画『どろろ』公開

2007:05/22 ヤングチャンピオンどろろ梵』連載

2009:07/04~07/05 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸厚木市文化会館公演

2009:07/08~07/12 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸紀伊国屋サザンシアター公演

2010:9月より「osamu moet moso (オサム・モエット・モッソ)」全国巡回

 コミケコミティアにも参加

2012:02/23~02/27 Bunkamuraオーチャードホール「テヅカ-Tezuka-」公演

 世界的な振付師シディ・ラルビ・シェルカウイによるダンスステージ、「どろろ」も劇中に登場

2012:03/06“シネマトゥディ”に「手塚治虫の名作“どろろ”のハリウッド映画化企画が進行中」と記事が掲載、この時点ではジャスティン・リン監督とのオプション契約を結んだ段階

2012:11/16読み切りで週間漫画ゴラク日本文芸社に『どろろとえん魔くん』掲載

2013:02/22~20/14:03/07『どろろとえん魔くん』連載

2018:10月「テヅコミ」vol.1~18号 カネコアツシ『サーチアンドデストロイ』連載

2018:「チャンピオンRED」12月号より士貴智志どろろと百鬼丸伝』連載開始

2019:03/07~03/17 舞台「どろろ2.5次元 サンシャイン劇場

         他、大阪・福岡・三重で公演

2019:03/27~03/31 人形劇団ひとみ座、人形劇『どろろ』公演

2019:05/11~05/19 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸座・高円寺1公演

2019:06/14 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸千葉市美浜文化ホール公演

2019:06/16 劇団扉座「新浄瑠璃百鬼丸厚木市文化会館公演

2019:深夜アニメ「どろろ」TOKYO-MX・BS11で放送、Amazonプライム配信

 2018年頃より『どろろ』リメイク漫画・新アニメ・舞台…と、周辺の市場展開が活発化しているのは「手塚治虫生誕90周年」であったことが近因か?

(2012年のハリウッド契約が切れ、版権が戻って来たのだろうか?)