『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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街場の現代思想 -手塚治虫の天才性ー

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【 街場の現代思想 】 2004年7月6日発行:NTT出版 著:内田樹

 「あとがき」、あるいは「生きることの愉しさ」について P227 -より

手塚治虫が天才であることに異論のある人はいない。だが、彼が「どのように」天才であるかについてはさまざまな解釈があって必ずしも意見は一致しない。私は手塚の天才性はなによりもその「さかさまのストーリーテリング」にあると考えている。手塚は重大な問題については、ほとんどつねに「現象の図と地を入れ替えて考える」人だったからである》《ふつうの人間に保証されているはずの基礎的なリソースをすべてそぎ落としたあとになお「残るもの」があり、それを拠点として人間がおのれの存在理由を構築できることがあるとすれば、それこそが人間性を担保する「最後のもの」に違いない。それは何か?》

 『鉄腕アトム』のテーマは「人間性とは何か」という問いかけだ。何が人を人たらしめているのかという問いかけを物語として昇華するために、手塚治虫は「人ならざるもの」、ロボットを主人公にした、それこそが手塚治虫の天才性であると内田氏はいう。答えが無い困難な問いに、類まれなる想像力で挑み続けた天才、それが手塚治虫であると、

  大塚英志氏の『アトムの命題』は「親に呪われ、その生を否定された子供はどのように成長すればよいのか?」という答えのない問いかけを含んでいる。

 「あとがき」、あるいは「生きることの愉しさ」について P227 -より

《「死んだ少年の代理表象」であるところの「成長しないロボット」が、彼にとっての創造主=神である天馬博士に「無価値なもの」とレッテルを貼られ棄てられるという、これ以上はない絶望的状況に投じられたところから手塚は物語を始めた。自分が自分であることの意味を支えてくれる一切の条件を奪われたものは、その全的喪失から、いったい何を足がかりとして自分が存在することの意味と尊厳を奪還してゆくことができるのか?手塚はそう問いを立てたのである》

  これは、こうも言い換えられるだろうか、

どろろ』という物語は「親に呪われ、生を奪われた」子供が、子供にとっての「しあわせの国」である「両親」に捨てられ流されるという、これ以上はない絶望的状況に投じられたところから物語が始まる。全的喪失を纏ったものの成長とは何か?

  本来ならば子供は幼児的万能感を満たされた後に母子分離を果たし、母と自分は違う人間であると気が付いて「しあわせの国」を失う、

 成長とは一種の「失楽園」だ。

 しかし、失うものすらも持ちえぬ「親に呪われた子供」はどう成長すればいいのか?

 その絶望的状況から『どろろ』の百鬼丸の物語は始まる、

 欠乏は物語を動かすエンジンで「大きな欠乏」は物語を動かす大きな力になる。

 とはいえ、この全的喪失は大きすぎないか?

 エンジンがピーキーすぎて車体がどうにかなる危険を胎んではいないか?

 しかも天才はさらに仕掛けてくる、

 もう一人の主人公も「大きな欠乏」を抱えている。

 彼女にとって「しあわせの国」であった両親は、彼女に過剰な期待を寄せて依存する。彼女に掛けられた「呪い」は両親への思慕の情が大きければ大きいほど、両親の期待に添いたいと「彼女を縛って」しまうものだから、

 然りとて、この二人の主人公は残酷な戦国の世を彷徨いながら、他者に依存することなく「生 ( 成長) 」への道を、あがいて進むのだ。

「おいらだって人間だ」と、

 

どろろ』に限らず、手塚作品では「人間性とは何か」「人に成るとは何か」

が問いかけられていることが多く、特に『アトムの命題』を強く背負ったキャラクターが出てくる作品にはその傾向が強い。

 答えの無い問いかけは「考え続けるしかない」

  読者に、

「これはマンガだけれど、マンガと言う手法で僕は君たちにメッセージを送っています」と、問いかけ続けた天才のメッセージを少しでも受けとることが出来たら ー

 ー 思考し続けるしかない。

 答えはいつも「時空不連続体をすり抜けて」しまうのだけれど、追いかけ続けたい。

  そして、

 居住まいを正し背筋を伸ばして、臆する気持ちを抑えながら、

「やあ、先生、この作品について私はこう思うんですけれど …」

  このブログはそんな私的なブログです。

 内容のアレコレはいいっこなしで、よしなに

 

 最後に満面の笑顔で、

「せんせい、おたんじょうびおめでとうございます!」