「どろろ」を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」】

ジャングル大帝、黒人差別抗議事件・②

封印作品の闇 -悲しい熱帯・ジャングル黒べえー 著者:安藤健二】で、当時「黒人差別をなくす会」の抗議を受けて、講談社手塚プロダクションが、どのような対応をしていたのか? が、詳細に語られていたのでご紹介します。

 

《元講談社法務部長・西尾秀和氏※、インタビュー》

(※なくす会の抗議を受けて出荷停止になっていた「手塚治虫漫画全集」を、解説文をつけて再出荷決定した当時の担当者。映倫の「青少年映画審議会」委員。『差別表現の検証:講談社』著者)

「手塚作品に抗議を受けた当初は、有田さんのバックに部落解放同盟がついているんじゃないかという錯覚を持っていたことは確かです。『ここで逆らったり、喧嘩をしたりすれば部落解放同盟がストレートに出てきて収拾がつかなくなるんじゃないか』と思っていました。それは講談社に限らず、どこの出版社もそうだったと思います。『週刊文春』に“親子三人でやっている”という記事が出る前くらいまでは、何者かわからなかったですよ。(部落解放運動が盛んな)関西で反差別運動をやってるんだから、解放同盟と無関係なわけはないだろう、と思っていました」

 1991年4月、部落解放同盟書記の坂本信義氏が立ち合い人となり、部落解放同盟大阪本部、会議室で講談社と有田氏の三時間の話し合いを行うが、議論は平行線のまま物別れに、

「当事者同士だと客観性を欠くから、解放同盟に立会人になってほしいと頼んだんです。解放同盟は話を聞いてるだけで、あくまでも有田さんとのやり取りでした。ただ私たちが最初に考えていたこととは逆に、解放同盟のほうは有田さんを遠ざけていました。反差別運動をやるんだったら自分たちと一緒に組めばいいのに単独ではね上がってやっている人、みたいな印象を持っていたようです。解放同盟は一切バックアップしていなかったんです。ただ、それは有田さんと会ったり、僕らがいろいろ調べていってわかったことです。抗議があった当時はそうしたことがわからないから、出版界全体に『「なくす会」は解放同盟とつながってるんじゃないか』という錯覚がありました。各社の自主回収には、そうした錯覚がかなり影響していますよ。ただ、それは出版社の自主的な判断です。有田さん自身は解放同盟がバックにいるとかいうことは全然におわせていない。僕らが勝手に、人権運動団体ということで、そういう憶測をしてしまったということです」

  出版界は、海外からのパッシング、1970年代~80年代の部落解放同盟の激しい糾弾運動の影に脅え、対策を急いだというのが実情の様で、1988年に各社が『ちびくろサンボ』を絶版にした時期に講談社も絶版を決定している。

「まだ法務部長になったばかりで、右も左もわからなかった。それで抗議文が来た。小学館など各社が回収絶版するというのを聞いて、『うちだけ頑張れないだろう、右にならえせざるをえない』ということで、恥ずかしながら絶版回収にしました。正直にいうと、僕の中でも『議論しなきゃダメだ』って認識がまだなかった。ただ、今から思えば、明らかに過剰な反応でしたね。そのときの反省で、手塚治虫作品に抗議を受けたときに『あれを繰り返しちゃいけない』と思ったんです」

 このとき、手塚作品を絶版にするか否かで講談社内では激しいやり取りがあった。

「議論もしないで闇雲に回収するのはまずい、と。なんとか出す方法がないかと社内で話し合いました。今だから言うけど、講談社の役員は『回収するしかないだろう』って言ったんです。それで僕は『ちょっと待ってください。回収するのは簡単だけど、手塚治虫みたいに日本を代表する漫画家の作品をそう簡単に回収絶版にしていいんですか。もうちょっと出す方法をかんがえましょうよ』という言い方で粘って……。 結論的には注釈をつける方法で出すことになりました。注釈文の素案を僕が作って、それを手塚プロ社長の松谷孝征さんにチェックしてもらいました。それで出したら各社とも同じような文章を載せるようになった。うちのがもとになったんです」

「もし役員の『回収するしかないだろう』って言葉に従っていれば、今ごろ各社の手塚作品は消えてましたよ。それは大げさな話じゃなくてね。『ちびくろサンボ』が一斉に絶版なったのと同じだよ。それと同じ倫理がはたらくと思いますよ」

 多くの手塚作品が絶版となる危機を迎えていた。

 

 1970年代~80年代は人権意識が遅れており、様々な差別が今より明確に感じられる時代であった。1960年代~70年代の学生運動安保闘争を経て、大衆の異議申し立て運動は活発化していたが、学生運動安保闘争は下火になっており、それらの運動は差別反対を推進力とした、より大きな社会運動に移行していく。その後、人権意識の高まりとともにそれら人権の問題も充分とは言い難いが改善が見られる様になってきた。

 その様な時代の流れの中で、1980年代以降はメディア上の差別表現問題が浮上してきた時代だったのだろう。「差別表現がある」と思われる作品を槍玉に挙げるのは解かり易い構図であり、大手新聞誌や週刊誌が大きく取り上げてくれるキャッチーな問題でもあったのだろう。また、マンガが常に槍玉に挙げられた「叩きやすい」出版物であったのも関係がありそうだ。