【 どろろ 秋田文庫1巻 : 解説 呪いと祓い ー 百鬼丸の運命 荒俣宏 】
《 手塚治虫の『どろろ』は昭和四三年に週刊まんが誌に登場した。大学紛争に端を発した動乱が、混乱のきわみに近づこうという時代でちょうど『どろろ』の舞台となった乱世に似ていた。体制がわも学生がわも、どちらが鬼でどちらが祓い師なのか、しろうとである市民には、とんと区別がつかなかった。そのときの不安な感情を、こう言い換えてもいい、だれが世をしずめ、だれが秩序をもたらすのか、と。
百鬼丸は、そういう世に生まれた。しかも異児として! これは途方もなく迷惑な話だし、悲惨な巡りあわせだ、チベットの「死者の書」ではないが、人は悲しみながら生れでるのに祝福され、喜びながら死ぬのに哀悼される。ところが百鬼丸は、呪われて生まれ、たぶん
―喜ばれながら死んでいくはずだったのだ。
しかし、百鬼丸は、医師の手でそだてられ、成長する。かれは四十八の魔物を倒して、父のせいで奪われた身体各部四十八か所を取り戻す旅にでるが、そもそもこの四十八か所という数字からして暗示的だ。( 中略 ) 妖怪一匹退治することを、中陰の一日を過ごすことと読み替えてみよう。四十八体の魔物は、中陰四十九日のうちの四十八日にあたる。あと一日、いや、あと一匹、妖怪をかたづければ、百鬼丸は体を完全に取り戻し、成仏することができる。この成仏は、乱世の終わりであり、かれの父の野望がつぶれることをも、意味しているのだ 》
荒俣先生の解説はトテモ魅力的なのですが、私には「成長」して旅立った百鬼丸の旅路が死出の旅路 ( 成仏 ) とも思えないので、まあ、その辺から考えたいと思います。
身体四十八箇所が何かの暗喩ではないか、というのは、昔からあちこちの考察で言われていました。有名なのだと、阿弥陀仏の四十八願でしょうか、百鬼丸の旅路を仏の修業に儗る考察かな、舞台『新浄瑠璃・百鬼丸』では、いろは47文字の妖怪が出てきましたし、身体四十八箇所で「すべて」、呪いを受けて「すべて」を奪われた子供、と考えると考察として座りも良い気はします。
さて、ちょっと遠い所からこの話をはじめます。
昭和42年、原作『どろろ』連載時に少年マンガには怪奇もの・妖怪ブームが訪れていましたが、この時期以前、戦後マンガ初期から、怪奇マンガは描かれていて読者に好評を博していました。
初期の貸本劇画誌から「ミステリ・謎解きもの」は人気のあるジャンルで「怪奇スリラー」をテーマにした短編誌が出版されましたが、これらの多くは「怪奇ミステリ」を主軸にしていて「怪談・恐怖マンガ」そのものは主流ではありませんでした。
その後、昭和33年に “ 怪奇と恐怖 ” を中心にした『怪談』( つばめ出版 ) が創刊され、同年末には『オール怪談』が創刊、と貸本怪奇漫画誌を代表する短編誌が相次いで創刊されます。翌年の昭和34年には「怪奇小説全集」が創元社から出版、ハマーフィルムの怪奇映画が公開されるなど、怪奇物のブームが活発となる中、昭和34~35年にかけて「因果もの」「怨霊譚」を中心とした怪談漫画誌が相次いで創刊され、貸本劇画が怪談ブームのピークを迎えます。
昭和33年に水木しげる氏が『ロケットマン』を発表し、昭和35年には『墓場鬼太郎』『鬼太郎夜話』、翌年には『河童の三平』を発表。
昭和30年代、貸本劇画時代の水木氏はマイナーな作家でしたが、コンスタントに作品を発表し続け、この時期から熱心なファンを獲得していました。
その後、水木氏は貸本劇画から活躍の場を少年誌「週刊少年マガジン」に移し、昭和40年には『テレビくん』で講談社児童まんが賞を受賞、翌41年には『悪魔くん』がテレビ放映されています。
この、『悪魔くん』のヒットで水木しげる氏は一躍人気作家になり、人気が今一つで不定期な連載であった 少年マガジンの『墓場の鬼太郎』も正式な連載となります。内容も少年誌読者層に合わせて、怪談色が強かったストーリーを「鬼太郎が悪い妖怪を退治」と勧善懲悪にテコ入れ、これが功を奏して徐々に人気が加速、翌年には『ゲゲゲの鬼太郎』としてテレビマンガ化を果たします。
この様に水木しげる氏が牽引した怪奇・妖怪ブームの流れの中、
昭和42年に鳥山石燕の『図画百鬼夜行』がシリーズで渡辺書店から影印復刻。これを手塚先生も『どろろ』連載前に資料として購入されていた様子です。
【 虫ん坊 手塚マンガあの日あの時・第27回―妖怪ブームの荒波に挑んだ『どろろ』の挑戦!― 】 こちらの記事内で語られたように、手塚先生が幼少時の眞氏が描いた妖怪と図画百鬼夜行の鉄鼠から「四化入道」の着想を得たエピソードは有名ですね。
この手塚先生の蔵書だった『図画百鬼夜行』現在は眞氏が所有されているそうです。
また、『どろろ』連載開始年の昭和42年に「一乗谷朝倉氏遺跡」の発掘調査が行われ、地下から見事な庭園が発掘されました。これは大きく報道されたので『どろろ』の時代背景・舞台の着想はこの辺りにあったのかもしれません。
※鳥海版『小説どろろ』の舞台はこの周辺で、映画制作発表時にはロケ地になるかも、と期待で地元が盛り上がった。 -そうですが、ロケ地がニュージーランドになったのは皆さんご存知のとおり。小説内でアニキが修行した「文殊山」に、今は《 百鬼丸修行の場 》と立て看板が立っているそうです。昔は、散策していて脅えるほど《 熊出没注意 》の看板がいくつも立っていて、アニキは金太郎か何かですか? 修行していて大丈夫だったのか? と、思いましたが、軽装でひょこひょこ登っている私が一番大丈夫ではなかったな ……
無事帰還できて良かった。
ー 閑話休題
さて、
「画図百鬼夜行」「今昔画図続百鬼」「今昔百鬼拾遺」「百器徒然袋」、鳥山石燕の四つの妖怪画集は総称して『画図百鬼夜行シリーズ』といわれ、これの「百器徒然袋」に登場する妖怪が四十八種。また、この「百器徒然袋」の妖怪は、能、浄瑠璃、歌舞伎、いずれかの芝居と結びついているとの説もあり、― と、案外「身体四十八箇所」の着想もこの辺りでしょうか?
「百器徒然袋」が「宝船」に始まって「宝船」に終わるのも、
「宝船」といえば夷・大黒、出雲神話では、この二柱、事代主命・大国主命の神様は「親子」。大国主命は因幡の白兎で有名な様に医療神 ……
えーと、この辺りも面白いのですが、長くなりそうなので割愛します。
また「宝船」の原型は悪夢と良夢を違えて悪い夢を流す「夢違え」が原型で ( 穢れを流すという大祓と同じ発想 ) ここでもアニキの出自と奇妙な符号の一致もあるような … ないような …
また、おかだえみこ氏のインタビューでも、このように先生が回答していたので、阿弥陀仏の四十八願とか、中陰の四十九日は恰好良い暗喩ですが、何か違うような気はします。
まあ、私が百鬼丸の旅路を「人に成る ( 人でなしにならない )」旅路と捉えているので、仏となって文字通り「成仏」するのは違和感があるから、そのように思うのかも知れませんが、
『どろろ』謎多き打ち切りを徹底考察 -みたいな記事を拝見したんですが ……
「掲載誌の中心読者層は少年で、きらきらした夢や冒険譚を求める年頃、『どろろ』はそんな少年たちの求める内容と違って陰鬱で残酷な内容であったので当時の読者層のニーズと合致していなかったので連載が終了した」
というような内容だったのですが、
えーと、この辺で、つっこみどころ満載でございます。
記事をお書きになるのなら、せめて、当時の少年サンデーとかマガジンとか読んでみましょうよ … 劇画・妖怪・怪獣ブームもあって、怪奇物、グロテスクな作品も当時の少年誌には多く掲載されていて、『どろろ』なんか上品な方ですよ? 少年はエロもグロも好きだと思うんですが、( 当然すべての “ 少年が ” ではないですよ )
少年誌に限らず少女誌でも、この時期から怪奇物は増えて、昭和40年代には楳図かずお先生が活躍する下地ができておりました。 女の子も怪奇物は好きですしね、
まあ、いろいろ、いい加減に書かれちゃうほどに、
昭和は遠くなったという事ですかね ( 寄る年波感 )