『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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旧アニメ『どろろ』は、低視聴率?

Wikipedia『旧アニメ・どろろ』より

【 視聴率低迷による迷走 】

《 ハードな世界観の内容だったが、視聴率的に思わしくなかったため、スポンサーとテレビ局から路線変更の要求が出された結果、第14話以降は前述の通りタイトルも改変され、低年齢層を意識した内容へ路線変更される 》

 

 さて、昔から旧アニメ『どろろ』視聴率低迷の理由には「ハード ( 陰惨・残酷 … etc ) な内容が子どもに受け入れられず …」云々が定番の理由として挙げられていることが多いと思いますが、

 理由はそれだけ? でしょうか、

 一つの原因に落とし込めるほどコトは単純では無かったでしょうし、複数の要因が重なった結果、視聴率低下 → 打ち切り になったのだろうと思います。

ー んで、理由の一つはコレ?だと思います。

 

【 TVガイド・黄金週間合併号 昭和四十四年五月 】

どろろ』の裏番組は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ピンキーとキラーズ」主演のテレビドラマ『青空に飛び出せ!』だったんですね。もうひとつが『スターものまね大合戦』、NHKの『歌の祭典』は、その後に高視聴率をたたき出していた大河ドラマ天と地と』につながる強いラインナップ。

 これはツラい、お兄ちゃん、お姉ちゃんが「ピンキラ」見たかったら年下の兄弟は負けちゃうもんチャンネル争い … おじいちゃんが「歌の祭典の後、天と地とを見る」とか主張してもダメですもん、家庭内のチャンネル権争奪戦が勃発したら、家庭内の政治力と発言権が弱いちびっこには勝ち目が薄いんですもの、もの …

※『青空に飛び出せ!』とは、1969年3月30日から毎週日曜日19時30分~20時 ( 不二家の時間 ) にTBS系で放送されたテレビドラマ、当時大人気だった『ピンキーとキラーズ』が主演を務めた青春コメディ。

※『ピンキーとキラーズ』 デビュー曲『恋の季節』が発売直後から空前の大ヒットを記録し、オリコンで17週1位 ( 歴代最高記録 ) となり、270万枚を売り上げ「第10回日本レコード大賞新人賞」をはじめ数々の新人賞を受賞。第19回NHK紅白歌合戦では男女混成グループとして初出場。

 … と、 『ピンキーとキラーズ』は、当時大人気だったボサノバ・グループで「不二家の時間」は子供人気一位の『怪物くん』を終了して『青空に飛び出せ!』を開始しました。

 また、カルピスは電通を代理店として1969年4月からフジテレビ日曜19:30 ~『どろろ』を提供していましたが、視聴率は伸び悩み、第14話以降路線変更しテコ入れ “ カルピスまんが劇場 ” 『どろろと百鬼丸』となります。しかし、テコ入れ後も視聴率は振るわず、2クール26話で終了となりました。この後もカルピスはテレビマンガを継続して提供する意向があり、後の “ カルピス名作劇場 ” に繋がって行きます。

どろろ』の後続として、フジテレビとカルピスの間では永井豪先生の『ハレンチ学園』が候補に挙がっていました。 ― が、1970年頃『ハレンチ学園』はハレンチマンガ騒動でPTAにガンガンつるし上げられている最中で、作品が「カルピス」のイメージに合わなかったこともあり、この企画は流れた模様。

 以上を踏まえると「子供向けにもっとギャグタッチで」とスポンサーである「カルピス」が制作側に横槍刺してきたのも「カルピス」が子供向けの「コメディ・ギャグ」作品を求めていたから? と、考えると辻褄が合うような気もします。『どろろ』と同時期には『オバケのQ太郎』『怪物くん』とヒット街道爆走中の藤子不二雄先生の『ウメボシ殿下』が放送中でしたし、赤塚不二夫先生も『おそ松くん』のヒットの後、『もーれつア太郎』が放送中でしたから、「カルピス」が子どもにウケる「ギャグ」ものをと考えたとしても無理からぬことでした。

 また、以前に当ブログの【どろろのあゆみ番外編 TVガイド・子供番組大特集 昭和四十四年五月二・九日合併号】で纏めたのですが、この時期は子供向け番組の転換期で ( 子供の支持は有ったものの )「テレビマンガ」の製作本数は減少。変わってハイティーンに向けた「アイドル・音楽番組」が増加していた時期で、日曜日のゴールデンタイムに「アイドル・音楽番組」に挟まれた『どろろ』はホントに運が無かったなぁ、と思います。番組編成のあおりを受けて無ければ4月から、この時間帯で『青空に飛び出せ!』と視聴率勝負になったのは『妖怪人間ベム』だったんですかねえ ?

 いや、言うても仕方の無いことですが、

※文化通信・昭和43年7月19日付の記事によれば《 『妖怪人間ベム』との競合の結果「どろろ」の10月編成は見送りとなり、翌年4月からの放送となりました 》 と、テレビ局の編成の都合で放映延期になったとの記述が見られ、これは『どろろ』製作遅延の原因でも在るようです。

 

 

ウルトラQ ( 平均視聴率32.4% )』の裏で、視聴率が6.9%に急落して苦戦した『W3』ですが、放送時間の変更などもあって、平均視聴率は17.7%、最高23.0% ( 19話 ) と健闘していた模様。

 

 当時は「見逃し配信」も「録画機器」も無いので「裏番組」が何か? は死活問題だったんですね …