『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

【百鬼丸という子供・④】百鬼丸はエビスか?

 前々回の「妖怪馬鹿 化け物を語り尽くせり京の夜」からリンクして

 「百鬼丸ヒルコ ( エビス ) なのか?」です。

 さて、いつものコトですが本題から遠いところ『妖怪馬鹿』の続きから、

 

『 塗仏 (ぬりぼとけ) 』とは?

 鳥山石燕の『図画百鬼夜行』では、垂らした目玉を指さし、仏壇の中から現れる黒い肌にぺろりと舌を出した坊主の妖怪、仏壇が描かれているのは『図画百鬼夜行』のみ。また、江戸時代の絵巻物や絵双六には「ぬりぼとけ」あるいは「ぬり仏」とあり、これには長い髪の毛の様なものが背面に描かれている。狩野派の絵師、佐脇嵩之の『百怪図鑑』にも「ぬりぼとけ」とあり、両目が飛び出した真っ黒な坊主の姿で描かれ、これには魚の尻尾が付いている。また、1889年 『暁斎百鬼画談・河鍋暁斎』にも、名称の表示は無いものの「両目が飛び出した仏」姿の妖怪が描かれている。絵巻物や絵双六に少なからず「ぬりぼとけ」は登場し、どれも両目玉が飛び出した坊主姿の妖怪で、何処かおどけた姿で描かれるが、これらの資料に解説文は無く、何を意図して描かれた妖怪かは判然としないが、多田克己氏の『百鬼解読・講談社ノベルス』、「塗仏」の項によれば、黒色は黒不浄として死の穢れ、死の象徴であり …

狩野派の画家である佐脇嵩之の『百怪図鑑』には「ぬりぼとけ」とあり、全身が墨のようにまっ黒な坊主の妖怪である。髪の毛は無く、両目玉がとび出して垂れ下がっている。体つきは肥えて、腹がでっぷりとしており、背中には魚の尻尾のようなものが付いている。それはあたかも出目金魚と土左衛門 ( 水死体 ) を合成させたような、出目金人魚のようである 》

《 さらに「ぬりぼとけ」は目玉をぶらぶら垂らしているが、「見出度くなる」とは、死ぬ、倒れるの意の忌詞である。北陸、山陰地方では死ぬという意を「目え落す」という。また「眼のカミさん」とは仏さんの意で、斎藤たま著『死ともののけ』によれば「目落し」は「死ぬ」という意味であった 》

《 死ぬということが「お目出度い」事ならば、「鯛」はお目出度い宴席に置かれた、頭と尾を反らした「尾頭付き」の肴である(目出度いと目出鯛の洒落)。妖怪塗仏が目を飛び出させて、しかも魚の尻尾が付いているのならば、これこそ『塗仏の宴』なのであろうか? 》

《 鯛の信仰は七福神の恵比寿信仰にも結びついた。日本神話では、創造神である伊弉諾尊伊弉冉尊の第一子で、足腰が立たず、海へ流された蛭子神であったが、福神となって南海より日本へ訪れる時に、釣竿と鯛を抱えてくる姿として信仰された 》

 

―と「塗仏」から「土左衛門」へ連鎖、さらに「えびす」へとリンクするのですが、この伊弉諾尊伊弉冉尊、二柱の子神「蛭子神」は「大国主命」の息子さんの「事代主神」とは違うのですが、シヴァ神が伝来し「大いなる暗黒=大黒」で「大国主命」と混同されたのと同じく「蛭子神」と「事代主神」も、後年同一視されることになります。 
… で、えびす信仰と言えば商人の都「大阪」で、手塚先生の出身地。 関西では「商売繁盛・家内安全」の神さんとして「えべっさん ( えびす )」は殊に親しまれています。恰幅の良いおじさんが釣り竿を持ち、大きな鯛を抱えている姿で描かれる「えべっさん ( えびす )」はアニキと似ていませんが…

「エビス ( 夷 ) は百鬼丸の元ネタなのか?」
 まあ、いつもの「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」です。

【 大黒天 とは 】 
 天竺の神、天自在天の部属として三面六臂黒色憤怒相で天部胎蔵界の最外院北方にいる戦の神。サンスクリット語ではマハー・カーラ ( 摩訶迦羅、大いなる暗黒 ) に由来。経典により様々に説かれるが黒闇の神としての「荒神」と、厨を守る「善神」の二系統がある。日本には中国南部の寺院に伝わる後者の風習を平安初期に最澄比叡山延暦寺に取り入れ、以後天台宗寺院が祀るようになった。室町時代には大国主命と同一視され、後年、恵比寿神とともに代表的な福神として「七福神」となった。また、農村部では恵比寿とともに田の神として尊崇される。大黒信仰の伝播には、大黒の姿を模し「嘉祝の詞」を述べて遊行し、農村では豊作を祈念する「大黒舞いの徒」が大きな役割を果たした。

【 えびす とは 】 
 夷・戎・蛭子・恵比須 ( これは後世の当て字、多様に表記されるのは、その起源が複雑なので ) 等と表記される。大黒天と並び称され、七福神の一柱。その信仰の中心は兵庫県西宮神社は中世に「夷三郎」と称されていたが、大国主命事代主神を祀ったものである。大黒天が俵に立ち、打ち出の小槌を携えた農耕神、えびすは鯛を抱え釣竿を持った漁業神ということになる。『源平盛衰記』では、伊弉諾尊伊弉冉尊、二柱の神の最初の子神である蛭子が海に流され西宮に漂着し祀られたとされている。この伝承は漁民間の流れ仏を祀る習俗に由来するのだろう。狂言の「夷大黒」では大黒天と並び称されるようになっているので、えびすと大黒天の二柱を商売繁盛の神として祀る風習は室町時代以降のことと推定される。農家では台所に祀られ、収穫をもたらす神とも考えられており、正月と10月の年二回「夷講」が行われる。関西では正月10日を「十日戎」といい、各地の戎社には多くの参詣者が訪れる。

蛭子神 とは 】

 古事記では伊邪那岐神伊邪那美神が天御柱を立て、八尋殿で生活を始めた時に最初に生まれた神で不具であった ( 骨がなかった ) ので、伊邪那岐神伊邪那美神は「わが生める子良くあらず」と「葦船」に乗せて流した。日本書紀でも「三歳になっても足が萎え立てなかったので、アメノイワクスフネ ( 堅牢なクスノキで造った船 ) に乗せて波のまにまに放ち棄てた」という。記紀ともに、酷い話に思えるが、神話・民話に多い「流されてきた異児」は後に英雄になることが多く、この神が乗せられた船も「再生のための柩」※だろうか? 名前の「ヒルコ」は「骨の無い蛭のような子供」と解釈するのが一般的だが、オオヒルメノムチ ( 太陽神の巫女 ) ヒルメに対するヒルコは太陽神に関りが深い神で、「日本書紀」では天照大神月読命に次いで蛭児が誕生し、素戔嗚尊が生まれており、この記述から蛭児が三貴子に比肩する重要な神であったとする説もある。また、始祖となった男女二柱の最初の子神が生み損ないになるという神話は世界各地にみられ、東南アジアを中心とする「洪水型兄妹始祖神話」との関連が指摘されている。不具の子神がやらわれる民話・神話は世界各地に見られるが、一度やらわれた神が復活し信仰の対象となっている例は珍しい。流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っており、広く尊崇される神である。
※ 『英雄誕生の神話』オットーランクによれば英雄が入れられ流される箱や船は、ストレートに「子宮」のようですが?

≪ 夷・大黒が「夷・大黒」と併称されるようになったのは室町時代の中頃から ―『塵塚物語』。西宮広田社の夷三郎がもともと大国主命とその子神の事代主命であったが、後に「夷三郎」を一神と考えるようになり、大黒天を追加、「夷・大黒」と併称される様になった ≫

≪ 夷舁 ( えびすかき ) 人形を操る芸能、またその人形遣いをいう。夷まわしともいわれる。木偶を舞わせて各地を練り歩いた古代の傀儡子の伝統を受け継いだ芸能で、摂津国西宮の夷宮を本拠地とした。夷は元来海の神なので漁村を巡ったと想像される。安土桃山時代から江戸初期までの文献に散見され、淡路人形や人形浄瑠璃の成立にも影響を与えた ≫

 福の神として「夷・大黒」の信仰を流布したのは夷人形を舞わせて各地を巡行した西宮の神人や傀儡師、また、正月に家々を練り歩き大黒舞いを舞う門付けの声聞師・芸人たち。これらの人々は散所民の系譜を引く「穢多非人」の類で、人々に福を授ける来訪神が、人々に忌避される民に支えられている構造。即ち「都市民から差別され卑しまれた非定住の下級宗教者や芸能民が共同体や家を祝福する」というアンビバレントな構造を持つ宗教活動でした。

 また「夷・戎」という言葉には辺境の異民族の印象があり、それは「エビス」が海の彼方から漂着したという神話から読み取ることができるでしょうか、この印象は、遠い異郷から宝船に乗って来訪し福をもたらす「夷・大黒」と重なります。
 中世には「伊邪那岐神伊邪那美神」に流された「蛭子神」が西宮広田神社の末社に漂着して「夷三郎」の名で祀られたという伝承『源平盛衰記』が派生し、その伝承では蛭子神は三才まで足が萎え歩けず、流されたと伝えられ、蛭子神は足が萎えて歩けない身体障碍者と心的表象が符合します。また「えびす」は不正常な様子の形容、まつろわぬ野蛮な民の呼称に用いられることがあり「聖なるものと卑しいもの」両義性のある言葉でした。

「日本三大えびす」に数えられるのは京都ゑびす神社 ( 京都市 )・今宮戎神社 ( 大阪市 )・西宮神社 ( 兵庫県西宮市 ) で、近畿の三社。
 摂津の国に流れ着いた蛭子神は戎三郎という漁師に拾われて「戎三郎」という神になった ( 源平盛衰記 )
 あるいは、流された後、竜宮に辿り着き、暫く留まったのちに帰り、住吉の社で盛大な祭りを行ったとも伝えられる ( 神道集 )

 さて、こうして「夷・大黒」伝説を紐解いてみると「ヒルコ・えびす」さまとアニキの出自に奇妙な符号の一致があるような気がします。  
 気の所為かもしれませんが、
ヒルコ・えびす」さまの親神は「わが生める子良くあらず」と「葦船」に乗せて流した、伊邪那岐神伊邪那美神大国主命が居て (  お父さんが二人  ) 捨てる親神と医療神。
 不具の神であり、水蛭子から恵比寿へと昇華・再生を果たした神であり、神とはそういうものかもしれませんが「聖と俗」「生と死」の狭間にいるアンビバレントな神、 そして、多分連載が続いていたら「百鬼丸」のコインの裏になったであろうライバルの名前に「三郎」が入っているのも、意外とこの辺りが元ネタのような気もします。

 また、大塚英志氏も『まんがでわかる物語の学校・㈱角川書店 2013年7月4日発行』【貴種流離譚ヒルコの運命】で、「手塚治虫は関西出身だから西宮神社のこの伝承を知っていた可能性はおおいにあるでしょうね」と、『どろろ』のエピソードを紹介しています。

  

 


 2022年は『鎌倉殿の13人』『平家物語』『犬王』『義経スマホ』と、四回も「平家滅亡」を視聴してしまうという「平家滅亡 year」で、必然的に“烏帽子”を被った殿方をたくさん拝見しました。
 それで、思い出したのが「百鬼丸の着物の紋様」は烏帽子説。
 百鬼丸の着物は烏帽子の折れ皺のデザイン化じゃないか? というもの、
「恵比寿さま」が被っているのは風折烏帽子で、侍烏帽子ではありませんが、「百鬼丸」の元ネタがヒルコで、烏帽子の図案が着物の紋様だとしたら面白いですね。