『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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『シン・仮面ライダー』① 

『シン・仮面ライダー』を観たので、いつもの雑感 ( 雑な感想 )
 ネタバレは気にせず書いているので御注意ください。

 … さて、いつものように遠いところからですが、

 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 無敵の人(むてきのひと)とは、社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を意味するインターネットスラング。2008年に西村博之ひろゆき)が使い始めた。

「無敵の人」というと、以前は「無敵のヒーロー」等の文脈で使用されていたと思うのですが、昨今では上記のスラングのように使用されることも多くなりました。
 んで、「無敵の人」のお話といえば、2019年公開の映画『Joker』
 映画『Joker』は主人公のアーサーが無敵のヴィラン・Jokerになるまでのストーリーで、派遣ピエロをして生計を立て、老母と慎ましい生活を送っていた、気弱で優しい主人公アーサー・フレックがひたすら追い詰められ、ひとつひとつ拠り所を失い、転落していく話で …
 ラストがこの映画の描きたかったものを象徴していると思うのですが、

※この後ラストシーンの描写(ネタバレ)があります。

 


≪ ラスト、ノーメイクのアーサーが手錠を付け、精神分析を受けている。
「ジョークを思いついた」と笑う彼に、カウンセラーはそれを話すように促すが、アーサーは「理解できないさ」と答えない。カウンセリング室? から出たアーサーの足は血まみれで、足跡を残して廊下を歩き、明るい光に満ちた窓の前で踊りだす。すぐに病院の職員に見つかり追いかけられるが、アーサーは廊下を右へ左へ軽やかに逃げ回る ≫

 さて、窓はイコンが「神の国をのぞく窓」であるように、宗教的なモチーフで、光あふれる窓は「救済」を表していて、つまり、血 ( 罪 ) にまみれ苦難の道を歩いてきたものの救済、それは「マイナスストロークストロークを得ること」という、ある意味ミもフタもない話なんですね。
「マイナスストロークストロークを得る」というのは、身近な例えでいうと、皆に相手にされない寂しい子供がわざと汚い言葉遣いをしたり、嫌がらせをして叱られることでストロークを得ようとする行動です。
 悪いことをしている自覚が有っても、人間関係に飢え餓えている人はストロークを求めて、悪い行動とること ( マイナスストローク ) を止めることができません。これは飢餓に陥った人間が、腐っていても、毒になると分かっていても食べられる物を口に入れることに似ています。
 誰からも相手にされず絶望した人はマイナスストロークで他者の反応を得ようとする、優しく話かけても、礼儀正しく振舞っても、反応はもらえなかったけれど、悪事を働くと皆が叱ってくれる、「正義の味方」が追いかけてきてくれるんですね。
 病院の職員 ( バットマンの暗喩 ) に追いかけられ、楽しそうに逃げ回るアーサーは「ヴィラン」である限り、「正義のヒーロー・バットマン」が追いかけてきてくれる罰してくれる存在「Joker」になった。
 それが彼の「救済」、無敵の人とはそういうこと、
 マイナスストロークで自分の承認欲求を満たすしかない、行動がエスカレートして犯罪に走り、身の破滅を招くとしても他者への依存 ( ハラスメント ) は止められない。

 トッド・フィリップス監督は『Joker』公開前のインタビューで、作品のテーマやメッセージについて、「人によっては人道主義者的な映画だとみる人もいることでしょう」「政治的な映画ではない」と述べ、観客に対しても「あなたがこの映画をどのようなレンズを通して見るかによって決まる」と語り、テーマを明確に定義することは避けていましたが、後に ≪ ( 共同脚本の ) スコット・シルヴァーと私が脚本を書くときに取り組んだことは、何か意味のあることをコミック作品の範囲で表現することであり、同時に、私たちが脚本の執筆を始めた2016年の時点で起きていたことに呼応させることでもありました。執筆中の2017年にこの国で起きていたことは明らかでしたし、ジョーカーを用いて慈悲と礼節の欠落についての映画を作りたかったのです ≫ と、語っています。
 誰か一人でも「アーサー」に寄り添う人がいたら、彼が「Joker」に堕ちることは回避できたのでしょうか?
 
 … さて、今回の『シン・仮面ライダー』は、この問いに一つの答えを示していました。

 いろんな価値観が相対化されて、絶対的な正義も絶対悪も定義しにくくなった今を反映して、「世界征服を企む悪の組織 ショッカー」は、今作で「持続可能な幸福へ導く愛(アイ)の秘密結社 SHOCKER」※になりました。
※「SHOCKER・Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling ( 計算機知識を組み込んだ再造形による持続可能な幸福組織 )」 創設者は日本の大富豪で、世界最高の人工頭脳・アイを生み出す計画を立案。その後、人工頭脳に人類を幸福に導く命令を与えた後に自殺。残された人工頭脳・アイは人類を幸福に導くには「最大多数の最大幸福」追求よりも「深い絶望を抱えた個人の救済」を行う行動モデルが重要と演算、アイが演算した行動モデルを実行するために設立された非合法組織。絶望した人間を選択してオーグメンテーション(改造手術)を施術、改造後のオーグへ資金提供も行っている。絶望を抱えた少数の救済のためには非合法的手段を用いることも厭わず、善意? から出発してテロリスト集団になっている矛盾をかかえた組織。

 主役である仮面ライダー・本郷猛とSHOCKERの怪人たちは、どちらも理不尽な暴力や抗いがたい運命に因って深い絶望の淵に立たされた存在で、その絶望から逃れるために自身の幸福追求に余念がない ( 他者の被害は念頭にない ) SHOCKE怪人と、絶望の淵でも力を持たぬ他者のために戦う仮面ライダー・本郷猛が本作の「コインの裏表」です。
そして、
「自分の欲望実現のために周囲を変化させたい、それが他者を害することでも」がSHOCKERの行動動機であり、コインの裏、仮面ライダーは「他者を守る為に自己の内的刷新を果たしたい」と真逆の立場、
 今作のSHOCKEは「深い絶望を抱えた個人の救済」のために絶望した人たちを選んでオーグ ( 怪 人 ) に改造し、力を与えていて 、どのオーグも得た力を自分の欲望というか「幸福追求」のために行使し、他者の不幸には、お構い無しな「歩く災厄」になっていて、反社会的な行動で他者を害することになるとしても自身の欲望が叶うのであれば、躊躇なく実行してしまう存在。
 こちらを「悪」とするなら、この反対側、正義の側は「本郷猛・仮面ライダー」で、彼も「深い絶望」を抱えたキャラクターですが、自分の欲望 ( 本 能 ) のままに他者を害する災厄にはならず、苦しくとも悩んで自分なりの結論を見つけていく、どこか求道者のような存在。 本作のロードームービーっぽさは、この主人公が辿る精神的な旅路の追体験にあるような気もします。
 どれほど絶望しても、直視するのが残酷な現実でも受け入れて、自分なりの答えを見つけ、内的刷新で乗り越えようとする。
 世界や周囲や他者に変化を強いるのでは無く、自分自身の成長で乗り越える。

 今作では「辛いに一足すと幸になる」という台詞が象徴的に何度か出てきます。
 絶望を乗り越えようとするときに「人には人が与えられている」というテーマがストレートに出ていて、信頼できる他者がいる人は「怪人 ( 無敵の人 )」にならない、あっち側に行かない。

 仮面ライダーのマスクは序盤、装着すると本能を開放して暴力への忌避感を麻痺させるオソロシイものとして描かれるんですが、本郷のマスクはルリ子さんがいるから「あたたかく」なる。最後、一文字のマスクも本郷がいるから「あたたかい」
 どれほど絶望していても「人は人で有り続けることができる」「人には人が与えられている」そして、それは「継承」できる。
 そんな、ちょっと照れくさいような、真っ直ぐな『仮面ライダー』映画でした。

 主人公を定型的なヒーローというキャラに描くことが多い「特撮」に求められるのは、改造され※聖痕 ( スティグマ ) を背負う悲哀、それによる孤独はあれど、小揺ぎもしない正義「頼もしいヒーロー」なのでしょう。 そこでは「マスク」もヒーローの匿名性を際立たせる「姥皮」以上のもの足りえないのかもしれません。
 しかし、本作は「特撮ヒーロー」物語の構造上、物語の中で変化させ辛い「特撮ヒーロー」を、( 生き辛さを抱え成長しそこなった者たちの ) 通過儀礼を経て成長するものとして描き、「生身の体の死」という解答を示しました。
 なので、母を失い成長し損ねたイチローと、父を失った過去から逃れられなかった本郷の成長と死を描くラストには、自我と自我とのぶつかり合い「ガチの殺し合い」が必要だったのだと思います。 監督は「本物の殺し合い」と表現していましたが、子供の喧嘩のような「必死さ」が必要だったんだろうな、と、
カソリックにおいて認められている奇跡。信徒の体にキリストが受けたものと同じ傷が外的要因を伴わず現れる … ではなくて、「聖痕」つきのキャラクターは逃れられない宿命を背負い、社会のうちにいられない「境界」に立つ存在であることが多い。手塚キャラクターならブラックジャックの傷、ピノコ百鬼丸のつくりものの体、など
仮面ライダー」では、戦闘時に浮かび上がる傷、改造された体が聖痕、マスクが姥皮でしょうか、

 

≪ 重要なのは、矛盾の “ 間 ” に立つこと、だったんです。今回の仮面ライダーは暴力というものと葛藤している人間で、基本的には “ 戦いたくない ” 男。でも、仮面(マスク)をかぶることで “ 制御できない暴力性 ” が出てしまう。暴力を行使したくないと思ってしまう、『マスクを脱いだ時の “ 人間性 ”』と、『マスクをかぶった時の暴力性』の “ 間 ” ですよね……。この映画は、いわゆる「改造」されてしまった者と、理性のある人間の “ 間 ” に立つ者が、その矛盾と葛藤を乗り越えて、最終的な変身を遂げるストーリーだと思っています。 - 池松 壮亮 ≫

 

 

 今の時代が抱える問題とリンクしつつ普遍的なものは残っている、良い『仮面ライダー』だったと思います。映画を観て気になった方には石ノ森先生の原作もおススメしときます。
そんで『シン仮面ライダー2・仮面の世界(マスカーワールド)』を是非 …

『時代が望むとき、仮面ライダーは必ず蘇る 石ノ森章太郎