『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

手塚治虫ゆかりの神社仏閣

※掲載情報が最新情報とは限りません。人気の授与品・御朱印帳は欠品となっている場合もございます。 必ず御自身で事前情報確認の上、ご参拝ください。


【 千吉稲荷神社・せんきちいなりじんじゃ ( 猫神社 ) 】
 手塚ファンにはおなじみの『猫神社』 手塚先生が少年時代に昆虫採集をして遊んでいたことでファンの間ではつとに有名。( 境内に「手塚治虫 昆虫採集の森」と立札があります ) 小さな御社ですが、今も自然に囲まれ往時の宝塚を忍ぶことができる宝塚の観光スポット。

住所:〒665-0842 兵庫県宝塚市川面6丁目21-48
最寄駅:「阪急宝塚駅」「JR宝塚駅」北へ徒歩10分ほど


常陸國總社宮・常陸國總社宮 ( ひたちのくにそうしゃぐう )】
 石岡市が府中松平藩と呼ばれていた江戸末期、藩主・松平播磨守に手塚先生のご先祖・手塚良庵が仕えていた御縁に因んで、風土記勅撰千三百年の平成25年から手塚先生の作品を象った授与品の授与を開始。
火の鳥』ヤマト編に登場するヤマトタケルの御守り・絵馬、ジャングル大帝御朱印帳など授与品がバラエティに富んでいてHPも楽しい、参拝が難しい方のために郵送での授与申込みも有り。
御朱印御朱印帳は参拝の証のため、郵送による授与は無し

住所:〒315-0016 茨城県石岡市総社2丁目8-1
TEL:0299-22-2233
最寄駅:JR東日本常磐線 石岡駅、徒歩で約18分(約1.4km)
バス:関鉄グリーンバス(柿岡車庫行き)で、「宮下町」バス停下車 
車:常磐自動車道 千代田石岡ICから、約5分(約3.3km) - 茨城県道138号石岡つくば線沿い


伊勢国一之宮 椿大神社(つばきおおかみやしろ)】
 猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る神社の総本社。
椿大神社HPより
伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています ≫
 御祭神の「猿田彦大神」「天之鈿女命」に因んだ『火の鳥』コラボ御朱印帳が好評。

住所:〒519-0315 三重県鈴鹿市山本町1871番地
TEL:059-371-1515 FAX:059-371-1668
・交通アクセス
東名阪自動車道 鈴鹿インターより10分(名古屋より約40分、大阪より2時間)
新名神鈴鹿PAより2分(スマートインターのため、ETC車のみ出入り可能)
無料駐車場あり
近鉄四日市駅下車・三重交通バスにて椿大神社行き、約55分
JR四日市駅下車・三重交通バスにて椿大神社行き、約1時間
近鉄田町駅・JR加佐登駅から、鈴鹿市コミュニティバス(C-BUS、椿・平田線(循環あり))で「椿大神社」バス停下車


【 伊和志津神社 ( いわしづじんじゃ)】
 兵庫県宝塚市の「伊和志津神社」、昭和36年に手塚先生が太鼓を叩くアトムの絵を例大祭の雪洞として奉納。この縁で、友禅染めで描かれた『特別コラボ朱印帳手塚治虫ワールド)』『医療成就絵馬(ブラック・ジャック)』授与を開始。手塚キャラクターが伊和志津神社を参拝する春夏秋冬特別御朱印は昨年12月から領布開始で、現在は第三弾、( 令和5年6月1日~令和5年8月31日 ) 領布中、第四弾は ( 令和5年9月1日~令和5年11月31日 )
伊和志津神社の木田宮司は『医療成就絵馬』で「(ブラック・ジャックが ) メスではなく、クローバーを持っているのは、長引く新型コロナウイルス禍の中で、多くの人に幸せになってもらいたいという思いを込めています」と話しています。
 御朱印御朱印帳は郵送対応あり。詳細はHPにて、

住所:〒665-0033 兵庫県宝塚市伊孑志1-4-3
TEL:0797-72-3265 FAX:0797-72-3267
阪急今津線逆瀬川駅下車 東出口から徒歩6分


神田神社神田明神  )】
・東京都神社庁HPより
天平二年の創建と伝えられ、今の大手町にあった。平将門公の首塚が百歩の地にあり、延慶二年に将門公の霊を相殿に祀り、神田明神と名付けられる。元和二年現在地へ遷座し、江戸城の艮鬼門の守護神として歴代将軍の尊崇厚く江戸総鎮守となる ≫
 正式名称・神田神社。 東京の中心部、神田・日本橋秋葉原・大手丸の内・旧神田市場築地魚市場 ー 108町会の総氏神様。御祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・平将門命(たいらのまさかどのみこと)」
 日本三大祭り及び江戸三大祭りのひとつ「神田祭」は全国的にも有名。
 また、近年は『ラブライブ!』や『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など人気作品とのコラボやイベントで世間の衆目を集めています。
 多くの作品とコラボしたグッズ、御朱印帳があり、手塚作品では「鉄腕アトムお茶の水博士」が御朱印帳に、
 商売繁盛など定番のお守り以外にも、秋葉原電気街へ徒歩5~10分と近く、ビジネスマンの参拝も多い為か神田明神独自の「IT情報安全守護お守り」が好評。

住所:〒101-0021 東京都千代田区外神田2-16-2
TEL:03-3254-0753 FAX:03-3255-8875
最寄駅
JR:中央線・総武線御茶ノ水駅」(聖橋口)より徒歩5分
京浜東北線・山手線「秋葉原駅」(電気街口)より徒歩7分
東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅」(1番口)より徒歩5分
東京メトロ千代田線「新御茶ノ水駅」(B1出入口)より徒歩5分
東京メトロ銀座線「末広町駅」より徒歩5分
東京メトロ日比谷線秋葉原駅」より徒歩7分


【 曹源寺 】
 天正16年(1588)年、現在の江戸城和田倉門付近で創建。天正19年には湯島天神下に移築。江戸時代1657年に振袖火事とも言われる明暦の大火で被災し、現在の場所に再建されました。1814年に河童伝説の主役とも言える合羽屋の喜八を埋葬したことが縁となり、現在でも「かっぱ寺」と親しまれています。
 境内には河童の像が多数安置され、河童の好物胡瓜が常にお供えされています。河童大明神をお祀りした河童堂の天井には、多くの作家から寄進された河童の絵が奉納されており、手塚治虫先生と水木しげる先生のかっぱ絵が見られることで有名。
 また、曹源寺には信者から寄進された「河童の手のミイラ」も奉納されています。
※堂内・「河童の手のミイラ」見学には事前予約が必要

住所:〒111-0036 東京都台東区松が谷3-7-2
TEL:03-3841-2035
FAX:03-5828-0345
最寄駅
JR上野駅徒歩20分 地下鉄銀座線 稲荷町駅 徒歩12分
地下鉄 日比谷線入谷駅 徒歩12分
つくばエクスプレス浅草駅A2出口 徒歩10分(徒歩で一番近い駅)
合羽橋本通り商店街添


【 荏柄天神社・えがらてんじんしゃ 】
 福岡県の太宰府天満宮京都府北野天満宮とともに、日本三古天神に数えられる古社(諸説あり)
 1971年(昭和46年)河童の漫画で知られる、清水昆先生が愛用の筆を荏柄天神社に奉納、境内にかっぱ筆塚が建立されました。 その後、清水先生の遺志を継ごうと、横山隆一先生・小島功先生が発起人となり、漫画家154人による河童レリーフが飾られたブロンズ製の絵筆塚が1989( 平成 元 )年に建てられ、手塚先生も可愛い「アトム河童」の絵を寄せています。
 毎年10月の第1か第2の日曜日に、清水崑先生を偲ぶ「絵筆塚祭」が開催され、参道には有名漫画家による漫画絵行灯が並び、賑わいを見せています。

住所:〒248-0002 神奈川県鎌倉市二階堂74
TEL:0467-25-1772
鎌倉駅から「大塔宮」行バス「天神前」下車

 

 

 

『シン・仮面ライダー』②

 “ ネタバレ” 気にせず書いているので御注意ください。
 

 


 これまた、映画『シン・仮面ライダー』を観ていないとさっぱり? な内容になっております。
 観ていてもさっぱりとも思うんですが …
 困ったお兄ちゃんの話です。

【 緑川 イチロー(みどりかわ イチロー) / 仮面ライダー第0号・チョウオーグ 】
 緑川弘博士の息子で、ルリ子の兄、無差別殺傷事件で母親を亡くした。
 事件後、世界に絶望し、父とともに「ショッカー」に所属、後に改造される。自らの理想とする争いのない「ハビタット世界」の実現を求めている。仮面ライダー第0号・チョウオーグとして高い戦闘力を持つ。
 幼いころに無差別殺人犯に母親を殺害された事件をきっかけとして「暴力の無い世界を作りたい」と強い願望を抱き、自分も含む全ての人類をハビタット世界へと送る「ハビタット計画」を立案した。ハビタット世界はプラーナ=人間の魂のみ存在できる世界で、嘘が無い他者を完全に理解できる世界とされているが、同時に人間が自我を保てない地獄のような世界ともいえる。
 … 「他我をいかに認識ないし経験できるのか」という哲学の他我問題が解決しそうな計画ですが、煩悩まみれの身の上から、いきなり解脱させられるの辛いと思うんですが、お兄ちゃん …

 そんで、イチローお兄さんの “ チョウオーグ ” は、原作のこの怪人とか、イナズマンかなぁ、と思っていたのですが、

 ポスターが発表されて、お兄さん弥勒菩薩 なの ?
 と、いろいろリンクして面白かったので、
 いつもの理屈と膏薬はどこにでもくっつくでございます。

弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。
弥勒は音写であり、「慈しみ」( 梵: maitrī, 巴: mettā )を語源とするため、慈氏菩薩( “ 慈しみ ” という名の菩薩 )とも意訳する。
また弥勒菩薩マイトレーヤ )は、名の語源を同じくする事から、ミスラを起源とする説も唱えられている。これによると、弥勒菩薩の救世主的性格はミスラから受け継いだものだという ≫
≪ ミスラ( Mitra )は、イラン神話に登場する英雄神として西アジアからギリシア・ローマに至る広い範囲で崇められた神。インド神話の神ミトラmitraと起源を同じくする、インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格である。その名は本来「契約」を意味する ≫
≪ インドのミトラ - インド神話では、契約によって結ばれた「盟友」をも意味し、友情・友愛の守護神とされるようになった。また、インドラ神など他の神格の役割も併せ持った。『リグ・ヴェーダ』ではアディティの産んだ十二柱の太陽神( アーディティヤ神群 )の一柱で、毎年6月の一カ月間、太陽戦車に乗って天空を駆けるという。また、同じくアーディティヤ神群の一柱であるヴァルナとは表裏一体を成すとされる。この場合、ミトラが契約を祝福し、ヴァルナが契約の履行を監視し、契約に背いた者には罰を与えるという ≫
 - Wikipediaより

 … で、
 ミトラとは、インドのミトラと対応し、後には密儀宗教 ⇒ ミトラ教の主神格として、その崇拝が西ヨーロッパの各地にまで広まったペルシアの神で、元は、インドのミトラ ( ※ リグ・ヴェーダでは契約と友愛の神 ) と同様、契約・友誼・信義などを守護し正義を司る、司法者的性格の最高神で、サンスクリット語では計量者を意味します。
 ペルシアにおいても契約の神でしたが、次第に光明神的性格が強くなり、曙光神・太陽神・戦闘神と変化、のちには太陽神と同一視されるようになって、ローマに入りミトラ教の主神となりました。ゾロアスター教聖典『アベスタ』には、棍棒を武器にして悪魔を退治する勇猛な戦神として登場しています。
※『リグ・ベーダ』ではミトラに捧げられた独立賛歌は一編のみで、それによれば、彼は恩恵に富み、困厄から人間を救い、広大にして威力があり、まばたきすることなく人間を監視する。彼はまた人々を合意、一致に導く。人間は固くミトラの掟を守り、その好意と友情とに安住することを念願した。

【 慈 悲 】
仏教用語。 原語はどちらか一つの場合も両方の場合もある。「慈」「悲」とは同格であり、2語間には多少の意味上の相違がある。「慈」はサンスクリット語で、maitrī ( マイトリー ) を原語とし、これはmitra (ミトラ ) から派生した抽象名詞で、あらゆる人に平等に注がれる最高の友情、友愛という意味。「悲」はあわれみ、同情の意でkarunā ( カルナー ) を原語とし、嘆きを原義とする。他人の嘆きと同化し、みずからも嘆きをともにするとき、他人に対する最も深い理解が生じると説く、仏教の根本的倫理観念の一つ。

 - と、弥勒菩薩マイトレーヤ ( ミトラ ) の周辺を列挙してみるといろいろ面白いですね。 契約と友愛の神から戦闘神への変化とか、釈迦牟尼仏の次に仏になると約束された菩薩で、釈尊の入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、人々を救済する未来仏。
 とか、“ ハビタット計画 ” っぽいですし、
 んで、
 もう一つ気になるのは

常世神 】
 『日本書紀』によると、皇極天皇3年 ( 644年  )7月に、東国、富士川の辺の人・大生部多 ( おおふべのおお ) が村人に虫を常世神として祀ることを勧め、巫覡(かんなぎ)等も神託があったと説き「富を捨てて、常世神を祀れば、さらなる富と長寿を得る」と触れ回った。
 人々は「常世虫」を清座に祀り財産を棄捨し、歌い舞って常世神のもたらす福を求めた。信仰は都でも流行り、山城国の豪族・秦造河勝 ( はたのみやつこかわかつ ) が、大生部多を討伐した、当時の新興宗教、あるいは宗教的民衆運動。
 この宗教で祀られていた「常世虫」は『日本書紀』に「この虫は、常に橘の樹に生る。あるいは山椒に生る。長さは4寸余り、親指ぐらいの大きさである。その色は緑で黒点がある。形は全く蚕に似る」と記されていて、現在のアゲハチョウの幼虫ではないかと考えられている。

「チョウ」オーグは偽神と ( 強引に ) 解釈できたり ? …
 多くの衆生を救済する「弥勒菩薩・慈氏菩薩 ( “ 慈しみ ” という名の菩薩 )」は偽り、兜率天じゃなくて衆生は地獄 ( ハビタット世界 ) 行き、
 まぁ、解脱したくないのに、いきなり涅槃に転移させられてもみんな困るというか、その準備ができていない煩悩まみれの人が「ハビタット世界」に行ってもダメじゃん? って、思うんですけども  … 精神のみでつながっても、気の合うもの同士コロニー作ると思うんですよね、向こうで、 そんで、現世よりもぼっちな人が浮き彫りになる地獄絵図になったりしないのかなぁ、
 知らんけど …
 全人類を自分の思うがままにしたい「ハビタット世界」に送りたい、人類の自我 ( ego ) を消そうとしたお兄ちゃんが一番自我強い、この矛盾。
 偽りの神になろうとした男を、ルリ子さんとWライダーが「友愛」でぶん殴りに行くのが熱い展開で、ラストは自我と自我のぶつかり合いだから子供の喧嘩、肉弾戦にならざる終えないのも已んぬる哉。 

 ポスターは「衆生を救済しようとした/仮面ライダー第0号」で “ 弥勒菩薩 ” のポーズ以上の意味は無いと思いますが、映画を観ているときに “ チョウオーグ ” ⇒「チョウチョ = 常世虫」と連想して “ ハビタット世界 ” は「常世」とか「浄土」の暗喩? と、思ったので、この有様でございます。庵野監督、諸星大二郎ファンだそうですし … 

【 緑川 イチロー ・チョウオーグ 】は森山未來氏の出演した舞台『髑髏城の七人』の天魔王をイメージしていて、森山氏も天魔王のように静かで淡々とした口調で演じているということで、『シン・仮面ライダー』鑑賞時の「どこかでみたような …」という既視感の正体はこれかと思ったんですけれど、もう一つ「これは?」と思ったのが「赤いマフラー」をルリ子さんからもらうシーンで、偶然だと思うんですが北村想氏の『最後の淋しい猫』、アリスから赤いマフラーを貰うロクちゃん … 
 演出・美術含めて、どこか「舞台演劇」っぽさのある映画でしたね。

 

 

 

 “ 常世神 ” が気になった方、伝奇ものが好きで呪術に興味がある方には、中島らも先生の『カダラの豚』を、おススメしておきます、ふふふ …

『シン・仮面ライダー』① 

『シン・仮面ライダー』を観たので、いつもの雑感 ( 雑な感想 )
 ネタバレは気にせず書いているので御注意ください。

 … さて、いつものように遠いところからですが、

 出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 無敵の人(むてきのひと)とは、社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を意味するインターネットスラング。2008年に西村博之ひろゆき)が使い始めた。

「無敵の人」というと、以前は「無敵のヒーロー」等の文脈で使用されていたと思うのですが、昨今では上記のスラングのように使用されることも多くなりました。
 んで、「無敵の人」のお話といえば、2019年公開の映画『Joker』
 映画『Joker』は主人公のアーサーが無敵のヴィラン・Jokerになるまでのストーリーで、派遣ピエロをして生計を立て、老母と慎ましい生活を送っていた、気弱で優しい主人公アーサー・フレックがひたすら追い詰められ、ひとつひとつ拠り所を失い、転落していく話で …
 ラストがこの映画の描きたかったものを象徴していると思うのですが、

※この後ラストシーンの描写(ネタバレ)があります。

 


≪ ラスト、ノーメイクのアーサーが手錠を付け、精神分析を受けている。
「ジョークを思いついた」と笑う彼に、カウンセラーはそれを話すように促すが、アーサーは「理解できないさ」と答えない。カウンセリング室? から出たアーサーの足は血まみれで、足跡を残して廊下を歩き、明るい光に満ちた窓の前で踊りだす。すぐに病院の職員に見つかり追いかけられるが、アーサーは廊下を右へ左へ軽やかに逃げ回る ≫

 さて、窓はイコンが「神の国をのぞく窓」であるように、宗教的なモチーフで、光あふれる窓は「救済」を表していて、つまり、血 ( 罪 ) にまみれ苦難の道を歩いてきたものの救済、それは「マイナスストロークストロークを得ること」という、ある意味ミもフタもない話なんですね。
「マイナスストロークストロークを得る」というのは、身近な例えでいうと、皆に相手にされない寂しい子供がわざと汚い言葉遣いをしたり、嫌がらせをして叱られることでストロークを得ようとする行動です。
 悪いことをしている自覚が有っても、人間関係に飢え餓えている人はストロークを求めて、悪い行動とること ( マイナスストローク ) を止めることができません。これは飢餓に陥った人間が、腐っていても、毒になると分かっていても食べられる物を口に入れることに似ています。
 誰からも相手にされず絶望した人はマイナスストロークで他者の反応を得ようとする、優しく話かけても、礼儀正しく振舞っても、反応はもらえなかったけれど、悪事を働くと皆が叱ってくれる、「正義の味方」が追いかけてきてくれるんですね。
 病院の職員 ( バットマンの暗喩 ) に追いかけられ、楽しそうに逃げ回るアーサーは「ヴィラン」である限り、「正義のヒーロー・バットマン」が追いかけてきてくれる罰してくれる存在「Joker」になった。
 それが彼の「救済」、無敵の人とはそういうこと、
 マイナスストロークで自分の承認欲求を満たすしかない、行動がエスカレートして犯罪に走り、身の破滅を招くとしても他者への依存 ( ハラスメント ) は止められない。

 トッド・フィリップス監督は『Joker』公開前のインタビューで、作品のテーマやメッセージについて、「人によっては人道主義者的な映画だとみる人もいることでしょう」「政治的な映画ではない」と述べ、観客に対しても「あなたがこの映画をどのようなレンズを通して見るかによって決まる」と語り、テーマを明確に定義することは避けていましたが、後に ≪ ( 共同脚本の ) スコット・シルヴァーと私が脚本を書くときに取り組んだことは、何か意味のあることをコミック作品の範囲で表現することであり、同時に、私たちが脚本の執筆を始めた2016年の時点で起きていたことに呼応させることでもありました。執筆中の2017年にこの国で起きていたことは明らかでしたし、ジョーカーを用いて慈悲と礼節の欠落についての映画を作りたかったのです ≫ と、語っています。
 誰か一人でも「アーサー」に寄り添う人がいたら、彼が「Joker」に堕ちることは回避できたのでしょうか?
 
 … さて、今回の『シン・仮面ライダー』は、この問いに一つの答えを示していました。

 いろんな価値観が相対化されて、絶対的な正義も絶対悪も定義しにくくなった今を反映して、「世界征服を企む悪の組織 ショッカー」は、今作で「持続可能な幸福へ導く愛(アイ)の秘密結社 SHOCKER」※になりました。
※「SHOCKER・Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling ( 計算機知識を組み込んだ再造形による持続可能な幸福組織 )」 創設者は日本の大富豪で、世界最高の人工頭脳・アイを生み出す計画を立案。その後、人工頭脳に人類を幸福に導く命令を与えた後に自殺。残された人工頭脳・アイは人類を幸福に導くには「最大多数の最大幸福」追求よりも「深い絶望を抱えた個人の救済」を行う行動モデルが重要と演算、アイが演算した行動モデルを実行するために設立された非合法組織。絶望した人間を選択してオーグメンテーション(改造手術)を施術、改造後のオーグへ資金提供も行っている。絶望を抱えた少数の救済のためには非合法的手段を用いることも厭わず、善意? から出発してテロリスト集団になっている矛盾をかかえた組織。

 主役である仮面ライダー・本郷猛とSHOCKERの怪人たちは、どちらも理不尽な暴力や抗いがたい運命に因って深い絶望の淵に立たされた存在で、その絶望から逃れるために自身の幸福追求に余念がない ( 他者の被害は念頭にない ) SHOCKE怪人と、絶望の淵でも力を持たぬ他者のために戦う仮面ライダー・本郷猛が本作の「コインの裏表」です。
そして、
「自分の欲望実現のために周囲を変化させたい、それが他者を害することでも」がSHOCKERの行動動機であり、コインの裏、仮面ライダーは「他者を守る為に自己の内的刷新を果たしたい」と真逆の立場、
 今作のSHOCKEは「深い絶望を抱えた個人の救済」のために絶望した人たちを選んでオーグ ( 怪 人 ) に改造し、力を与えていて 、どのオーグも得た力を自分の欲望というか「幸福追求」のために行使し、他者の不幸には、お構い無しな「歩く災厄」になっていて、反社会的な行動で他者を害することになるとしても自身の欲望が叶うのであれば、躊躇なく実行してしまう存在。
 こちらを「悪」とするなら、この反対側、正義の側は「本郷猛・仮面ライダー」で、彼も「深い絶望」を抱えたキャラクターですが、自分の欲望 ( 本 能 ) のままに他者を害する災厄にはならず、苦しくとも悩んで自分なりの結論を見つけていく、どこか求道者のような存在。 本作のロードームービーっぽさは、この主人公が辿る精神的な旅路の追体験にあるような気もします。
 どれほど絶望しても、直視するのが残酷な現実でも受け入れて、自分なりの答えを見つけ、内的刷新で乗り越えようとする。
 世界や周囲や他者に変化を強いるのでは無く、自分自身の成長で乗り越える。

 今作では「辛いに一足すと幸になる」という台詞が象徴的に何度か出てきます。
 絶望を乗り越えようとするときに「人には人が与えられている」というテーマがストレートに出ていて、信頼できる他者がいる人は「怪人 ( 無敵の人 )」にならない、あっち側に行かない。

 仮面ライダーのマスクは序盤、装着すると本能を開放して暴力への忌避感を麻痺させるオソロシイものとして描かれるんですが、本郷のマスクはルリ子さんがいるから「あたたかく」なる。最後、一文字のマスクも本郷がいるから「あたたかい」
 どれほど絶望していても「人は人で有り続けることができる」「人には人が与えられている」そして、それは「継承」できる。
 そんな、ちょっと照れくさいような、真っ直ぐな『仮面ライダー』映画でした。

 主人公を定型的なヒーローというキャラに描くことが多い「特撮」に求められるのは、改造され※聖痕 ( スティグマ ) を背負う悲哀、それによる孤独はあれど、小揺ぎもしない正義「頼もしいヒーロー」なのでしょう。 そこでは「マスク」もヒーローの匿名性を際立たせる「姥皮」以上のもの足りえないのかもしれません。
 しかし、本作は「特撮ヒーロー」物語の構造上、物語の中で変化させ辛い「特撮ヒーロー」を、( 生き辛さを抱え成長しそこなった者たちの ) 通過儀礼を経て成長するものとして描き、「生身の体の死」という解答を示しました。
 なので、母を失い成長し損ねたイチローと、父を失った過去から逃れられなかった本郷の成長と死を描くラストには、自我と自我とのぶつかり合い「ガチの殺し合い」が必要だったのだと思います。 監督は「本物の殺し合い」と表現していましたが、子供の喧嘩のような「必死さ」が必要だったんだろうな、と、
カソリックにおいて認められている奇跡。信徒の体にキリストが受けたものと同じ傷が外的要因を伴わず現れる … ではなくて、「聖痕」つきのキャラクターは逃れられない宿命を背負い、社会のうちにいられない「境界」に立つ存在であることが多い。手塚キャラクターならブラックジャックの傷、ピノコ百鬼丸のつくりものの体、など
仮面ライダー」では、戦闘時に浮かび上がる傷、改造された体が聖痕、マスクが姥皮でしょうか、

 

≪ 重要なのは、矛盾の “ 間 ” に立つこと、だったんです。今回の仮面ライダーは暴力というものと葛藤している人間で、基本的には “ 戦いたくない ” 男。でも、仮面(マスク)をかぶることで “ 制御できない暴力性 ” が出てしまう。暴力を行使したくないと思ってしまう、『マスクを脱いだ時の “ 人間性 ”』と、『マスクをかぶった時の暴力性』の “ 間 ” ですよね……。この映画は、いわゆる「改造」されてしまった者と、理性のある人間の “ 間 ” に立つ者が、その矛盾と葛藤を乗り越えて、最終的な変身を遂げるストーリーだと思っています。 - 池松 壮亮 ≫

 

 

 今の時代が抱える問題とリンクしつつ普遍的なものは残っている、良い『仮面ライダー』だったと思います。映画を観て気になった方には石ノ森先生の原作もおススメしときます。
そんで『シン仮面ライダー2・仮面の世界(マスカーワールド)』を是非 …

『時代が望むとき、仮面ライダーは必ず蘇る 石ノ森章太郎

『メトロポリス』

メトロポリス』は、手塚治虫氏の同名漫画『メトロポリス』を原作として制作されたアニメーション映画。 登場人物の設定等に変更があり、ストーリーも原作から異なったものとなっている。2001年(平成13年)5月26日劇場公開。 りんたろう監督、大友克洋脚本、アニメーション制作会社はマッドハウス

【 あらすじ 】
 人類とロボットが共存し、高層建造物が立ち並ぶ華やかな巨大都市国家メトロポリス」、この都市は新しく建造された巨大塔「ジグラット」落成の祝賀ムードに包まれていたが、祝賀の華やかさとは裏腹に下層の貧民街では、ロボットによって職を失った貧民層が、現体制への不満とロボットに対する差別感情を燻ぶらせていた。
 そして、「ジグラット」建造を主導したメトロポリスの有力者「レッド公」は国際手配犯のサイエンティスト「ロートン博士」に依頼して、人類を超越したロボットを密かに制作、極秘にある計画を進めていた。
 しかし、レッド公の養子で政治結社マルドゥク党のリーダー「ロック」はレッド公の計画を知り反発。独断でロートン博士の研究所を強襲し「超人 ( ロボット )」を破壊する。ロートン博士を追ってメトロポリスを訪問していた「私立探偵・伴俊作」とその甥「ケンイチ」は、研究所の火事に遭遇。伴俊作とはぐれたケンイチは不思議な美少女「ティマ」と出会う。

 米国でも劇場公開された本作品は、米国の映画批評家からの好評を得て、米国映画評価ウエブサイトRotten Tomatoesで91点を獲得。映画評論家ロジャー・イーバートは、満点評価を与え、アニメ史上最高の作品の一つであると賞賛し、緻密な作画の質とテーマ性を高く評価している。 しかし、『メトロポリス』総制作費は10億円、国内興行収入は7.5億円と興行的に成功したとは言い難く、原作から大幅に内容が改変されたこともあり、公開時には賛否両論の評価・感想がみられた。

 

 さて、ここからは私の私見ですが、本作の米国での高評価は、
 天にも届く塔に超人の座、神を超越しようとした人の傲慢による塔 ( バベル ) の崩壊。父と息子、兄弟間の相克、レッド公を挟んでロボットのティマと養子のロックは疑似的な兄弟関係にあり、どちらかが親 ( 創造主 ) に愛され、もう片方が愛された兄弟を憎悪する構図は聖書の「カインとアベル」。 ロボット ( 移 民 ) が現れたことにより労働を奪われ貧困にあえぐ市民が為政者でなくロボットに怒りの矛先を向け、ラストに向かって雪崩を打つように同時多発の都市崩壊。
ー と、聖書に由来するモチーフと移民国家である米国にはおなじみの舞台が関係しているような気がします。

 また、この『メトロポリス』には面白いキャラクターの計算がされていて、
 ミッチィ − ロック = アトム
 どこで拝読したのか失念したのですが、原作ミッチィから ( 悪 役 ) ロックを引くと無垢なロボット・アトムになるという説。
 この映画「メトロポリス」でいうと、
 ミッチィ ( 両性具有 ) - ロック ( 男 性 ) = ティマ ( 少 女 )
 原作ミッチィから父 ( 創造主 ) との相克・憎悪等、負の部分を抜き出した後の無垢な存在がティマという訳です。ここに正義感の強い「ケンイチ」が絡むと単純な善悪の二項対立じゃない三角関係が出来上がり、舞台となった「メトロポリス」も為政者と貧困に喘ぐ都市貧民の対立に、さらに虐げられているロボットがいて、これも三角関係。
 そして、ストーリーは同時多発に進行し、ラストの都市崩壊に向けて一気に雪崩込んでいく、 … ので、登場キャラクターがさほど多いわけでは無く、それほど入り組んだストーリーラインでも無いのですが、やや複雑で解りにくい印象を受けるので、
これが一部酷評につながっている原因の一つでは無いでしょうか ?

 

 

 演出として狙っているモブシーンの混沌 ( 同時多発 ) 、挿入曲のジャズも含めて、個人の好みの会う合わない ( 感想の良・否 ) がはっきり分かれる作品となっている様で、辛口レビューが多いのも、この辺りが原因 ? ですかねぇ、
 私は「同時多発」が好きなので快哉を叫んだ口ですが、
 当時の「ぴあ」での評価はこんな感じですね。

 

 

 また、この『メトロポリス』と同時期には※1『スチームボーイ』が製作中で、この作品のタイトルは『鉄腕アトム』の米題『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』へのオマージュで、内容もそれを意識したものになっています。
 本作の主人公「ジェームス・レイ・スチム」少年は天才家系の「スチム家」に生まれ、祖父も父も本人も天才科学者で、ストーリーはその祖父と父が共同開発した「スチームボール」が発端となって展開されるのですが、これは人類にとって「危険な新兵器」にも「福音をもたらす偉大な発明」にもなりうるエネルギーを秘めていて、それを「新兵器」に使いたい父ちゃんと、それを阻止しようとするじいちゃんの「壮大な ( イギリス全土を巻き込んだ ) 親子喧嘩」なんですね、この話は、
 レイ少年は、お父さんとじいちゃんの板挟みになって「天才」なのにオロオロするしかなくて※2、これは十万馬力のロボットなのに、お父さんの天馬博士に苦労する「アトム」と同じで、子供の背負っている「何か」、アトムの命題では呪いと表現されていましたが「子供の弱さ」、そこから派生する辛さも描いている冒険譚なんです。

 

メトロポリス』で名探偵ヒゲオヤジの相棒にロボット刑事「ペロ」という配役もなかなかに憎い演出で、大友先生の手塚愛は良いんですよ、
続編の『スチームガール』、 お嬢様の大活躍が観たかったな …

 

※1『スチームボーイ』(STEAMBOY)は、大友克洋氏が監督した『AKIRA』『MEMORIES』に続く劇場公開アニメ映画。製作期間9年、製作費24億円、作画枚数18万枚で描く 19世紀、架空のロンドンを舞台に繰り広げられるスチームパンク空想科学冒険活劇。
19世紀半ば、産業革命で社会構造の変革を迎え繁栄する大英帝国。発明の好きな天才少年レイは、祖父と父が開発した世紀の発明“スチームボール”をめぐる陰謀に巻き込まれていく。スチームのゆらぎなどの“質感”の描写、19世紀英国の風景や建築物に基づく緻密で美しい背景美術、メカデザインへの徹底的なこだわりなど見どころも多い「冒険活劇」だったが、日本国内における興行収入は11億6000万円に留まり、興行的には成功したとは言い難い結果となった。

※2 最後にレイは祖父の意思を継いで父の野望を阻止するためにー“スチームボーイ”になるんですが、…というか、この話はレイ君が“スチームボーイ”になるまでの冒険を描いていて、この後も、彼はおとんに苦労させられながら活躍するんだろうな “スチームボーイ”の今後の活躍を刮目して待て! みたいな感じで終わるんですよ。

水星の魔女

 さて、去年は素敵なアニメ作品が目白押しで、製作スタッフの皆様に感謝しつつ楽しく視聴しておりました。そのひとつ『機動戦士ガンダム・水星の魔女』は『鉄血のオルフェンズ』以来五年ぶりのガンダムシリーズということで放映以前から話題になっており、1クールの最終回を終え、ネットは嬉しい? 悲鳴で阿鼻叫喚の様相を呈し、早くも今年四月からの2クールに熱い期待が注がれているようです。

 この『水星の魔女』主人公「スレッタ・マーキュリー」が『PROLOGUE』に出てきた「エルノラの娘、エリクト・サマヤ」の成長した姿とすると作中の時系列を含め、いろいろ辻褄が合わないので、何らかの理由で愛児を失ったプロスペラ ( = エルノラ ) の作成したクローン?  GANDシステムを使った全身義体? と様々な考察がネットを賑わしています。
 2話でスレッタが検査着を着ていた姿から考えると全身義体は無さそうですが…
 クローン体説は、お母さんは自分の卵子も子宮も使うことができるので有りそうですね。この時代のクローン技術がどうなっているのかはわかりませんが、
ー と、つらつら考えていて … 思い出したのがみなもと先生の『トビオコンプレックス』、前回記事のみなもと先生のエッセイです。 とはいえ、仮面のお母さんの目的は何なのか? が、1クール終了の時点で判然としていないので ( 復讐だけでも、「愛娘」を取り戻すことだけでも無い様子ですしねぇ … ) まだ何とも言えない状況ですが、
 また『機動戦士ガンダム・水星の魔女』は登場人物の名称等からシェイクスピアの『テンペスト』を下敷きにしているという考察もあり、復讐と呪いは、この作品の外せないコンセプトのようで … それこれを踏まえて、この物語の対立軸と、その対立する二項を推理すると、二項は「大人 ( 過去 ) と成長過程にある子供 ( 未来 )」「呪いと寿ぎ( = 祝福 )」でしょうか、
 復讐は過去にとらわれることであり、子供たちが未来 ( 成長 ) を指していると思うので、この物語の対立軸は「復讐あるいは過去にとらわれた大人と過去に心的外傷を追うほどの体験をした大人が親だった為に成長し辛さ ( 呪 い ) を抱えた子供」で、この対立軸から考えられる物語のテーマと結末は「呪われた子供の成長 ( = 祝福 )」でしょうか、

≪ どうしても物語というのは、二項対立にならざるを得ない。二項対立でないと、実は物語それ自体が成り立たない ≫

 また、呪い ( 兵 器 ) と寿ぎ ( 医療技術 ) という二面性をもつGAND技術も『エアリアル』という自我を持っている? 機体も、面白い「姥皮」です。(『エアリアル』は「姥皮」というより、「主人公」のひとりかもしれませんが ) まあ、科学技術自体がこの二面性をもつものなんですけども …

 巨大ロボット物の「ロボット」が主人公の「姥皮 = 移行対象」であることは、※大塚英志先生のご指摘の通りで、主人公の成長 = 物語の最後に失われる ( 破壊される ) 筋立ては多くの作品で見られます。 エヴァの「アンビリカルケーブル (Umbilical cable)」は、文字通り、「へその緒 (Umbilical cord)」ですし、今作の「エアリエル」と「スレッタ・マーキュリー」もケーブル ( ハーネス? 特に意味はないかもしれませんが ) で繋がれています。 物語の最後にどのような「成長」が成されるのか解りませんが「移行対象」としての機体を必要としなくなる結末 ? になるのではないかと思います ?
「学園もの」の結末に「卒業」は少なく無く、『キルラキル』も「極制服」( 移行対象・姥皮 )を脱いで「卒業」、『少女革命ウテナ』ではアンシーの移行対象であるウテナが消え、卒業の代わりにアンシーが「門を出る」最終回でしたし、

 

※ 第2項 ートトロもエヴァンゲリオンも「ライナスの毛布」である
≪ そう考えると、この主人公の成長を促し、かつ子供と大人の不安定な時期を庇護するために纏う「ライナスの毛布」のバリエーションとしては『機動戦士ガンダム』のモビルスーツや『新世紀エヴァンゲリオン』のエヴァ・シリーズも同じ質のものかもしれません。モビルスーツなど、まさに「スーツ」、つまり身に纏うもの、なのですから。数多くあるロボットアニメーションの中でも「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」が特別な存在であり続けられるのは、思春期の少年たちにとっての「ライナスの毛布」としてのロボットを描いているからといえるかもしれません。 【キャラクターメーカー―6つの理論とワークショップで学ぶ「つくり方」・大塚英志】 (アスキー新書) – 2008/4/1 ≫


 幼児的万能感を満たすための姥皮 ( = ライナスの毛布 ) が必要なくなったとき、疑似的な「子宮」から自分で自分自身を生み出すことが「成長」なのかもしれません。
 スレッタちゃんの場合はミオリネさんが産婆さんとしてサポートしてくれそうですが ?


≪ 成長の意味とは、誰からも自分が必要とするものをもらえなくても、自分で獲得できるということである ー ハリウッド脚本術:ニール・D・ヒックス ≫

 

 

 

 

トビオコンプレックス

文藝別冊【 総特集・手塚治虫 】 河出書房新社・1999年5月25日発行
手塚作品を読む・みなもと太郎『トビオコンプレックス』
≪ さて、クローン技術は一九九九年現在、一、二の国で「クローン人間」の実験に手を染めた。人間を誕生させたわけではないが、細胞がある段階まで分裂した時点で意識的に中止したのだ。 リーチどころか、もう人類は20世紀の終りに当り牌を自摸ってしまったのだ。 なぜそこまでクローン人間の研究を、科学者はすすめているのだろう ? 

 < 中 略 >

 クローンでつくる自分の臓器は拒絶反応を起こさない。 赤ちゃんが誕生したときに、その一部の細胞を冷凍保存しておけば、( 細胞は年をとればとるほど活性化がにぶくなる。生まれたばかりの赤ん坊の細胞が一番イキがいいのだ ) やがて年をとって臓器に異変が起きたとき、赤ちゃん時代の細胞を解凍して臓器を成長させる ( 人間まるごとではない、ねんのため ) それを移植すれば、もともと自分の肉体なのだから、拒絶反応がおきる心配はまったく無く、元の健康体を取り戻せるのだ。 そうなれば、 ーいま脳死問題云々で騒がれている。臓器移植手術は消滅する。 同じ理由で、人工臓器も不要になる時代がくるのだ。 しかし、やはりどうしても、臓器だけではない一個の人間としての、クローン人間は将来誕生するに違いない …… 、 と僕は考えている。 何の理由で? 僕は手塚治虫のマンガの中から、その答えを見つけてしまったような気がするのだ  ≫

≪ ぼくがクローン人間の是非について切実に考えさせられた手塚作品は、実は「鉄腕アトム」。 そのアトムの生みの親、天馬博士、それもマッドサイエンティスト天馬博士ではなく、やさしい一人の父親、トビオのお父さんである天馬博士だ。 科学者でない、トビオを失った天馬博士は、いまこの瞬間にも世界中に無数にいる。 現実の21世紀には、最愛のトビオを亡くした天馬博士は、決してアトムをつくったりはしないだろう。 トビオのクローンをつくればいい。 クローンのトビオはアトムと違ってちゃんと成長するから、サーカスに売りとばされる悲劇もおこらない。 最も可愛いさかりの我が子に不慮の死が訪れたとき、その子の再生を願わない親が、どれだけいるだろうか? コピーではない年のはなれた双子なのだ。 顔もそっくりな、レッキとした人間なのだ。 むろん、それも悲しみを増すだけだと考えるか、あるいはまた違った倫理観から、クローンを望まない親も多いだろう。 しかし必ず、それを願う親もあらわれるに違いない。 最愛の子、トビオ。 幼くして死んだ子供を忘れられない親。 歴史始まって以来、人類が普遍的に背負いつづけてきた悲しみ。 トビオコンプレックス ≫

ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律 ( 平成12年法律第146号 )】とは、2000年 ( 平成12年 )12月に公布、2001年6月に施行された日本の法律である。特定胚を定義して、その取扱いを適正に行うよう定めるとともに、ヒトクローン作製(人クローン胚 )、 ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚またはヒト性集合胚を、ヒトまたは動物の胎内に移植 すること )を罰則をもって禁止し、関連の発生操作研究を規制する法律。 

 さて、
 みなもと先生が文藝別冊【 総特集・手塚治虫 】に上記のエッセイ『トビオコンプレックス』を寄稿される少し前、1997年2月にイギリスの研究機関でクローン羊『ドリー』が誕生。 このニュースは世界を駆け巡り、「特定個人の遺伝情報をコピーした複製人間もつくれるようになるのではないか」「人の生命を操作する研究の何をどこまで認めるか」と、多くの議論を呼びました。欧米主要諸国は挙ってクローン人間の研究を規制・禁止する動き見せ、日本もそれに追随する形で、2000年に『ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律、平成12年法律第146号』が公布されています。

 その後、20年以上の時間が経過。 現在もこれらの研究は厳しく規制・禁止されていますが、時折気になるニュースがネットに流れてきます。

 

≪ 【ペットのクローン販売、中国で拡大 犬580万円、猫380万円依頼続々】 かわいがっていた犬や猫が死んで悲しむ飼い主のため、ペットのクローンを作って販売する -。 こんな小説のようなビジネスが中国で広がりつつある。 北京のベンチャー企業が2018年から一般向けに始め、1匹数百万円と高額にもかかわらず、依頼が相次いでいる。 ただ、クローン技術の商業利用には専門家から「生命の尊厳を脅かす」と規制を求める声も上がる。 ー 西日本新聞 ・2020/4/20日付 ≫

 ビジネスとして広がっているクローン動物ですが、クローン代理母体流産の割合は高く、無事に生まれるのは三割程度。失敗に備えて複数の代理母体が必要であったり、卵子を提供する個体も必要で、多くの個体に負担がかかる状況となっており、動物福祉の観点からも問題を指摘する声が上がっています。 しかし、クローン動物はクローン人間と異なり明確な規制がなく、研究者から国際的なルールの必要性は指摘されているものの、各国の足並みもそろわず、議論は殆ど進んでいないのが現状です。

 

【中東情勢緊迫でイスラエルに国営精子バンク】
 また、イスラエルでは中東情勢緊迫化により、2000年代に入って、国営の精子卵子バンクの設立準備が進められていました。 
 戦闘で不測の事態が起こっても、配偶者との間に子供を残せるように、民間の精子卵子バンクに登録する男女兵士の数が増加。 繰り返されるパレスチナ側との戦闘で、イスラエル軍の負傷者が増えている状況が、さらにこの需要を後押しし、イスラエル政府は、新たな中東戦争の勃発の可能性を想定して、軍の士気を維持する意味でも、国営の精子卵子バンクの整備を急いでおり、バンク設立に伴う問題や倫理上の障害について検討する専門家委員会を設置した。 と、新潮社フォーサイト・2001年9月号は伝えています。
 
  その後ー
イスラエルで賛否両論「死後の精子採取」で死んだ男が父になる】
≪ 死亡した兵士の体内から採取した精子を使って子供を作る行為が、イスラエルでは合法的になされている。 息子を亡くした親にとってはそれが何よりの慰めになるという場合もあれば、父親のいない子供を増やすのかという批判の声もある。 ー クーリエ・ジャポン

【亡くなったイスラエルの兵士から精子を回収する予備法案が可決】
≪ 徴兵制のイスラエルではある習慣が流行している。亡くなった男性兵士の家族が、その精子を回収しているのだ。いつか父親の遺児を授かるためだ。 ブルームバーグによると、すでに数十人の子供が、この精子を使用した体外受精で生まれたという。それどころか数百人の女性が代理母としてだけでなく、実際に育児をする母親役まで志願しているとのことだ。
 こうした状況を受けて、イスラエル議会は3月に予備的な関連法案を可決し、兵士の精子の扱いに関する法制度を整える為に動き始めている。 ー 2022年07月24日・カラパイア ≫
 国によっては、死亡した兵士から精子を採取し、体外受精で子供を作るという行為が違法となっており、アメリカでは、州によって異なりますが、ほとんどの場合は未亡人のための制度で、亡くなった男性の両親は対象外となっています。 イスラエルでは、戦死者の親が孫を授かる権利を求めており、法整備・福祉など様々な議論を呼んでいます。 医師法や生物倫理に詳しいイスラエル、オノ・アカデミック・カレッジのギル・シーガル氏は、「孤児院ではなく、存命中の親のもとに生まれることが、子供にとって最大の利益だ。子供を失った親には同情するが、子供の出生をめぐる話は、祖母と祖父と子ではなく、母と父と子から始めねばならない。亡くなった男性から精子を回収する人は、悲劇によって失われたものを取り返そうとしている。それは記念碑を建てるようなものだ。 
 一番考慮すべきは子供の幸せ
  だが、こうした行為によって一番影響を受けるのは、亡くなった男性でも、その妻でも両親でも、代理母でもない。生まれてくる子供自身だ。 戦死した兵士のすでに生まれている子供には公的な経済支援があるが、これから生まれてくる子供はこの限りでない」と、語っており、父の死後に生まれてくる子供の経済的支援を含め法制度の整備は、まだ進んでおらず、克服すべき問題は多そうです。

 また、これ以外にも検索すると、オートバイ事故で亡くなった息子さんから精子を採取して人工授精で孫を誕生させたイギリスの祖父母の記事もあり、現在イギリスでは父の死後に誕生する子供が年間5人ほどいるそうです。

 

 死後の体外受精による子供の出生は、幼い子供が亡くなった時に子供を「クローン」再生させる『トビオコンプレックス』とは、少しずれているかもしれませんが、「子供の一部分だけでも …」「血筋を残したい」といった洋の東西を問わない普遍的な親心で、これは『トビオコンプレックス』といってもいいかもしれないなぁ、 と思います。
 ただ、これらの記事を目にした時、何かモヤモヤしてしまうのは「当事者である子供の心情」が置き去りにされているような気がするから、かもしれません。
 クローントビオを取り戻せた天馬博士の心情はさておき ( つか、おいておく ) 生み出されてしまった子供は? 成長後に「君はクローンで、亡くなった息子の代わりなんだよ」と言われてしまう子供の気持ちは置き去りで、それはそれで親の手前勝手という気はします。
「悲劇によって失われたものを取り返そうとしている。それは記念碑を建てるようなものだ。 一番考慮すべきは子供の幸せ」というギル・シーガル氏の言葉通り、一番考えなくてはいけないものを置き去りにして、科学技術と残された者 ( 親 ) の欲望が暴走している感は拭えません。

 

≪ 中国で誕生した世界初の「遺伝子操作された人間の赤ちゃん」。この赤ちゃんの“生みの親”である研究者のフー・ジェンクイは世界中から批判され、懲役3年の実刑判決を受けた。しかし、問題の赤ちゃんはいったいどこへ行ったのか。科学者たちが中国政府に「ゲノム編集ベビー」の保護を求めている。 ー サウスチャイナ・モーニングポスト
 中国の研究者が、2018年11月に「ゲノム編集」技術を使ってヒト受精卵の遺伝情報を書き換えて双子が生まれたと発表。この研究結果の報道は世界に大きな衝撃をもたらし、多くの研究者から非難の声が挙げられました。ゲノム編集は生物の設計図である遺伝情報を編集し、先天性の疾病・遺伝難病などの治療困難な病気に効果が期待できると注目が集まっています。しかし、今回のゲノム編集ベビーには多くの問題点があり、今後も論争を呼びそうです。
( この研究の論文は発表されておらず、「ゲノム編集ベビー」の詳しいデータも不明で、発表された内容は本当なのか? と疑問視されていますが … 近年、ゲノム編集技術のハードルが下がったため可能であるとの意見もあり、現在消息が分かっていない双子の行方とともに今後の報道が気になるところです )

 

 ゲノム編集は、近い将来、治療困難な疾病に福音をもたらす技術であるとは思うのですが、「ゲノム編集されたデザインベビー」となってくると優性思想につながる倫理的な問題もあり、また「人為的に人類を改変することに責任がもてるのか?」という課題も重くのしかかってきます。「自分が望む優秀な ( デザインされた ) 子供が欲しい」と、なってくると、親のエゴ剥き出しの感はありますね。
 また、「デザインベビー」が必ず「親の望むような成長」を遂げるとは限らないので、その時、親御さんをおそう悲劇を名付けるとするなら「天馬博士の悲劇」でしょうか、彼は “ トビオ ” と “ アトム ” が別々の一個人だと解ってない、天才なのにバカ親なんですよ。

『トビオコンプレックス』
「失われた子供」を取り戻したいと願う親御さんの純粋な願いだけではない「何か」
科学技術の発展で「何か」が実現可能となったとき、それが何れ程の “ 渇 望 ” であったとしても「人として」欲望に振り回されず居られるか、吹っ飛ぶように科学が発展・進化していく昨今では、欲望を抑え理性を保つのは難しいのかもしれません。
ヒトはその欲望を土台に様々なものを実現可能にしてきた「脳化」※していく生き物ですし …
※ 脳化指数じゃなくて唯脳論的な、 

 こういった報道を目にした時の遣る瀬無さは、
 掛替え無いものを取り戻したいと親御さんが思ってしまうのは仕方がないのだろうか… と思うのと同時に、我が子を失った悲しみ、寂しさを「クローン子供」で埋めようという心理に親のエゴと依存を見てしまうからかもしれません。

【百鬼丸という子供・⑤】百鬼丸はヒルコか?

百鬼丸ヒルコか?」
百鬼丸のストーリーラインは貴種流離譚か?」

貴種流離譚 ― 日本歴史大事典 】
 神の子あるいは尊い血統にある者が、なんらかの事情 ( 罪など ) のために都を離れて異郷をさすらうという話の型。流離し辛苦を極めて悲劇的な死に至る ( この場合、転生して神となる ) ことも、あるいは流離の試練を乗り越えて幸福を得ることもある。折口信夫が初めてこの語を用いた。貴種流離譚は日本の古伝承や物語を貫く類型としてとらえられる。具体的には『古事記』の大国主神須佐之男命の伝承、物語文学では、『竹取物語』のかぐや姫の物語、『伊勢物語』の「昔男」の東下り、『源氏物語』の光源氏の須磨・明石・謫居 等々をはじめ、この類型の物語は数多く見いだすことができる。

 

 さて、「百鬼丸の元ネタは記紀神話ヒルコじゃないか?」
 という考察は1970年代後半頃? ~ 1980年代に、何方かから伺ったような気がします。 「百鬼丸のストーリーラインは貴種流離譚」は、もう少し下って1990年代後半以降、1987年の『魍魎戦記MADARA』連載開始・1990年スーファミソフト発売後 ~大塚英史氏が『MADARA』の元ネタは『どろろ』※ と喧伝して下さって以降でしょうか?  その後、2000年代に入って大塚氏が創作技法の書籍を数多く上梓され、上記の内容が拡散、定着した印象です。

※『物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン』 朝日新聞社 ( 朝日文庫 ) 2000年12月・51-62頁など、氏の創作技法関連書籍内で「貴種流離譚」「英雄誕生神話」の作例として『どろろ』が取り上げられています。

 

 大塚氏は著書『物語の体操』で「貴種流離譚」を以下のように定義しています。
① 英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である。
② 彼の誕生には困難が伴う。
③ 予言によって、父が子供の誕生を恐れる。
④ 子供は、箱、かごなどに入れられて川に捨てられる。
⑤ 子供は、動物とか身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物かいやしい女によって養われる。
⑥ 大人になって、子供は尊い血筋の両親を見出す。この再会の方法は物語によってかなり異なる。
⑦ 子供は、生みの父親に復讐する。
⑧ 子供は認知され、最高の栄誉を受ける。

 こちらは、「英雄誕生神話」の英雄神話の構造
a) 主人公は高貴な生まれである
b) 父は子供の誕生に際して禁忌を破る
c) 子供は人でない姿で生まれる
d) 子供は箱や舟に入れられ流される
e) 子供は身分の低い人々に拾われる
f) 子供は人の姿になるために旅に出る
g) 子供は自分と似た境遇にある何者かの手をかり人の姿になる
h) 子供は自分と父との関係を知り、旅の果てに場合によっては父を殺し栄誉を得る

 確かに、
 百鬼丸のストーリーはこれらの物語構造に沿っています。

① a) 百鬼丸は醍醐景光の子供 ( 長子 ) である。
b) 父は魔神と契約する。
② c) 百鬼丸は身体48ケ所を欠損して生まれる。
④ d) タライで川に捨てられる。
⑤ e) 医師寿海に拾われる。※
f ) 魔神を倒し身体を取り戻す。新たに旅立つ。
⑤g)百鬼丸を導く役割を与えられている賢者役は「寿海」「みお」「琵琶法師」※
※ 侍から医師に成り下がった「寿海」も含めて「非属・卑俗」の人たちが「百鬼丸」の賢者役

⑥ ⑦ h ) は、大まかに纏めて、
「主人公は成長し、貴い血筋の両親を見出す。再会の方法は物語により様々。主人公が復讐を果たす ( 父殺し以外の形をとることもある  )」
 そして、
⑧ 子供は認知され最高の栄誉を受ける。

 この ⑥以降の展開は神話・物語によって異なり、この構造に沿って無いものも多数みられ、主人公が破滅・死亡する話も多く、また、死亡後に神として再生する民話・神話も少なくありません。

どろろ』旧アニメでは物語の最終関門がストレートに父殺し ( 醍醐景光との対決・殺害 ) で、ギリシャ悲劇よろしく、主人公は終劇後の彷徨を示唆される旅立ちをします。

 ⑧ の栄誉は、映画版で多宝丸が刀 ( 侍の身分を証明するもの ) を百鬼丸に渡しながら「お帰りをお待ちしております」というシーンがあり、映画版『どろろ』はニュージーランドでロケ、三部作で企画と、その前に公開された世界的な大ヒット作『ロード・オブ・ザリング』を意識した和製ファンタジーで、私はこのシーンを観たときに三部作の最後は「王の帰還」だろうか?と思ったものですが、続編企画が流れてしまったので詳細は不明です。

 PS2のゲーム版『どろろ』は原作を貴種流離譚・英雄譚の構造に纏めていて、
 故に、主人公は「百鬼丸」になり、「どろろ」というキャラクターの役割が「主人公」から「( 最初は ) アニキの弟分 ⇒ 最終章でのヒロイン」に変化しました。
 なので、「火袋」「お自夜」はゲーム内に登場せず「無情岬」に相当するストーリーは無く、「どろろ」のバックストーリーはクリア後のミニゲームどろろの宝探し』のみとなりました。『序章・百鬼丸』から『終章・どろろ』へと、きれいに一本道にまとまったこの物語の最終章は「最後の魔神」を倒してヒロインとの再会が描かれて大団円です。
 神話・昔話にも多い、⑧ 栄誉「悪魔・ドラゴン・怪物 ( 最終関門 ) を倒してヒロインを獲得」ですね。『どろろのあゆみ【14】2004年9月9日:PS2版ゲーム「どろろ ーDORORO -」発売』にも書きましたがこの思い切りの良さがストーリーラインを分かり易くしていて海外での展開も好評だったようです。

 舞台の新浄瑠璃はタイトルそのものが『新浄瑠璃百鬼丸』で、劇中での「どろろ」は成人男性で「百鬼丸」の養父役なので、「寿海」は本作にはでてきません。なので、原作「どろろ」の設定も「百鬼丸」にのせてキャラクターとストーリーラインをまとめている感じ? で、英雄譚からは少しずれる感はあるものの「貴種流離譚」をベースに「呪われた子供の再生」を描いていました。

 2004年は、PS2版発売、「新浄瑠璃」上演と『どろろ』周辺が賑やかだった時期で、ゲームも新浄瑠璃も良作・良エンディングだったので、これらで後付けされた設定と、今も印象的な旧アニメの最終回が、その後のリメイクに大きく影響を与えている様子が伺えます。 ( 同ネタ多数ってヤツかもしれませんが )
どろろ』には多くのリメイクがあり、その度、結末には苦慮している様子が伺えます、

 私見ですが、
 原作『どろろ』には「百鬼丸のストーリーライン:搾取された者の自己回復」⇒「どろろのストーリーライン:宿命を背負った革命」と移行していく流れがあって、単純な一本道のラインには収まらない構造を持っていて、この構造がリメイクし辛さを醸している気はします。
 また、
 百鬼丸の刀の設定は原作と旧アニメでは寿海が拝領した無銘の名刀でしたが、映画版では、妖に妻子を殺された刀鍛冶が仇討ちを一心に念じて鍛え上げた妖刀で、刀を託せる先を探していた琵琶法師が、寿海に刀を渡し、呪医師であった寿海が百鬼丸の左腕に仕込んだものです。映画の百鬼丸は名無しで、刀の銘である「百鬼丸」を名乗っています。
( 新浄瑠璃も「百鬼丸」は刀の名前でした )

 リメイク時には「百鬼丸」の家族周辺の人間関係が掘り下げられ新しい設定が付与されることが多く、この原作からズレる部分・設定に、リメイク作品が「どのようなテーマ・思想・新しいたくらみ」を持っているか? が表されているようです。
 また、百鬼丸の刀も、これをどのように捉えるのか?が作品の品格や志の高さに関わっているような気はします。
 手塚先生ほどのストーリーテラーが「刀」の設定をいろいろ思いつかなかったとも思えませんし、妖刀・名刀・破邪の剣と … 外連味たっぷりに設定を盛ることもできたでしょう。
 でも、あえてアニキの刀は「無銘」なんですよ、

 手塚眞氏も腕が刀の百鬼丸はメスをもつブラックジャックと同じキャラクターと語っていましたし、『マンガ夜話ブラックジャック』回で夏目房之介先生がブラックジャックの服装を劇画の殺し屋の衣装と指摘したように、ブラックジャックギャングスターの恰好をしているのですが、ブラックジャックは医師で「生かし屋」と衣装とは真逆の職業で、これは手塚先生お得意の「ひっくりかえし」なんですよね。
 アニキもお侍さんに見えますが、百鬼丸を侍とか若様と理解すると作品が別物になるような気はします。

 原作で描かれなかった、
 ⑧ 子供は認知され最高の栄誉を受ける。
 ですが、この反戦・反体制テーマの『どろろ』という物語で「百鬼丸」が侍 ( 職業軍人・官僚 ) に成り上がるのか? それは栄誉だろうか?
 打ち切りなので ⑧ は描かれなかったのではなく、この作品に埋め込まれたテーマ・思想がこの構造通りにいかない「何か」を形成している気はします。
 打ち切りなので兄貴が旅立つ、二人の別れが描かれる、のでは無く、あの原作の終わりも「何か」を秘めている様な気はするんですよ。

 

 

≪ 故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である  フーゴー ≫

 

【百鬼丸という子供・④】百鬼丸はエビスか?

 前々回の「妖怪馬鹿 化け物を語り尽くせり京の夜」からリンクして

 「百鬼丸ヒルコ ( エビス ) なのか?」です。

 さて、いつものコトですが本題から遠いところ『妖怪馬鹿』の続きから、

 

『 塗仏 (ぬりぼとけ) 』とは?

 鳥山石燕の『図画百鬼夜行』では、垂らした目玉を指さし、仏壇の中から現れる黒い肌にぺろりと舌を出した坊主の妖怪、仏壇が描かれているのは『図画百鬼夜行』のみ。また、江戸時代の絵巻物や絵双六には「ぬりぼとけ」あるいは「ぬり仏」とあり、これには長い髪の毛の様なものが背面に描かれている。狩野派の絵師、佐脇嵩之の『百怪図鑑』にも「ぬりぼとけ」とあり、両目が飛び出した真っ黒な坊主の姿で描かれ、これには魚の尻尾が付いている。また、1889年 『暁斎百鬼画談・河鍋暁斎』にも、名称の表示は無いものの「両目が飛び出した仏」姿の妖怪が描かれている。絵巻物や絵双六に少なからず「ぬりぼとけ」は登場し、どれも両目玉が飛び出した坊主姿の妖怪で、何処かおどけた姿で描かれるが、これらの資料に解説文は無く、何を意図して描かれた妖怪かは判然としないが、多田克己氏の『百鬼解読・講談社ノベルス』、「塗仏」の項によれば、黒色は黒不浄として死の穢れ、死の象徴であり …

狩野派の画家である佐脇嵩之の『百怪図鑑』には「ぬりぼとけ」とあり、全身が墨のようにまっ黒な坊主の妖怪である。髪の毛は無く、両目玉がとび出して垂れ下がっている。体つきは肥えて、腹がでっぷりとしており、背中には魚の尻尾のようなものが付いている。それはあたかも出目金魚と土左衛門 ( 水死体 ) を合成させたような、出目金人魚のようである 》

《 さらに「ぬりぼとけ」は目玉をぶらぶら垂らしているが、「見出度くなる」とは、死ぬ、倒れるの意の忌詞である。北陸、山陰地方では死ぬという意を「目え落す」という。また「眼のカミさん」とは仏さんの意で、斎藤たま著『死ともののけ』によれば「目落し」は「死ぬ」という意味であった 》

《 死ぬということが「お目出度い」事ならば、「鯛」はお目出度い宴席に置かれた、頭と尾を反らした「尾頭付き」の肴である(目出度いと目出鯛の洒落)。妖怪塗仏が目を飛び出させて、しかも魚の尻尾が付いているのならば、これこそ『塗仏の宴』なのであろうか? 》

《 鯛の信仰は七福神の恵比寿信仰にも結びついた。日本神話では、創造神である伊弉諾尊伊弉冉尊の第一子で、足腰が立たず、海へ流された蛭子神であったが、福神となって南海より日本へ訪れる時に、釣竿と鯛を抱えてくる姿として信仰された 》

 

―と「塗仏」から「土左衛門」へ連鎖、さらに「えびす」へとリンクするのですが、この伊弉諾尊伊弉冉尊、二柱の子神「蛭子神」は「大国主命」の息子さんの「事代主神」とは違うのですが、シヴァ神が伝来し「大いなる暗黒=大黒」で「大国主命」と混同されたのと同じく「蛭子神」と「事代主神」も、後年同一視されることになります。 
… で、えびす信仰と言えば商人の都「大阪」で、手塚先生の出身地。 関西では「商売繁盛・家内安全」の神さんとして「えべっさん ( えびす )」は殊に親しまれています。恰幅の良いおじさんが釣り竿を持ち、大きな鯛を抱えている姿で描かれる「えべっさん ( えびす )」はアニキと似ていませんが…

「エビス ( 夷 ) は百鬼丸の元ネタなのか?」
 まあ、いつもの「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」です。

【 大黒天 とは 】 
 天竺の神、天自在天の部属として三面六臂黒色憤怒相で天部胎蔵界の最外院北方にいる戦の神。サンスクリット語ではマハー・カーラ ( 摩訶迦羅、大いなる暗黒 ) に由来。経典により様々に説かれるが黒闇の神としての「荒神」と、厨を守る「善神」の二系統がある。日本には中国南部の寺院に伝わる後者の風習を平安初期に最澄比叡山延暦寺に取り入れ、以後天台宗寺院が祀るようになった。室町時代には大国主命と同一視され、後年、恵比寿神とともに代表的な福神として「七福神」となった。また、農村部では恵比寿とともに田の神として尊崇される。大黒信仰の伝播には、大黒の姿を模し「嘉祝の詞」を述べて遊行し、農村では豊作を祈念する「大黒舞いの徒」が大きな役割を果たした。

【 えびす とは 】 
 夷・戎・蛭子・恵比須 ( これは後世の当て字、多様に表記されるのは、その起源が複雑なので ) 等と表記される。大黒天と並び称され、七福神の一柱。その信仰の中心は兵庫県西宮神社は中世に「夷三郎」と称されていたが、大国主命事代主神を祀ったものである。大黒天が俵に立ち、打ち出の小槌を携えた農耕神、えびすは鯛を抱え釣竿を持った漁業神ということになる。『源平盛衰記』では、伊弉諾尊伊弉冉尊、二柱の神の最初の子神である蛭子が海に流され西宮に漂着し祀られたとされている。この伝承は漁民間の流れ仏を祀る習俗に由来するのだろう。狂言の「夷大黒」では大黒天と並び称されるようになっているので、えびすと大黒天の二柱を商売繁盛の神として祀る風習は室町時代以降のことと推定される。農家では台所に祀られ、収穫をもたらす神とも考えられており、正月と10月の年二回「夷講」が行われる。関西では正月10日を「十日戎」といい、各地の戎社には多くの参詣者が訪れる。

蛭子神 とは 】

 古事記では伊邪那岐神伊邪那美神が天御柱を立て、八尋殿で生活を始めた時に最初に生まれた神で不具であった ( 骨がなかった ) ので、伊邪那岐神伊邪那美神は「わが生める子良くあらず」と「葦船」に乗せて流した。日本書紀でも「三歳になっても足が萎え立てなかったので、アメノイワクスフネ ( 堅牢なクスノキで造った船 ) に乗せて波のまにまに放ち棄てた」という。記紀ともに、酷い話に思えるが、神話・民話に多い「流されてきた異児」は後に英雄になることが多く、この神が乗せられた船も「再生のための柩」※だろうか? 名前の「ヒルコ」は「骨の無い蛭のような子供」と解釈するのが一般的だが、オオヒルメノムチ ( 太陽神の巫女 ) ヒルメに対するヒルコは太陽神に関りが深い神で、「日本書紀」では天照大神月読命に次いで蛭児が誕生し、素戔嗚尊が生まれており、この記述から蛭児が三貴子に比肩する重要な神であったとする説もある。また、始祖となった男女二柱の最初の子神が生み損ないになるという神話は世界各地にみられ、東南アジアを中心とする「洪水型兄妹始祖神話」との関連が指摘されている。不具の子神がやらわれる民話・神話は世界各地に見られるが、一度やらわれた神が復活し信仰の対象となっている例は珍しい。流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っており、広く尊崇される神である。
※ 『英雄誕生の神話』オットーランクによれば英雄が入れられ流される箱や船は、ストレートに「子宮」のようですが?

≪ 夷・大黒が「夷・大黒」と併称されるようになったのは室町時代の中頃から ―『塵塚物語』。西宮広田社の夷三郎がもともと大国主命とその子神の事代主命であったが、後に「夷三郎」を一神と考えるようになり、大黒天を追加、「夷・大黒」と併称される様になった ≫

≪ 夷舁 ( えびすかき ) 人形を操る芸能、またその人形遣いをいう。夷まわしともいわれる。木偶を舞わせて各地を練り歩いた古代の傀儡子の伝統を受け継いだ芸能で、摂津国西宮の夷宮を本拠地とした。夷は元来海の神なので漁村を巡ったと想像される。安土桃山時代から江戸初期までの文献に散見され、淡路人形や人形浄瑠璃の成立にも影響を与えた ≫

 福の神として「夷・大黒」の信仰を流布したのは夷人形を舞わせて各地を巡行した西宮の神人や傀儡師、また、正月に家々を練り歩き大黒舞いを舞う門付けの声聞師・芸人たち。これらの人々は散所民の系譜を引く「穢多非人」の類で、人々に福を授ける来訪神が、人々に忌避される民に支えられている構造。即ち「都市民から差別され卑しまれた非定住の下級宗教者や芸能民が共同体や家を祝福する」というアンビバレントな構造を持つ宗教活動でした。

 また「夷・戎」という言葉には辺境の異民族の印象があり、それは「エビス」が海の彼方から漂着したという神話から読み取ることができるでしょうか、この印象は、遠い異郷から宝船に乗って来訪し福をもたらす「夷・大黒」と重なります。
 中世には「伊邪那岐神伊邪那美神」に流された「蛭子神」が西宮広田神社の末社に漂着して「夷三郎」の名で祀られたという伝承『源平盛衰記』が派生し、その伝承では蛭子神は三才まで足が萎え歩けず、流されたと伝えられ、蛭子神は足が萎えて歩けない身体障碍者と心的表象が符合します。また「えびす」は不正常な様子の形容、まつろわぬ野蛮な民の呼称に用いられることがあり「聖なるものと卑しいもの」両義性のある言葉でした。

「日本三大えびす」に数えられるのは京都ゑびす神社 ( 京都市 )・今宮戎神社 ( 大阪市 )・西宮神社 ( 兵庫県西宮市 ) で、近畿の三社。
 摂津の国に流れ着いた蛭子神は戎三郎という漁師に拾われて「戎三郎」という神になった ( 源平盛衰記 )
 あるいは、流された後、竜宮に辿り着き、暫く留まったのちに帰り、住吉の社で盛大な祭りを行ったとも伝えられる ( 神道集 )

 さて、こうして「夷・大黒」伝説を紐解いてみると「ヒルコ・えびす」さまとアニキの出自に奇妙な符号の一致があるような気がします。  
 気の所為かもしれませんが、
ヒルコ・えびす」さまの親神は「わが生める子良くあらず」と「葦船」に乗せて流した、伊邪那岐神伊邪那美神大国主命が居て (  お父さんが二人  ) 捨てる親神と医療神。
 不具の神であり、水蛭子から恵比寿へと昇華・再生を果たした神であり、神とはそういうものかもしれませんが「聖と俗」「生と死」の狭間にいるアンビバレントな神、 そして、多分連載が続いていたら「百鬼丸」のコインの裏になったであろうライバルの名前に「三郎」が入っているのも、意外とこの辺りが元ネタのような気もします。

 また、大塚英志氏も『まんがでわかる物語の学校・㈱角川書店 2013年7月4日発行』【貴種流離譚ヒルコの運命】で、「手塚治虫は関西出身だから西宮神社のこの伝承を知っていた可能性はおおいにあるでしょうね」と、『どろろ』のエピソードを紹介しています。

  

 


 2022年は『鎌倉殿の13人』『平家物語』『犬王』『義経スマホ』と、四回も「平家滅亡」を視聴してしまうという「平家滅亡 year」で、必然的に“烏帽子”を被った殿方をたくさん拝見しました。
 それで、思い出したのが「百鬼丸の着物の紋様」は烏帽子説。
 百鬼丸の着物は烏帽子の折れ皺のデザイン化じゃないか? というもの、
「恵比寿さま」が被っているのは風折烏帽子で、侍烏帽子ではありませんが、「百鬼丸」の元ネタがヒルコで、烏帽子の図案が着物の紋様だとしたら面白いですね。

  



旧アニメ『どろろ』は、低視聴率?

Wikipedia『旧アニメ・どろろ』より

【 視聴率低迷による迷走 】

《 ハードな世界観の内容だったが、視聴率的に思わしくなかったため、スポンサーとテレビ局から路線変更の要求が出された結果、第14話以降は前述の通りタイトルも改変され、低年齢層を意識した内容へ路線変更される 》

 

 さて、昔から旧アニメ『どろろ』視聴率低迷の理由には「ハード ( 陰惨・残酷 … etc ) な内容が子どもに受け入れられず …」云々が定番の理由として挙げられていることが多いと思いますが、

 理由はそれだけ? でしょうか、

 一つの原因に落とし込めるほどコトは単純では無かったでしょうし、複数の要因が重なった結果、視聴率低下 → 打ち切り になったのだろうと思います。

ー んで、理由の一つはコレ?だと思います。

 

【 TVガイド・黄金週間合併号 昭和四十四年五月 】

どろろ』の裏番組は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ピンキーとキラーズ」主演のテレビドラマ『青空に飛び出せ!』だったんですね。もうひとつが『スターものまね大合戦』、NHKの『歌の祭典』は、その後に高視聴率をたたき出していた大河ドラマ天と地と』につながる強いラインナップ。

 これはツラい、お兄ちゃん、お姉ちゃんが「ピンキラ」見たかったら年下の兄弟は負けちゃうもんチャンネル争い … おじいちゃんが「歌の祭典の後、天と地とを見る」とか主張してもダメですもん、家庭内のチャンネル権争奪戦が勃発したら、家庭内の政治力と発言権が弱いちびっこには勝ち目が薄いんですもの、もの …

※『青空に飛び出せ!』とは、1969年3月30日から毎週日曜日19時30分~20時 ( 不二家の時間 ) にTBS系で放送されたテレビドラマ、当時大人気だった『ピンキーとキラーズ』が主演を務めた青春コメディ。

※『ピンキーとキラーズ』 デビュー曲『恋の季節』が発売直後から空前の大ヒットを記録し、オリコンで17週1位 ( 歴代最高記録 ) となり、270万枚を売り上げ「第10回日本レコード大賞新人賞」をはじめ数々の新人賞を受賞。第19回NHK紅白歌合戦では男女混成グループとして初出場。

 … と、 『ピンキーとキラーズ』は、当時大人気だったボサノバ・グループで「不二家の時間」は子供人気一位の『怪物くん』を終了して『青空に飛び出せ!』を開始しました。

 また、カルピスは電通を代理店として1969年4月からフジテレビ日曜19:30 ~『どろろ』を提供していましたが、視聴率は伸び悩み、第14話以降路線変更しテコ入れ “ カルピスまんが劇場 ” 『どろろと百鬼丸』となります。しかし、テコ入れ後も視聴率は振るわず、2クール26話で終了となりました。この後もカルピスはテレビマンガを継続して提供する意向があり、後の “ カルピス名作劇場 ” に繋がって行きます。

どろろ』の後続として、フジテレビとカルピスの間では永井豪先生の『ハレンチ学園』が候補に挙がっていました。 ― が、1970年頃『ハレンチ学園』はハレンチマンガ騒動でPTAにガンガンつるし上げられている最中で、作品が「カルピス」のイメージに合わなかったこともあり、この企画は流れた模様。

 以上を踏まえると「子供向けにもっとギャグタッチで」とスポンサーである「カルピス」が制作側に横槍刺してきたのも「カルピス」が子供向けの「コメディ・ギャグ」作品を求めていたから? と、考えると辻褄が合うような気もします。『どろろ』と同時期には『オバケのQ太郎』『怪物くん』とヒット街道爆走中の藤子不二雄先生の『ウメボシ殿下』が放送中でしたし、赤塚不二夫先生も『おそ松くん』のヒットの後、『もーれつア太郎』が放送中でしたから、「カルピス」が子どもにウケる「ギャグ」ものをと考えたとしても無理からぬことでした。

 また、以前に当ブログの【どろろのあゆみ番外編 TVガイド・子供番組大特集 昭和四十四年五月二・九日合併号】で纏めたのですが、この時期は子供向け番組の転換期で ( 子供の支持は有ったものの )「テレビマンガ」の製作本数は減少。変わってハイティーンに向けた「アイドル・音楽番組」が増加していた時期で、日曜日のゴールデンタイムに「アイドル・音楽番組」に挟まれた『どろろ』はホントに運が無かったなぁ、と思います。番組編成のあおりを受けて無ければ4月から、この時間帯で『青空に飛び出せ!』と視聴率勝負になったのは『妖怪人間ベム』だったんですかねえ ?

 いや、言うても仕方の無いことですが、

※文化通信・昭和43年7月19日付の記事によれば《 『妖怪人間ベム』との競合の結果「どろろ」の10月編成は見送りとなり、翌年4月からの放送となりました 》 と、テレビ局の編成の都合で放映延期になったとの記述が見られ、これは『どろろ』製作遅延の原因でも在るようです。

 

 

ウルトラQ ( 平均視聴率32.4% )』の裏で、視聴率が6.9%に急落して苦戦した『W3』ですが、放送時間の変更などもあって、平均視聴率は17.7%、最高23.0% ( 19話 ) と健闘していた模様。

 

 当時は「見逃し配信」も「録画機器」も無いので「裏番組」が何か? は死活問題だったんですね … 

「妖怪馬鹿 化け物を語り尽くせり京の夜」 

 【 妖怪馬鹿 】 京極夏彦・多田克己・村上健司 著  新潮OH!文庫

《 妖怪馬鹿 ― お化けを愛してやまぬ者どものこと。本書は、小説家・京極夏彦が、盟友である多田克己、村上健司と、妖怪という文化現象について語り尽くした、七時間の全記録である。三人はバラエティに富んだ話題を俎上にあげつつ、やがて日本文化の深奥へと迫ってゆく。京極描くさし絵漫画を多数収録、新潮文庫収録にあたり語り下ろし座談会を加えた、永久保存版・妖怪バイブル 》 ― BOOKデータベースより

 

 後年、新章「二十一世紀の妖怪馬鹿」が加筆され、新潮文庫から復刊。

 京極夏彦氏、多田克己氏、村上健司氏、と、博覧強記な「妖怪馬鹿」の縦横無尽な座談会。東京駅を皮切りに、移動中の新幹線で、京都の旅館で … 尽きることない “ 妖怪談義 ”の記録。

 『どろろ』の「どんぶりばら」元ネタへの言及があったのでご紹介します。

 

第六章 - そんな妖怪、何処にも居らぬ。

【 びろーんの謎 】

多田 びろーん。

青木 それそれ。それ、妖怪?

京極 びろーんってのも困ったもんだなあ。

  あれは塗仏なんだよね。だってびろーんとして紹介されてる妖怪の図に、塗仏ってちゃんと書いてあるんだもの。びろーんなんて何処にも書いてやしないんですよ。

青木 京極さんの『塗仏の宴』を読んでいたときに、「そういえば、この妖怪の塗仏じゃない名前を見たことがあるなぁ」と思ったことがありましたっけ。ああ、びろーんだったんだ。それは誰の?

京極 佐藤有文さんですね。それにしてもびろーんはないだろうと思うんですよ。付けるにしても、もうちょっと別の名前を付けて。

多田 手塚治虫も「どろろ」に出しているんですよ。スッポンか亀の妖怪で、びろーんに似たようなものを。「飯食え、飯食え」って鉦叩く妖怪。「どんぶりばら」だっけ。

京極 何かで読んだんですが、ご子息の手塚眞さんの談によると、「『どろろ』の妖怪は僕が子供の頃に描いたのを親父が参考にして描いた」んだそうで。手塚眞さんは、ご存知の通り「妖怪天国」なんか作っちゃう妖怪マニア。だから間違いなく佐藤有文の本を読んでいるはず ―推理だけど。

多田 びろーんが三段階で伝わっている。

青木 有文 → 眞 → 治虫。 びろーんの伝播の過程。

京極 有文さんのびろーんに関する説明はね「『びろ、びろ、びろーん』という呪文をとなえて仏様に化けようとして失敗した妖怪だ」、と。どう考えたって、江戸時代の本に「びろ、びろ、びろーん」なんて書いてあるわけないんですが。びろーん。古文書に書いてあるんなら見てみたいですよ。

多田 荒俣先生も影響を受けたくらいインパクトが強い存在だからね。

青木 あの荒俣先生が!

 

… と、あの荒俣先生も関心を寄せていた侮れぬ妖怪 “ びろーん ” 、佐藤有文著『日本妖怪図鑑・ジャガーバックス』によれば、この妖怪は「びろ、びろ、びろーん」という呪文をとなえて仏様に化けようとして失敗し、こんにゃくのようにプルプルになってしまった妖怪で、そのプルプルした尻尾で人間の顔や首を撫でる。塩をかけると消えていなくなる。と紹介されています。

 対談はこの後、びろーんから怪獣ドドンゴへ …  怪獣と妖怪の濃い関係へと話が繋がって行きます。続きが気になる方、妖怪好きの方には御一読をお勧めします。

 復刊したので入手しやすくなっている?かな、ジャガーバックスは復刊後もamazonで高騰していて、そのお値段に「目の玉が飛び出」ました ( 笑 )