『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・③

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 抗議記事が朝日新聞に掲載された約3週間後の1977年2月10日に、手塚プロダクション秋田書店、連名での謝罪文が大手各新聞誌に掲載された。

 

《 おわび:秋田書店発行の週刊少年チャンピオン( 一月一日号 )に掲載された、手塚治虫作『ブラック・ジャック』第一五三話「ある監督の記録」で描かれたロボトミー手術は、人格を破壊する危険な手術であり、日本精神神経学会で禁止された手術です。このような脳性マヒ者、精神障害者に有害、かつ無益な同手術を肯定したこと。いわば人体実験として行われてきたロボトミー手術を美化し、脳性マヒ者等障害者( 精神障害者身体障害者 )を健全者に同化すべきものとして描き、障害者差別を助長したこと。ひいては保安処分を導入する刑法改正を肯定したこと。

 右内容により、脳性マヒ者を含む障害者の方々、及び、ご抗議を受けた「青い芝の会」等関係団体各位に、ご迷惑をおかけしたことを深く反省し、おわび申しあげます。尚今後、障害者差別をなくしていく立場で行動していく所存でございます。

 一九七七年二月一〇日  株式会社 秋田書店 手塚プロ 手塚治虫 》   

 

 謝罪内容から、ロボトミーを美化して描いた点だけで無く、障害者を健全者に同化すべき者として描いた点についても、各団体から抗議が寄せられていたことが分かる。つまり、「ロボトミーを美化している」「障害者を健全者に同化すべきものとして描いた」という二点について各団体から異議申し立てが行われたということである。

 ロボトミーを美化しているという抗議は、手塚氏本人も「作中でのロボトミー」は「頭蓋開頭術」の誤用であることを認めており、美化しているという批判は当を得ているとは言い難いと思う。しかし、もう一つの「障害者を健全者に同化すべきものとして描いた」という指摘は如何だろうか?

 

 この点については、『マンガ環境・現代風俗’93 発行:リブロポート』の【 マンガと差別 】で、灘本昌久氏が、

《 …青い芝の会の人たちが指摘する第二の点、すなわち手塚が「障害者を健全者に同化すべき者として描」いたということが、問題の指摘としては重要である。つまり、「ブラック・ジャック」の筋書きが、障害者はかわいそうな存在で、治療することでその境遇から抜けでられると考えているというのだ。障害問題になじみのない読者には、治療することのどこがいけないかわからないかもしれないが、青い芝の会の会の存立を支える重要な思想が、この「障害」をどうとらえるかということにある。従来の障害者運動は障害を健常な状態からの欠損とみなし、治療を当然のこととしてきたが、青い芝の会は、一九七〇年以来の、親による重症身体障害者殺しに対する告発運動などを通じて、脳性マヒ者を「本来あってはならない存在」として見る見方に重大な意義申し立てをしてきた。この内容には、私自身は異論がないわけではないが、ここでは立ち入るのをやめよう。しかし、この障害者はあってはならない存在なのかという問いかけは、十分尊重に値すると思う 》

《 手塚の本心はこんな感じではなかっただろうか。 ー ロボトミー精神障害者の「興奮性」を除去するために、本人の意志に反して強制されるようなものであったなら私は反対だし、「ブラック・ジャック」で描こうとしている近代医学に対する批判の内容とも違背するので、「ロボトミー」という言葉の使用には今後気をつけよう。また、脳性マヒ者を治療すること自体は差別とは思わないが、一五三話では、子どもが脳性マヒであることをかわいそうな存在としてのみ扱ったことは確かだ。しかし、脳性マヒ者自身の話を聞いてみれば、「あってはならない存在」としてしか位置づけられないということがどれほど彼らの生きる上での重荷になっているか、少しはわかるようになってきたし、そうした価値観で塗り固められている今の社会にも問題が多いかもしれない。そのことをよく心にとめて、今後、自分の作品の中で、新しい障害者像をさぐっていきたい 》

《 実際、手塚がこんなふうに考え、行動したなら、なされた問題提起も無駄ではなかったろう。しかし、追及する側はそれではあきたらず、自分たちの土俵に引き込んで、全面降伏にもちこんだ。こういうと、抗議した人たちは「いや、自分たちはそんなことはしていない。手塚氏は、我々の指摘を了解して反省したのだ」というかもしれない。しかし、手塚が意図してもいないのに、描いてもいないのに、障害者切り捨てとしてのロボトミーを「美化」しただの、「保安処分を導入する刑法改正を肯定した」だのと並べ立てているあの反省文からは、手塚たちが心からそう思ったという実感がとうてい感じとれないのだ。そして、むしろ一連の抗議は、手塚の創作活動に否定的影響を与えたのではないだろうか 》

と、述べている。

 

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  また、『 月刊:障害者問題 』編集長の本間康二氏は『ブラック・ジャック』を障害者の立場から肯定的に捉えて、この様に語っている。

《 このブラック・ジャックの出現は僕を大いに驚かせ、いたく感激させた。いろいろな身障者が初めて、それも前向きの形で漫画の世界に取り上げられたからである。血友病の少女が恋をしたり ( サブタイトルは「血が止まらない」) 、人間社会に絶望した女性が鳥になって空へ飛び去ったり (「人間鳥」)、サリドマイドの少年が舌を使って珠算大会で優勝したり (「何という舌」) する。僕は車イスや松葉杖が登場するたびにうれしくなってしまった。ドラマの中に障害者が何げなく登場するのも、今までに障害者が望んでいた事なのだ 》《 それにも増して素晴らしいのは「ブラック・ジャック」に流れている安楽死否定思想である。「植物人間」では、誰もが見放してしまった患者の母親と、母親と話がしたいと希望する息子の意識をつなぎ、植物人間が生ける屍でない事を証明する。また、物語の中でしばしばドクターキリコと名乗る人物を登場させ、安楽死を遂行しようとする彼と対決させて生命の尊さを訴えている 》

 

 そして、本間氏は「ブラック・ジャックロボトミー手術抗議事件」直後に手塚治虫氏にインタビューを行っている。以下は『 封印作品の謎 -禁じられたオペ- 著者:安藤健二 』での、本間氏のインタビュー抜粋。

―インタビューに至る経緯、

《 有名人に突撃インタビューするって企画だったんです。それで、ちょうど、「ブラック・ジャック」への抗議が話題になった後だったので、それにかこつけて取材してみたんです。手塚さんは頭の低い方でね。育ちのよさそうな方に見えましたけど、普通の人です。本当にこの人が、あの手塚先生なのかと思いましたね。トレードマークのベレー帽をかぶっているので、確かに手塚さんに間違いはないんですが 》

ロボトミーに関して、

《「自分は免許は持っているけれども、医者としての実績はない。ああいう知識で描いちゃったということでお叱りを受けることになった」と、大変、謙虚におっしゃってました。その謙虚さが、こちら側としては申し訳なかったです。手塚さん自身はものすごくいい方で、そういう人を委縮させるような動きと言うのは、どうかと思いました。確かに、メディア上で権力を持っているような人たちには気をつけてもらわなきゃいけないという点はあります。しかし、行き過ぎた抗議活動というものが、自分たちの土俵まで狭めてしまうことに気がつかなくてはいけない。それは今、結果的に現れてますからね。メディアを過度に委縮させちゃっているんです。このとき抗議した人たちも、きちんと「ブラック・ジャック」を読んでなかったのではないでしょうか。生命の尊厳をうたった作品群をきちんと読んでたら、こんな抗議なんかしませんよ 》

「ある監督の記録」は脳性マヒの患者を扱っていたこともあり、「青い芝の会」の抗議は「本来治る見込みのないはずの脳性マヒ患者が『ブラック・ジャック』の手術で完治するのはおかしい」というものだったという。これを受けて、手塚は『ブラック・ジャック』の中で障害者を描くことも自粛してしまっていた。「身障者の気持ちは健康体の者にはわからない」というのがその理由だった。

《 それは間違っていると、はっきり伝えました。確かに障害者の気持ちは障害者にしかわかりませんが、そしたら障害者は健常者の気持ちがわからないから、健常者のことは何も描けないとなってしまう。僕は、手塚さんの描いた障害者の物語を読みたかったんです 》

 

 

④に続きます。