『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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【百鬼丸という子供・⑤】百鬼丸はヒルコか?

百鬼丸ヒルコか?」
百鬼丸のストーリーラインは貴種流離譚か?」

貴種流離譚 ― 日本歴史大事典 】
 神の子あるいは尊い血統にある者が、なんらかの事情 ( 罪など ) のために都を離れて異郷をさすらうという話の型。流離し辛苦を極めて悲劇的な死に至る ( この場合、転生して神となる ) ことも、あるいは流離の試練を乗り越えて幸福を得ることもある。折口信夫が初めてこの語を用いた。貴種流離譚は日本の古伝承や物語を貫く類型としてとらえられる。具体的には『古事記』の大国主神須佐之男命の伝承、物語文学では、『竹取物語』のかぐや姫の物語、『伊勢物語』の「昔男」の東下り、『源氏物語』の光源氏の須磨・明石・謫居 等々をはじめ、この類型の物語は数多く見いだすことができる。

 

 さて、「百鬼丸の元ネタは記紀神話ヒルコじゃないか?」
 という考察は1970年代後半頃? ~ 1980年代に、何方かから伺ったような気がします。 「百鬼丸のストーリーラインは貴種流離譚」は、もう少し下って1990年代後半以降、1987年の『魍魎戦記MADARA』連載開始・1990年スーファミソフト発売後 ~大塚英史氏が『MADARA』の元ネタは『どろろ』※ と喧伝して下さって以降でしょうか?  その後、2000年代に入って大塚氏が創作技法の書籍を数多く上梓され、上記の内容が拡散、定着した印象です。

※『物語の体操 みるみる小説が書ける6つのレッスン』 朝日新聞社 ( 朝日文庫 ) 2000年12月・51-62頁など、氏の創作技法関連書籍内で「貴種流離譚」「英雄誕生神話」の作例として『どろろ』が取り上げられています。

 

 大塚氏は著書『物語の体操』で「貴種流離譚」を以下のように定義しています。
① 英雄は、高位の両親、一般には王の血筋に連なる息子である。
② 彼の誕生には困難が伴う。
③ 予言によって、父が子供の誕生を恐れる。
④ 子供は、箱、かごなどに入れられて川に捨てられる。
⑤ 子供は、動物とか身分のいやしい人々に救われる。彼は、牝の動物かいやしい女によって養われる。
⑥ 大人になって、子供は尊い血筋の両親を見出す。この再会の方法は物語によってかなり異なる。
⑦ 子供は、生みの父親に復讐する。
⑧ 子供は認知され、最高の栄誉を受ける。

 こちらは、「英雄誕生神話」の英雄神話の構造
a) 主人公は高貴な生まれである
b) 父は子供の誕生に際して禁忌を破る
c) 子供は人でない姿で生まれる
d) 子供は箱や舟に入れられ流される
e) 子供は身分の低い人々に拾われる
f) 子供は人の姿になるために旅に出る
g) 子供は自分と似た境遇にある何者かの手をかり人の姿になる
h) 子供は自分と父との関係を知り、旅の果てに場合によっては父を殺し栄誉を得る

 確かに、
 百鬼丸のストーリーはこれらの物語構造に沿っています。

① a) 百鬼丸は醍醐景光の子供 ( 長子 ) である。
b) 父は魔神と契約する。
② c) 百鬼丸は身体48ケ所を欠損して生まれる。
④ d) タライで川に捨てられる。
⑤ e) 医師寿海に拾われる。※
f ) 魔神を倒し身体を取り戻す。新たに旅立つ。
⑤g)百鬼丸を導く役割を与えられている賢者役は「寿海」「みお」「琵琶法師」※
※ 侍から医師に成り下がった「寿海」も含めて「非属・卑俗」の人たちが「百鬼丸」の賢者役

⑥ ⑦ h ) は、大まかに纏めて、
「主人公は成長し、貴い血筋の両親を見出す。再会の方法は物語により様々。主人公が復讐を果たす ( 父殺し以外の形をとることもある  )」
 そして、
⑧ 子供は認知され最高の栄誉を受ける。

 この ⑥以降の展開は神話・物語によって異なり、この構造に沿って無いものも多数みられ、主人公が破滅・死亡する話も多く、また、死亡後に神として再生する民話・神話も少なくありません。

どろろ』旧アニメでは物語の最終関門がストレートに父殺し ( 醍醐景光との対決・殺害 ) で、ギリシャ悲劇よろしく、主人公は終劇後の彷徨を示唆される旅立ちをします。

 ⑧ の栄誉は、映画版で多宝丸が刀 ( 侍の身分を証明するもの ) を百鬼丸に渡しながら「お帰りをお待ちしております」というシーンがあり、映画版『どろろ』はニュージーランドでロケ、三部作で企画と、その前に公開された世界的な大ヒット作『ロード・オブ・ザリング』を意識した和製ファンタジーで、私はこのシーンを観たときに三部作の最後は「王の帰還」だろうか?と思ったものですが、続編企画が流れてしまったので詳細は不明です。

 PS2のゲーム版『どろろ』は原作を貴種流離譚・英雄譚の構造に纏めていて、
 故に、主人公は「百鬼丸」になり、「どろろ」というキャラクターの役割が「主人公」から「( 最初は ) アニキの弟分 ⇒ 最終章でのヒロイン」に変化しました。
 なので、「火袋」「お自夜」はゲーム内に登場せず「無情岬」に相当するストーリーは無く、「どろろ」のバックストーリーはクリア後のミニゲームどろろの宝探し』のみとなりました。『序章・百鬼丸』から『終章・どろろ』へと、きれいに一本道にまとまったこの物語の最終章は「最後の魔神」を倒してヒロインとの再会が描かれて大団円です。
 神話・昔話にも多い、⑧ 栄誉「悪魔・ドラゴン・怪物 ( 最終関門 ) を倒してヒロインを獲得」ですね。『どろろのあゆみ【14】2004年9月9日:PS2版ゲーム「どろろ ーDORORO -」発売』にも書きましたがこの思い切りの良さがストーリーラインを分かり易くしていて海外での展開も好評だったようです。

 舞台の新浄瑠璃はタイトルそのものが『新浄瑠璃百鬼丸』で、劇中での「どろろ」は成人男性で「百鬼丸」の養父役なので、「寿海」は本作にはでてきません。なので、原作「どろろ」の設定も「百鬼丸」にのせてキャラクターとストーリーラインをまとめている感じ? で、英雄譚からは少しずれる感はあるものの「貴種流離譚」をベースに「呪われた子供の再生」を描いていました。

 2004年は、PS2版発売、「新浄瑠璃」上演と『どろろ』周辺が賑やかだった時期で、ゲームも新浄瑠璃も良作・良エンディングだったので、これらで後付けされた設定と、今も印象的な旧アニメの最終回が、その後のリメイクに大きく影響を与えている様子が伺えます。 ( 同ネタ多数ってヤツかもしれませんが )
どろろ』には多くのリメイクがあり、その度、結末には苦慮している様子が伺えます、

 私見ですが、
 原作『どろろ』には「百鬼丸のストーリーライン:搾取された者の自己回復」⇒「どろろのストーリーライン:宿命を背負った革命」と移行していく流れがあって、単純な一本道のラインには収まらない構造を持っていて、この構造がリメイクし辛さを醸している気はします。
 また、
 百鬼丸の刀の設定は原作と旧アニメでは寿海が拝領した無銘の名刀でしたが、映画版では、妖に妻子を殺された刀鍛冶が仇討ちを一心に念じて鍛え上げた妖刀で、刀を託せる先を探していた琵琶法師が、寿海に刀を渡し、呪医師であった寿海が百鬼丸の左腕に仕込んだものです。映画の百鬼丸は名無しで、刀の銘である「百鬼丸」を名乗っています。
( 新浄瑠璃も「百鬼丸」は刀の名前でした )

 リメイク時には「百鬼丸」の家族周辺の人間関係が掘り下げられ新しい設定が付与されることが多く、この原作からズレる部分・設定に、リメイク作品が「どのようなテーマ・思想・新しいたくらみ」を持っているか? が表されているようです。
 また、百鬼丸の刀も、これをどのように捉えるのか?が作品の品格や志の高さに関わっているような気はします。
 手塚先生ほどのストーリーテラーが「刀」の設定をいろいろ思いつかなかったとも思えませんし、妖刀・名刀・破邪の剣と … 外連味たっぷりに設定を盛ることもできたでしょう。
 でも、あえてアニキの刀は「無銘」なんですよ、

 手塚眞氏も腕が刀の百鬼丸はメスをもつブラックジャックと同じキャラクターと語っていましたし、『マンガ夜話ブラックジャック』回で夏目房之介先生がブラックジャックの服装を劇画の殺し屋の衣装と指摘したように、ブラックジャックギャングスターの恰好をしているのですが、ブラックジャックは医師で「生かし屋」と衣装とは真逆の職業で、これは手塚先生お得意の「ひっくりかえし」なんですよね。
 アニキもお侍さんに見えますが、百鬼丸を侍とか若様と理解すると作品が別物になるような気はします。

 原作で描かれなかった、
 ⑧ 子供は認知され最高の栄誉を受ける。
 ですが、この反戦・反体制テーマの『どろろ』という物語で「百鬼丸」が侍 ( 職業軍人・官僚 ) に成り上がるのか? それは栄誉だろうか?
 打ち切りなので ⑧ は描かれなかったのではなく、この作品に埋め込まれたテーマ・思想がこの構造通りにいかない「何か」を形成している気はします。
 打ち切りなので兄貴が旅立つ、二人の別れが描かれる、のでは無く、あの原作の終わりも「何か」を秘めている様な気はするんですよ。

 

 

≪ 故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である  フーゴー ≫