『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

トビオコンプレックス

文藝別冊【 総特集・手塚治虫 】 河出書房新社・1999年5月25日発行
手塚作品を読む・みなもと太郎『トビオコンプレックス』
≪ さて、クローン技術は一九九九年現在、一、二の国で「クローン人間」の実験に手を染めた。人間を誕生させたわけではないが、細胞がある段階まで分裂した時点で意識的に中止したのだ。 リーチどころか、もう人類は20世紀の終りに当り牌を自摸ってしまったのだ。 なぜそこまでクローン人間の研究を、科学者はすすめているのだろう ? 

 < 中 略 >

 クローンでつくる自分の臓器は拒絶反応を起こさない。 赤ちゃんが誕生したときに、その一部の細胞を冷凍保存しておけば、( 細胞は年をとればとるほど活性化がにぶくなる。生まれたばかりの赤ん坊の細胞が一番イキがいいのだ ) やがて年をとって臓器に異変が起きたとき、赤ちゃん時代の細胞を解凍して臓器を成長させる ( 人間まるごとではない、ねんのため ) それを移植すれば、もともと自分の肉体なのだから、拒絶反応がおきる心配はまったく無く、元の健康体を取り戻せるのだ。 そうなれば、 ーいま脳死問題云々で騒がれている。臓器移植手術は消滅する。 同じ理由で、人工臓器も不要になる時代がくるのだ。 しかし、やはりどうしても、臓器だけではない一個の人間としての、クローン人間は将来誕生するに違いない …… 、 と僕は考えている。 何の理由で? 僕は手塚治虫のマンガの中から、その答えを見つけてしまったような気がするのだ  ≫

≪ ぼくがクローン人間の是非について切実に考えさせられた手塚作品は、実は「鉄腕アトム」。 そのアトムの生みの親、天馬博士、それもマッドサイエンティスト天馬博士ではなく、やさしい一人の父親、トビオのお父さんである天馬博士だ。 科学者でない、トビオを失った天馬博士は、いまこの瞬間にも世界中に無数にいる。 現実の21世紀には、最愛のトビオを亡くした天馬博士は、決してアトムをつくったりはしないだろう。 トビオのクローンをつくればいい。 クローンのトビオはアトムと違ってちゃんと成長するから、サーカスに売りとばされる悲劇もおこらない。 最も可愛いさかりの我が子に不慮の死が訪れたとき、その子の再生を願わない親が、どれだけいるだろうか? コピーではない年のはなれた双子なのだ。 顔もそっくりな、レッキとした人間なのだ。 むろん、それも悲しみを増すだけだと考えるか、あるいはまた違った倫理観から、クローンを望まない親も多いだろう。 しかし必ず、それを願う親もあらわれるに違いない。 最愛の子、トビオ。 幼くして死んだ子供を忘れられない親。 歴史始まって以来、人類が普遍的に背負いつづけてきた悲しみ。 トビオコンプレックス ≫

ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律 ( 平成12年法律第146号 )】とは、2000年 ( 平成12年 )12月に公布、2001年6月に施行された日本の法律である。特定胚を定義して、その取扱いを適正に行うよう定めるとともに、ヒトクローン作製(人クローン胚 )、 ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚またはヒト性集合胚を、ヒトまたは動物の胎内に移植 すること )を罰則をもって禁止し、関連の発生操作研究を規制する法律。 

 さて、
 みなもと先生が文藝別冊【 総特集・手塚治虫 】に上記のエッセイ『トビオコンプレックス』を寄稿される少し前、1997年2月にイギリスの研究機関でクローン羊『ドリー』が誕生。 このニュースは世界を駆け巡り、「特定個人の遺伝情報をコピーした複製人間もつくれるようになるのではないか」「人の生命を操作する研究の何をどこまで認めるか」と、多くの議論を呼びました。欧米主要諸国は挙ってクローン人間の研究を規制・禁止する動き見せ、日本もそれに追随する形で、2000年に『ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律、平成12年法律第146号』が公布されています。

 その後、20年以上の時間が経過。 現在もこれらの研究は厳しく規制・禁止されていますが、時折気になるニュースがネットに流れてきます。

 

≪ 【ペットのクローン販売、中国で拡大 犬580万円、猫380万円依頼続々】 かわいがっていた犬や猫が死んで悲しむ飼い主のため、ペットのクローンを作って販売する -。 こんな小説のようなビジネスが中国で広がりつつある。 北京のベンチャー企業が2018年から一般向けに始め、1匹数百万円と高額にもかかわらず、依頼が相次いでいる。 ただ、クローン技術の商業利用には専門家から「生命の尊厳を脅かす」と規制を求める声も上がる。 ー 西日本新聞 ・2020/4/20日付 ≫

 ビジネスとして広がっているクローン動物ですが、クローン代理母体流産の割合は高く、無事に生まれるのは三割程度。失敗に備えて複数の代理母体が必要であったり、卵子を提供する個体も必要で、多くの個体に負担がかかる状況となっており、動物福祉の観点からも問題を指摘する声が上がっています。 しかし、クローン動物はクローン人間と異なり明確な規制がなく、研究者から国際的なルールの必要性は指摘されているものの、各国の足並みもそろわず、議論は殆ど進んでいないのが現状です。

 

【中東情勢緊迫でイスラエルに国営精子バンク】
 また、イスラエルでは中東情勢緊迫化により、2000年代に入って、国営の精子卵子バンクの設立準備が進められていました。 
 戦闘で不測の事態が起こっても、配偶者との間に子供を残せるように、民間の精子卵子バンクに登録する男女兵士の数が増加。 繰り返されるパレスチナ側との戦闘で、イスラエル軍の負傷者が増えている状況が、さらにこの需要を後押しし、イスラエル政府は、新たな中東戦争の勃発の可能性を想定して、軍の士気を維持する意味でも、国営の精子卵子バンクの整備を急いでおり、バンク設立に伴う問題や倫理上の障害について検討する専門家委員会を設置した。 と、新潮社フォーサイト・2001年9月号は伝えています。
 
  その後ー
イスラエルで賛否両論「死後の精子採取」で死んだ男が父になる】
≪ 死亡した兵士の体内から採取した精子を使って子供を作る行為が、イスラエルでは合法的になされている。 息子を亡くした親にとってはそれが何よりの慰めになるという場合もあれば、父親のいない子供を増やすのかという批判の声もある。 ー クーリエ・ジャポン

【亡くなったイスラエルの兵士から精子を回収する予備法案が可決】
≪ 徴兵制のイスラエルではある習慣が流行している。亡くなった男性兵士の家族が、その精子を回収しているのだ。いつか父親の遺児を授かるためだ。 ブルームバーグによると、すでに数十人の子供が、この精子を使用した体外受精で生まれたという。それどころか数百人の女性が代理母としてだけでなく、実際に育児をする母親役まで志願しているとのことだ。
 こうした状況を受けて、イスラエル議会は3月に予備的な関連法案を可決し、兵士の精子の扱いに関する法制度を整える為に動き始めている。 ー 2022年07月24日・カラパイア ≫
 国によっては、死亡した兵士から精子を採取し、体外受精で子供を作るという行為が違法となっており、アメリカでは、州によって異なりますが、ほとんどの場合は未亡人のための制度で、亡くなった男性の両親は対象外となっています。 イスラエルでは、戦死者の親が孫を授かる権利を求めており、法整備・福祉など様々な議論を呼んでいます。 医師法や生物倫理に詳しいイスラエル、オノ・アカデミック・カレッジのギル・シーガル氏は、「孤児院ではなく、存命中の親のもとに生まれることが、子供にとって最大の利益だ。子供を失った親には同情するが、子供の出生をめぐる話は、祖母と祖父と子ではなく、母と父と子から始めねばならない。亡くなった男性から精子を回収する人は、悲劇によって失われたものを取り返そうとしている。それは記念碑を建てるようなものだ。 
 一番考慮すべきは子供の幸せ
  だが、こうした行為によって一番影響を受けるのは、亡くなった男性でも、その妻でも両親でも、代理母でもない。生まれてくる子供自身だ。 戦死した兵士のすでに生まれている子供には公的な経済支援があるが、これから生まれてくる子供はこの限りでない」と、語っており、父の死後に生まれてくる子供の経済的支援を含め法制度の整備は、まだ進んでおらず、克服すべき問題は多そうです。

 また、これ以外にも検索すると、オートバイ事故で亡くなった息子さんから精子を採取して人工授精で孫を誕生させたイギリスの祖父母の記事もあり、現在イギリスでは父の死後に誕生する子供が年間5人ほどいるそうです。

 

 死後の体外受精による子供の出生は、幼い子供が亡くなった時に子供を「クローン」再生させる『トビオコンプレックス』とは、少しずれているかもしれませんが、「子供の一部分だけでも …」「血筋を残したい」といった洋の東西を問わない普遍的な親心で、これは『トビオコンプレックス』といってもいいかもしれないなぁ、 と思います。
 ただ、これらの記事を目にした時、何かモヤモヤしてしまうのは「当事者である子供の心情」が置き去りにされているような気がするから、かもしれません。
 クローントビオを取り戻せた天馬博士の心情はさておき ( つか、おいておく ) 生み出されてしまった子供は? 成長後に「君はクローンで、亡くなった息子の代わりなんだよ」と言われてしまう子供の気持ちは置き去りで、それはそれで親の手前勝手という気はします。
「悲劇によって失われたものを取り返そうとしている。それは記念碑を建てるようなものだ。 一番考慮すべきは子供の幸せ」というギル・シーガル氏の言葉通り、一番考えなくてはいけないものを置き去りにして、科学技術と残された者 ( 親 ) の欲望が暴走している感は拭えません。

 

≪ 中国で誕生した世界初の「遺伝子操作された人間の赤ちゃん」。この赤ちゃんの“生みの親”である研究者のフー・ジェンクイは世界中から批判され、懲役3年の実刑判決を受けた。しかし、問題の赤ちゃんはいったいどこへ行ったのか。科学者たちが中国政府に「ゲノム編集ベビー」の保護を求めている。 ー サウスチャイナ・モーニングポスト
 中国の研究者が、2018年11月に「ゲノム編集」技術を使ってヒト受精卵の遺伝情報を書き換えて双子が生まれたと発表。この研究結果の報道は世界に大きな衝撃をもたらし、多くの研究者から非難の声が挙げられました。ゲノム編集は生物の設計図である遺伝情報を編集し、先天性の疾病・遺伝難病などの治療困難な病気に効果が期待できると注目が集まっています。しかし、今回のゲノム編集ベビーには多くの問題点があり、今後も論争を呼びそうです。
( この研究の論文は発表されておらず、「ゲノム編集ベビー」の詳しいデータも不明で、発表された内容は本当なのか? と疑問視されていますが … 近年、ゲノム編集技術のハードルが下がったため可能であるとの意見もあり、現在消息が分かっていない双子の行方とともに今後の報道が気になるところです )

 

 ゲノム編集は、近い将来、治療困難な疾病に福音をもたらす技術であるとは思うのですが、「ゲノム編集されたデザインベビー」となってくると優性思想につながる倫理的な問題もあり、また「人為的に人類を改変することに責任がもてるのか?」という課題も重くのしかかってきます。「自分が望む優秀な ( デザインされた ) 子供が欲しい」と、なってくると、親のエゴ剥き出しの感はありますね。
 また、「デザインベビー」が必ず「親の望むような成長」を遂げるとは限らないので、その時、親御さんをおそう悲劇を名付けるとするなら「天馬博士の悲劇」でしょうか、彼は “ トビオ ” と “ アトム ” が別々の一個人だと解ってない、天才なのにバカ親なんですよ。

『トビオコンプレックス』
「失われた子供」を取り戻したいと願う親御さんの純粋な願いだけではない「何か」
科学技術の発展で「何か」が実現可能となったとき、それが何れ程の “ 渇 望 ” であったとしても「人として」欲望に振り回されず居られるか、吹っ飛ぶように科学が発展・進化していく昨今では、欲望を抑え理性を保つのは難しいのかもしれません。
ヒトはその欲望を土台に様々なものを実現可能にしてきた「脳化」※していく生き物ですし …
※ 脳化指数じゃなくて唯脳論的な、 

 こういった報道を目にした時の遣る瀬無さは、
 掛替え無いものを取り戻したいと親御さんが思ってしまうのは仕方がないのだろうか… と思うのと同時に、我が子を失った悲しみ、寂しさを「クローン子供」で埋めようという心理に親のエゴと依存を見てしまうからかもしれません。