『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

悪書追放運動 その5 【アシュラ】

 1970年代には、『アシュラ』『キッカイくん』『切り裂く!』『ハレンチ学園』『やけっぱちのマリア』『アポロの歌』など多くのマンガが全国各地で有害指定され、青少年への販売が禁止された。特に性描写では前回紹介した『ハレンチ学園』が、残酷描写では『アシュラ』が批判を受けた。本作は人肉食などの残酷描写が指定の理由となり、「残忍、不道徳なうえ犯罪性がある。非常識であると同時に青少年に悪影響を与える」と、神奈川県は発行元の講談社に抗議した。この一連の騒動は大きくメディアに取り上げられ議論を呼び、この流れで『キッカイくん』『切り裂く!』も残酷描写で有害図書指定されるなど、騒動の余波は続いた。

 

 1970年8月~『少年マガジン』で『アシュラ』が連載開始。この作品は乱世の地獄に生を受けた主人公の生きざまを描き、高い評価を受けて今日も愛されている作品だが、第一話に飢餓の中で死肉を食べ我が子まで食べようとする女性の描写があり、これを掲載した『週刊少年マガジン』1970年8月2日号を、神奈川県児童福祉審議会が7月22日の文化財部会で有害図書に指定した。これにより同書は神奈川県内での未成年への販売は禁止となる。その後、各自治体もこの動きに追随し、次第に大きな騒動となっていく。

 神奈川県での指定の理由は「残忍、不道徳なうえ犯罪性がある」「非常識であると同時に青少年に悪影響を与える」というものであった。その後、福岡県児童福祉審議会が同作品を連載継続するという理由で『週刊少年マガジン』8月16日・23日・30日号を有害図書指定する様、知事に答申し認定された。

 その後の報道については『戦後マンガ50年史:竹内オサム著』によると、1970年7月23日付の『読売新聞』が、《 残忍マンガ売らせぬ 》のタイトルでこの事件を報道。同日『毎日新聞』もこれを報じている。翌24日の『読売新聞』は「編集手帳」欄で、やや擁護する形で《 この作品のいく末を見守りたい 》と書いたが、『毎日新聞』は「憂楽帳」欄で《 意図さえよければ何でもまかり通るというものでもあるまい 》と厳しい論調であった。26日の『朝日新聞』は「天声人語」欄で、子どもの興味が大人を振り回している、子どもと大人の世代間戦争が始まっているのではないか、と冷静な論調でこの問題を伝えている。

 その後も、28日に『読売新聞』が読者の投書を特集して掲載。同紙31日号は審議会が31日に講談社に自粛勧告したことを伝えている。8月1日の『毎日新聞』は『週刊少年マガジン』8月16日号掲載の同作品も残忍であるとして、審議会が講談社への改善勧告の動きを見せた事を伝え、27日の『朝日新聞』、及び28日の『赤旗』は、『週刊少年マガジン』8月16日号、23日号、30日号が福岡県児童福祉審議会で有害図書指定されたと報道した。また、新聞記事以外も『週刊朝日・1970年9月11日号』が《『くさいものにはふた』ではすまない 》と記事を掲載する等、報道は過熱。当時、人気作家であった秋山氏本人にも取材が殺到した。

 これらの抗議を受けて、発行元の講談社は『週刊少年マガジン・1970年8月16日号 ( 34号 ) 』に「新連載まんが『アシュラ』の企画意図について・週刊少年マガジン編集部」と釈明文を掲載し、《 本作は主人公「アシュラ」が、人間が生きられるギリギリの環境下に誕生し成長していく過程をとおして、宗教的世界に目覚め、人生のよりどころを確立させていくことをテーマにしたもので、第一回に描かれた地獄絵図的世界は主人公の成長の中で否定され、神仏へのひたむきな希求をとおして、豊かな人間社会建設していくドラマを描こうという構想で、残虐的描写によって刺激的な効果を狙うといった意図は全くない 》と訴えている。しかし、本作の結末は描かれないまま連載は終了となった。

※後年『週刊少年ジャンプ』1981年26号に読み切りで完結編が掲載。「秋山捨てがたき選集第2巻『銭ゲバの娘プーコ アシュラ完結編』青林工藝舎」に収録。

  また、上記の釈明を受けて、作家の佐木隆三氏は『映画芸術1970年11月「人を喰った讐いか冴えぬ」』において、《 人肉を喰う衝撃的な場面でスタートしながら、まだ回が浅いうちから早くも事後処理に腐心しているところが、なんとも気にくわないのである 》《 ただただ、せっかく “ 有害指定 ” を受ける光栄に浴しながら実は有害ではないのです。と言わんばかりの展開が気にくわない 》と、ジョージ秋山氏と編集部の保身的な姿勢を危惧している。

 こうした騒動の翌年、1971年5月に作者のジョージ秋山氏が引退を宣言して失踪、まだ『アシュラ』を執筆していた時期であり、これも衆目を集めることとなった。

 

 1960年代~1970年代という高度成長と社会変動の時代に、劇画という新しい表現が多くの読者を獲得し発展。その結果、1960年代末から70年代にかけて、読者の年齢層が上がるとともに『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』は青年誌としての性質も併せ持つことになった。後発の『少年ジャンプ』『少年キング』『少年チャンピオン』と次々と創刊される週刊少年誌によって新たな漫画表現が模索されていた時代、常に変化していく少年誌周辺には「有害図書」事件が絶えなかった。しかし、皮肉なことに当時指定されたマンガは今日でも評価が高く、多くのマンガファンに支持されている名作である。

 

 

  この『アシュラ』騒動時に『ハレンチ学園』騒動の阿部進氏 ( カバゴン先生 ) のような論客がいらっしゃったら、いろいろ違う展開もあったような気がするのですが、どうにも、行政側の議論や抗議が残虐描写の有無のみに終始しているように見えて …

「表現」を「規制」するには、きちんと議論を尽くすことが大切だと思うのですが、表層・作品の一部分だけを見て規制・排除している残念な状況は今も昔も変わらないですね。この様な事態にならなければ「極限状況での人の尊厳」という重いテーマを鬼才・ジョージ秋山先生がどの様に描いたのか、これも歴史に「if」は無いのですが気になる所です。

 最後に【 田中圭一のペンと箸 -漫画家の好物ー 第六話:ジョージ秋山とカレイの唐揚げ 】のジョージ秋山先生と息子・秋山命氏のエピソードがトテモ良かったので、御一読をお薦めして筆を置きます。