『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・①

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 【 手塚マンガにクレーム「ロボトミーを美化」・朝日新聞・1977年1月17日付夕刊 】

少年マンガの第一人者といわれ、医学博士でもある手塚治虫氏の医学SFマンガが、障害者団体や支援グループから厳しい批判を受けている。問題になっているのは週刊マンガ雑誌少年チャンピオン」一月一日号に載った「ブラック・ジャック」第百五十三話「ある監督の記録」で、脳性マヒの青年を脳手術で治す場面。障害者グループは「障害者に対する偏見から、生体実験として学会でも否定されているロボトミーを美化している」という。この批判に対して、手塚氏も非を認めており、「近くなんらかの措置をとりたい」としている 》

  報道によると、抗議したのは、脳性マヒの障害者による “ 全国青い芝の会 ” ロボトミー被害者の支援団体 “ ロボトミーを糾弾しAさんを支援する会 ” などで、両会の抗議内容は「ロボトミーには喜怒哀楽などの感情が失われるなど、深刻な後遺症があり、悲惨な結果が相次ぎ、強い批判があり、日本精神神経学会も “ 医療としてなされるべきではない ” と決議している」「( このマンガ内で ) ロボトミーを美化している」等、“ 支援する会 ” の佐久間氏は「このマンガは、こうした野蛮な生体実験を、あたかも障害者にとって福音であるかのように美化しており、障害者差別を助長するものだ」と、語っている。

 問題とされ、抗議を受けたのは『ブラック・ジャック:第百五十三話「ある監督の記録」』 以下は、あらすじと抗議を受けて変更された内容について、

 

【「ある監督の記録」あらすじ】

 映画監督「野崎舞莉」がブラック・ジャックの家を訪問、脳性マヒである息子の手術を依頼する。野崎監督は息子の闘病の記録映画を製作中で、その映画のラストをブラック・ジャックによる手術のシーンで、と考えていた。ブラック・ジャックは「くだらんですなぁ」と依頼を断り、気が進まない様子を見せるが、「治せるアテのない手術」として手術料五千万円、知人の医師を助手につけることを条件に依頼を引き受ける。一般には、外科手術で治癒の見込みのない脳性マヒをブラック・ジャックは過去に手術・治療した経験があり、「脳性マヒははっきりと運動中枢の異常なんだ。現在の治療法では症状にあった治療しかしていない、だがこの中枢にロボトミーで刺激を与えれば機能が正常にもどるきっかけになる ……」と、頭部に二か所の穴を開け、患者の脳に電流刺激を与えて「脳性マヒ」を治療、撮影は無事に終了する。

 後日、試写会が公開され多くの観客から好評を得るが、日本医師連盟会長は、ブラック・ジャックが無免許医であることを理由に映画は公開できない失敗作だと批判。しかし、批判を予想していたブラック・ジャックは、知人の医師のみ映るように編集したもう一つのフィルムを用意しており、ブラック・ジャックは監督に映画の成功を祝福する言葉を残して会場を去る。

 抗議を受け、単行本収録時に内容は修正され「ある監督の記録」では、監督の息子は脳性マヒという設定だったが「フィルムは二つあった」ではデルマトミオージスに変更。手術の内容も脳外科手術から、直腸や腎臓の外科手術になった。

 

「ある監督の記録」が掲載された1976年末に『少年チャンピオン』の出版元である秋田書店に抗議文が送付されたことが事件の発端。翌年1月23日に “ 全国青い芝の会 ” “ ロボトミーを糾弾しAさんを支援する会 ” の二団体と “ 東大精医連 ” の代表が参加して、関係者の話し合いが行われた。手塚氏は《 私が医学を学んだのは学生時代だけで、その後の医学の進歩、問題点についてはまったくといっていいほど知らない。とくにロボトミーは名前を聞いたことがある程度なのに、でたらめな作品を描いてしまい、結果的に障害者の方に迷惑をかけてしまった ( 朝日新聞・1977年1月24日付朝刊 ) 》と謝罪。

 その後、朝日新聞をはじめとする大手新聞誌、『少年チャンピオン』に謝罪文が掲載され、単行本収録時に「ある監督の記録」の内容は変更された。この抗議事件で、手塚氏、秋田書店は各団体の厳しい糾弾に遭い、連載中止の話まで出たという。

 

【 月刊障害者問題・1977年12月15日号 】で、手塚氏は、

《 私の学位論文は解剖であり、医者であっても開業医ではなく、病気の治し方も知らない。ロボトミーなるものも本当はロボトミーではなく、私は開けただけでロボトミーと書いてしまった 》《 連載をやめる話が何回か出た。医者として残すにしても、研究室に閉じこもらせるとか、治さなければその人の命があぶない、つまり救急病院のようなところの医者に設定を変えるという考えもあった 》《 自粛している。色々な方からお叱りを受けた。身障者の方ばかりだけでなく医者からも。漫画をやめろ、書く価値がないと。そこまでいくと言論の弾圧になるので、とにかく自粛している 》と、語っている。

 また、後年『ブラック・ジャック』連載終了時にも、手塚氏が、

《 まず、『ブラック・ジャック』をやめて、なぜ、『ドン・ドラキュラ』を始めたのか、そこいらへんのいきさつから申し上げましょう。『ブラック・ジャック』は、ほんとうは、もうすこし続けてもよかったのです。しかし、多くの読者から、マンネリだ、やめてしまえ、というお叱りをいただいて、ファイトを失ってしまったわけです。それと、あまりにも制限や制約の多さに、描きようがなくなったこともあります。いつぞやのロボトミーの事件は、明らかにミスによるものでしたが、そのほかにも、いろんな団体や組織から、これを描いてはいけない、あれは描いては困る、という抗議がいろいろ来て、しまいには、ブラック・ジャックは、ただのケガをなおす救急医師みたいな立場になってしまい、病気はほとんど扱えなくなってしまったからです。抗議はおもに描かれた病気の患者さんとか、医者、肉親などからですが、中にはマンガとはいえ、でたらめを描かず真実の話を描け、などという抗議もあって、ほんとうに描きづらくなったことはたしかです。しかしブラック・ジャックは、ぼくもすきな主人公ですから、今後も、ときどき読み切りでチャンピオンに載せますから、どうぞよろしく。単行本にも、抗議のあった話以外のはなるべく全部収録したいと思います 》と、語っており、『ブラック・ジャック』の連載終了に、この抗議事件が大きく影を落としていたことは疑いようがないだろう。

 

 

《抗議事件に至るまでの背景》に続きます。