『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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「神話の法則の三幕構成」で解析する『どろろ』 あとがき

どろろ』という物語は不思議な物語です、
50年の時を経ても、多くの人を魅了して止まない。

《 妖怪に奪われた生身の体を一つ一つ取り戻す、という「どろろ」のストーリーの骨子を流用してファミコン漫画のシナリオを書いたら単行本が250万部も売れた。
( 中 略 )
どろろ」のリメイクを試みている、他にも同じことを考えている漫画家を何人か知っている。しかし、僕のファミコン漫画を含めて「どろろ」は越えられない、複製は複製でしかない。
 オリジナルとしての手塚治虫に及びようがないことを引用者である僕は知っている 》

 上記の大塚英志氏の言葉にある様に、
多くの創作家が翻案・リメイクを試みて「小説・ゲーム・映画・アニメ・漫画」と多くの作品が今も発表されています。
 そして、発表される多くの作品群を見て、私も思うのです。
「原作は越えられない」
 と、

 一見、さほど複雑ではない妖怪退治ものに見える物語を紐解いていくと、全四巻の短い物語の中に多くの要素があることに気が付きます。
 一層目は「戦乱妖怪ヤング」、辻真先先生の『小説・どろろ』背表紙に書いてあるように乱世をたくましく生きてゆく若者の妖怪退治のストーリー、アニキと可愛い弟分の妖怪退治物語でしょうか、表面上のストーリーです。
 その下層にも「百鬼丸」と「どろろ」の二つの物語の流れがあり、彼らを巻き込み、虐げられた農民の蜂起につながる流れがあって、それらが多層的な構造を形成しています。打ち切りが惜しまれますが、連載が続いていたら、さらに複雑な「手塚歴史群像劇」が見られたのかもしれません。

 二層目はサブテキスト、描かれた物語の行間や一層目で語られることが無かった設定です。醍醐景光・寿海や琵琶丸の過去や舞台背景・設定などがあったらそれが相当するでしょうか、
 先生亡き後、それらを知る術はないのですが、リメイク時には百鬼丸を取り巻く家族関係が掘り下げられることが多いように思います。
 一層目・二層目は劇中の登場人物が知ることが出来る層です。

 三層目は、作者が暗喩などで物語に仕掛けてくるもので、作中のキャラクターは知ることが出来無い層です。
 手塚先生は「メッセージの無い作品は描く意味がない」と、公演・対談で語っており、

 また、永井豪先生が寺田克也先生との対談『SF・Japan/2002冬季号』で、

《 手塚先生って、正直に自分を見つめてたんだと思うんですよね。だから、年代とともに、つらいときには自分の絶望が全部作品に出てたろうし、そういう意味では精神的な葛藤はすごくあるんだろうなと思うんですね。普通はそこまで描かないだろうとか思うんですけど。しかもまったくの生じゃなくて、ちゃんと作品として、ものすごい物語として昇華しているというところがすごいですよね 》
 と語った様にメッセージ性の強い創作者です。
 三層目は先生が物語の中で読者に向けて残したメッセージが該当するでしょうか。
 では、先生が『どろろ』に託したメッセージとは何か?
 そして《 ~いつの時代にもある不正と戦う若者たちを描きたかったのです 》
と、『小説・どろろ』の前書きにある「不正」とは何でしょうか?
 いろいろな解釈も成り立つでしょうし「正義」は人それぞれ、本当のことは先生にしかお分かりにならないのだろうと思うのですが、

 多分、「不当な搾取、弾圧で他者の自由を奪うこと、尊厳を貶めること」です。
 これらの虐待は被虐待者の「生」を搾取します。
 そして、子供というのは何時の時代でも大人・親の都合で右左の「絶対弱者」です。
 百鬼丸の父である醍醐景光はいわんや、どろろの両親も「侍に搾り取られた農民のために戦う」と志は高かったのに、いえ高すぎたからでしょうか、二人は子供であった「どろろ」に過剰な期待を寄せて心理的に依存します。
 戦後の悲劇を暗喩したと思われる一連のエピソード、ベルリンの壁を思わせる「ばんもん」が板門店なのは有名ですが、田之助ベトナム帰還兵のPTSDを想起させます。
 国が民を搾取し、困窮した大人たちは子供を搾取する。
 虐待は強者から弱者、さらなる弱者へ、連鎖します。
 そして、人は弱い立場の人間に依存する ( 虐待する ) 快楽を覚えてしまうとなかなかそこから抜け出せません。

 そしてその快楽への誘惑は戦時中だけではなく何時も有るのです。

 マンガをこっそり描いていて教官にひどく殴られたエピソードを先生は自伝やエッセイで書いておられました。

 マンガは当時の手塚少年の自己実現であり大切なものであったのですが、当時は描くことすら許されませんでした。
 その人がその人自身であり続けようと表現することが許されない時代、場所を生きたことがこのような作品として結実したのではないかと思うのです。
「自分自身として生きよう」とすることを抑圧してくるものに抗って、自身の「生」を取り戻す。
 この物語を「呪われた子供の再生」の寓話とするならば、その先見性に驚くのですが、手塚作品にはテーマ・内容ともに時代を先取りしている作品が多いので、ここに書くのも今更かもしれません。
(『毒になる親』は1999年に日本で刊行され、毒親と言う単語が今では一般化しました )

 四層目は作り手の無意識下に有る物語です。
 手塚先生と言えば記念館もある「宝塚」ですが、出生は豊中市、5歳までは豊中市で過ごし、後に宝塚市に引っ越された様です。
 先生は4歳の時に祖父を亡くされ、お爺さん子であった先生は大泣きして一日中泣いていたと記録にあります。
 そして父親については、
《 父は法律家の息子で、お坊ちゃん育ち。きまぐれでわがままな亭主関白でしたから、もう言いたい放題したい放題で、ことごとく母に無理を押しつけ怒鳴りつけるのです 》
『ガラスの地球を救え・光文社』
と書かれています。
 エッセイの中で話が盛られている部分もあると思いますが、父親に対する嫌悪感はあったのでは無いでしょうか、
 手塚作品でしばしばみられる、鉄腕アトムの天馬博士やどろろの醍醐景光のような肯定的に捉えられない父親像。そして主人公を助け再生させてくれる、ブラックジャックの本間医師、どろろの寿海、鉄腕アトムお茶の水博士、どこか似た印象を見せる、老賢者のキャラクターは手塚先生の成育歴にルーツがあるのかもしれません。

 また、最近このような富野監督のインタビューが掲載されました。
アムロと父親との噛(か)み合わない会話や相互無理解の関係は、僕にとってはまったく創作ではありませんでした 》
( 中 略 )
《 それだけじゃない。僕は中学生の頃、父の当時の開発スケッチを見つけたんですが、そこには「潜水用空気袋」という記述が残っていました。聞くと「試作を命じられたものだ」って。米軍上陸を想定し、波打ち際に少年兵を潜ませて捨て身の突撃をさせるためのものでした。僕にとって「特攻」は神風のことじゃなく、もっと身近にあったものだった 》
と、多感な中学生当時の事を語っておられます。
 また、宮崎駿監督は数千人の従業員を擁した一族が経営する「宮崎航空興学」の役員を務める一家のご出身だそうです。
機動戦士ガンダム』や飛行シーンが印象的な宮崎監督作品の生まれる下地も、巨匠たちの成育歴にあったのかもしれません。

 天才・巨匠たちは作中で語られる第一・二層以上に、第三・四層が、その教養とともに、とても深く、広く、その豊かさが、辛く苦い経験も珠玉の名作に昇華できる強さなのだと思い知らされます。
 教養浅く凡人の私は、それらの事象を考えるだけで眩暈を覚えるような感覚になります。

  こんな場合はSF作家・星新一先生のエッセイよろしく、
「つかみかけた答えは時空不連続体をすり抜けていった」
 と、結ぶのが良いのでしょう。