『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

どろろのあゆみ【8】虫プロ斗争ニュースから

どろろ』制作・放映時期の前後は「虫プロダクション」と言う制作会社の疾風怒濤の時代で、この倒産前後の騒動も旧アニメ『どろろ』が幻作品となった一因なのでは?
と思いましたので、考察も交えて記事を纏めてみました。


虫プロ斗争ニュース・抜粋 】

昭和43年 ( 1968 ) 3月31日 
1億5千万円の負債返却の為、アトム・ジャングル大帝リボンの騎士他10作品を10年間、全権利をフジテレビに譲渡。

昭和48年 ( 1973 ) 7月
虫プロ商事倒産、負債4億5千万円。
同年8月、虫プロの取引銀行である大和銀行が1億5千万円の債権回収に動く。
同年11月5日 虫プロ倒産。

昭和48年 ( 1973 ) 8月1日
ヘラルドとのフィルム権利譲渡に関する覚書。
3500万円の負債のカタに、虫プロの全作品の全権利を、ヘラルドに永久に譲渡。

昭和49年 ( 1974 ) 1月30日
ヘラルドにフィルム資産の返還を要求提出。
同年3月20日ヘラルドとの団体交渉
ヘラルド「倒産の責任は無い、フィルムの返還は認めらない」
同年3月30日大和銀行交渉妥結。
手塚氏の土地売却により、大和銀行は1億3千万円の債権を回収。
同年11月27日ヘラルドとの交渉。
ヘラルド側、フィルムの一部返還を認める。
・フィルムの三分の一をヘラルドがとる、3500万円の債権は放棄。
・全フィルムを組合に渡し、債権はフィルム収益から回収。

昭和50年 ( 1975 ) 6月20日
ヘラルド交渉。ヘラルドがフィルムの全面返還を原則的に認める。

昭和51年 ( 1976 ) 1月23日
労組とヘラルドでフィルム返還に関する覚え書が成立。条件は以下の通り、
・TV3本 ( リボンの騎士あしたのジョー・国松さまのお通りだい )、長編3本 ( 千夜一夜物語クレオパトラ哀しみのベラドンナ ) に関してはヘラルドが協定調印後の三年間、その権利を有し、その後労組に戻る。その間の利益は、双方で50%づつとする。

昭和52年 ( 1977 ) 7月22日
組合・清算人・ヘラルドの三者和解成立。
同年12月1日 虫プロダクション株式会社としてスタート。


 私見になりますが、
虫プロ」アニメ作品の版権が最終的に何処に有るのか決着するまで、虫プロ作品の再放送やキャラクター商品化・映像商品化は利益の分配なども含めて微妙な問題で、この一連の動きがアニメ作品『どろろ』の再放送・映像商品化に微妙な影を落とす、ひとつの要因ではなかったか?と考えます。 
(「どろろ」の最初の映像商品であるライリー商会の8mmも「虫プロ」再建後、昭和52年以降 )

 時系列だとー

昭和44年 ( 1969年 ) 旧アニメ『どろろ』は虫プロが経営失速し始めた時期に制作。
( 昭和43年、負債1億5千万円返却の為、フジテレビに10作品の権利譲渡 )
         ⇓
昭和48年 ( 1973年 )『虫プロ倒産』他の虫プロアニメ作品とともに版権が微妙な状況に、
また1970年代前半より人権意識の高まり、→ 作品へのクレーム
1970年代から、マンガ・アニメの表現規制・自粛も強くなってくる。
1970年代前半から急速にカラーテレビ普及、白黒作品の再放送は減少。
         ⇓
昭和52年 ( 1977年 )『新・虫プロダクション』株式会社スタート


 と、
 旧アニメ『どろろ』は時代の急速な変化の中、版権問題も含めてタイミングが悪かった不遇な作品と言えるのではないでしょうか?
 ただ、逆に考えると『バンパイヤ』や『どろろ』は、この端境期だからこそ「テーマ、表現も含めて」制作・発表できた作品、と言う事も出来ます。

 虫プロアニメ作品の版権、フィルム資産は虫プロダクションとヘラルドの間で協議が続き、最終的には虫プロダクションに返還される形で決着しています。( 現在「手塚治虫」原作の作品については手塚プロダクションに権利を委託していることが公式HPで告知されています )


 この協議の期間、フジテレビが一時的に権利を預かっていた事が『虫プロ』アニメ作品散逸を防いだと考えると『ぼくのマンガ人生・手塚治虫著 -葛西健蔵さん、苦境時代の手塚治虫を語る-』のアップリカ創業社長・葛西健蔵氏が10年ほど手塚作品の版権を預かって守って下さったエピソードと合わせて、ファンには奇跡のような僥倖に思えます。