「どろろ」を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」の記事を掲載しています。ほぼ、それだけなので、「たわし」しかない雑貨屋状態です。挙句の果てに新アニメの記事は殆どありません。「たわし」といっても亀の子しか置いてないんです、すみません状態です。書いてる本人も如何なものか… と思ってるので、どうか御容赦下さい。

どろろのあゆみ【4】FC活動など

 虫プロダクション設立後、毎週30分の「テレビマンガ」がゴールデンタイムに放映されるという世界でも類を見ない状況が日本に生まれました。
 そして「漫画・テレビマンガ」を身近に感じながら成長した戦後漫画世代を意識して1960年代後半から始まった、ハイティーン向けの作品の模索が「海のトリトン」「宇宙戦艦ヤマト」と言う発火点を得て、1970年代に「アニメブーム」は大きな盛り上がりを見せます。(昭和47年(1972)に「ぴあ」が創刊されており、この頃から若者に向けた情報の価値が認められ始め、その中には「アニメ」の情報を欲する「ハイティーンのアニメファン」も含まれており、後の1970年代後半のアニメ情報誌創刊ラッシュに繋がっていく… とは考えすぎでしょうか? 1977年創刊のサブカル誌であった「月刊OUT」はサブカル色も残しつつ路線変更して「アニメ誌」となっています)

 さて、
「新・虫プロダクション」が再建された昭和52年(1977)前後、この時期はアニメ雑誌も刊行されておらず(後にアニメージュが1978年に創刊)、今のようなネット環境も無く、ビデオは高価で一般家庭には普及していませんでした。
 そんな時代、情報を待望していたファンに情報発信する為、プロダクション主導でアニメの公式FCが多数設立されました。また、既にファン主導の非公式FCも全国に多く存在しており、こういったFC活動が活発なファンの情報収集・交換、交流の場となっていました。
(公式のFC設立はファンへのサービスという側面と共に、アニメブームで非公式のFCが多く設立され、プロダクション側も把握が難しい中、公式な情報発信の場としての機能が求められていたのだろうと思います。)

 

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 昭和52年の虫プロ再建後に、虫プロ主導で公式FC「虫プロファンクラブ」が設立されます。再建後の多忙な中、発行されていた為と思われますが、月一回会報「虫のとも」発行の予定も遅延が多く不定期な発行でした。その後、会報は二か月に一回の隔月発行、会報発行が無い月はペーパー「虫のもと」発行となりましたが、それも厳しかった様子で「4・5」「7・8・9」は合併号で発行されています。
 会報・ペーパーの内容・記事は、作品特集(あしたのジョー佐武と市捕物控ジャングル大帝どろろなど)、読者のお便り・投稿作品掲載、新・虫プロ製作作品の情報、虫プロ新スタッフの紹介・近況、虫プロ作品のグッズ販売紹介、上映会・ファン大会の告知など、でした。

 意外なものでは、ちょっと残念な「セル画の窃盗犯」へのセル画返却の呼びかけ、
(当時、上映会やアニメショップでセル画が販売されており、アニメブームもあって大変な人気でした。セル画が1500枚以上も盗まれる窃盗事件でしたが、犯人の中学生が補導されて解決しています)
どろろ」は上映会のリクエストも多数寄せられており、この時期の上映会プログラムに毎回入っていました。(人気があったのは「ばんもんの巻」「最後の妖怪」など) 「新・虫プロ」に多くの「どろろ」再放送希望のハガキ、署名が送られてきており「皆さんのハガキは営業のWさんがフジテレビさんへ持っていっています」と報告が掲載されています。

 

手塚FC・東北

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 メインの会報「むしのなかま」以外に様々な冊子を発行。
 復刻にも熱心で、おまけとして復刻冊子が付属していました。
 今、私の手元にあるどろろ関連の冊子は「動く百鬼丸」「どろろ資料集」「どろろ復刻版」など、7・8号と連続で「どろろ特集」を組んでいたり、ここでも幻作品として「どろろ」は人気があったようです。

 

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どろろ」FC
 発足時の昭和55年(1980)頃には「どろろ」本放送視聴時に小学生だった世代が、大学生~社会人となっており、会長さんを始め積極的に活動されている会員の方たちは、この世代の方が多かった様子です。
 また、世代的に「カムイ外伝」「佐武と市捕物控」のファンも多くいらっしゃったので、それらの作品に絡めた投稿も見られ「かくれカムイ」「かくれ佐武市」等と呼ばれていました。(5号にはおまけとして「カムイ踏み絵」が付属していました…)
 他の2サークルと比較してアニパロ・お遊びが多く紙面は賑やかな印象です。

 

 上記の3サークルとも「どろろ」を含め、手塚作品の上映会は積極的に開催されており、告知記事の掲載を定期的に見かけます。
 また「どろろ」が幻作、封印作品となった経緯を考察し、表現規制問題を取り上げたコラム・投稿が三サークルともに散見され、旧アニメ「どろろ」が、その様な意味でも注目作品であったことが伺えます。

  

 上記以外にも公式・非公式を問わず手塚FCは多く存在したと思われますが、私が入会していたのは上記のサークルです。
 当時、私は少ないお小遣いをやりくりしている地方の「ちびっこ」だったので「上映会」は憧れのイベントでした。友人Ⅿちゃんの女子大生のお姉さんがアニメファンで上映会に行ったり、サークル活動されていて、その様子をⅯちゃん伝手で聞いて「大きくなったら私もアルバイトして上映会やイベントに行くんだ」と無邪気に思っていました。現物はもう手元にはありませんが、その頃にⅯちゃんのお姉さんから上映会おみやの写真を頂きました。
で…、
 この「写真」と言うのは、当時の上映会では上映中にファンの写真撮影が行われておりまして…… 今も昔も版権を考えれば違法だった訳ですが、当時はその辺がまだ緩かった様です。(個人のファンが楽しむ範囲なら、と公式のお目こぼしもあったのでしょうか、いろいろとのんびりした時代でした)
 昭和50年代はスマホもネット環境も無く、キャラクターグッズも今ほど充実しておらず、当然デジカメも無く(デジカメ初の販売製品は昭和61年)、フィルム撮影したキャラクターや名シーンの写真をファン同士が交換して楽しんでいた様です。
 別の友人は「トリトン」ファンでトリトンの写真をもらっていたような…
海のトリトン」「サイボーグ009」などは女子人気も高く、ファンクラブによる上映会も積極的に開催されていました。
 また、今回調べていて知ったのですが、1968年から10年間はフジテレビに「虫プロダクション作品」の版権があった時期で、この期間は「無料」でフィルムの貸し出しが行なわれていたのだそうです(フジテレビ太っ腹!)。上映会が頻回に行われていたのは、主催者さんのお財布に優しかった当時の事情もあるかもしれません。