『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

「どろろ」を中心に「手塚作品」の記事を掲載。カテゴリーは【書籍・舞台・表現規制・どろろのあゆみ・どろろに影響を受けた作品・「神話の法則の三幕構成」で解析する「どろろ」・ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・ジャングル大帝、黒人差別抗議事件】

【百鬼丸という子ども・③】

 さて「百鬼丸」は着物の模様も何かの暗喩ではないか、と昔から考察されていました。

① 錨 ( 怒り )

②スペード ( 剣 )

③性別記号 ( マスキュラ )

イカリハンミョウ

 散見される考察は、この四つでしょうか、

 ①は錨が “ 怒り ” と絡めて考察されているのを拝見しました。( “ 怒り ” を秘めているキャラクターだということらしいです、疎覚え … )

 

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 また、『インセクター』では「サクラニイカリゼミ」という架空のセミが描かれています。手塚先生世代で桜と錨といえば「旧日本海軍」軍人の意匠で、これを踏まえるといろいろ面白いので、このお話は後日機会があれば …

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 この時代の錨紋だとすると、錨は、このように四つ鉤がある形のものか、石 ( 碇 ) が使用されていたはず? -まあ『どろろ』で時代考証を云々は野暮天ですね。

 映画版では、この模様が百鬼丸の母方実家の裏紋という設定がありました。

( 錨模様については当ブログの【神話の法則の三幕構成で解析する『どろろ』】 でちょっと考察しています、良かったらご一読ください )

 ②、スペードは貴族の剣を表しているので、両腕が刀の「百鬼丸」を表しているという考察。

「両腕に刀」は、『血だるま剣法』の主人公が「四肢を欠損し、両腕に刀を付けている剣士」で、昔から「百鬼丸」の元ネタじゃないかと言う噂がありました。

( 『血だるま剣法』もブログ内で紹介しているので良かったらご覧下さい )

 ③は性別記号 ♂ ( マスキュラ ) をアレンジした文様で「百鬼丸」が男性、翻って「どろろ」が女性であることを暗喩しているというもの、

 ④は紅葉倫子さんに伺ったもので、昆虫の「イカリハンミョウ」由来ではないか?というもの、一般的に知られている緑色でメタリックなハンミョウとは違う地味な色味も含めてアニキの着物の柄と類似点は多い気がします。また、手塚短編『ころすけの橋』にハンミョウが「みちおしえ」として出てくるので、「どろろ」の兄貴分、賢者役の「百鬼丸」がこの模様をまとっているのは暗喩として有りそうです。

 先生がお書きになった架空の甲虫の背模様とも似ているでしょうか?

 

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 アニキの着物の模様もこのように変化していて、初期の模様がより甲虫っぽい? かな、( 芋虫やテントウムシにも、これに似た模様を背中に背負う種類がありますが、そこまで広げると何でもありに … なるので ) 連載後半になるにつれて模様が変化して「白い」部分が増えているのは『どろろ草紙縁起絵巻』で指摘があったとおり、

 

 また、竹内オサム氏は 【 手塚マンガの不思議・虫の生活 】 で、

《 蝶は手塚の過去を語る素材であった。こうみると「人間昆虫記」という作品は、手塚自身の自画像のように思えてくる。十村とは、マスコミ社会を巧みに泳ぎ渡り、四〇年以上にわたって第一線で注目され続けた、あるいは注目されたいと願った手塚自身の姿なのではないか。この本の最初でマンガが <引用+加工> から成り立つ文化であり、手塚治虫というマンガ家こそがその才にもっとも長けた才能であると指摘しておいた。手塚の創作のあとを見てみると、いかにその時代に流行した文化を取り込んでいくか、時流にあわせて自らを変身させていくか、そこに腐心する創作家の必死の姿が浮かび上がってくる ≫

  - 中 略 - 

≪ 手塚の創作の軌跡は、苦悩のうちに変幻自在の印象がある。マスコミから忘れ去られることをもっとも恐れた手塚治虫という漫画家の自画像、それが「人間昆虫記」という作品ではないだろうか。くり返すが、水野と十村の人物設定の背後には雌雄の蝶のイメージが潜在していた。これは、象徴的なことがらだ。幼児期に退行して母の膝に甘えたり、毎日丹念に日記を書きつづける十村十枝子の姿も、こう考えると、手塚の内面と習慣を投影した形象であるように思えてくる 》

 と、述べた後、

 十村十志子が手塚治虫の不完全なアナグラムではないかと言及しています。

 これを踏まえると「ハンミョウ」がコウチュウ目 “ オサムシ科 ” なのも、偶然では無いのかもしれませんね。アニキやどろろが、アトムやBJ先生の様に、手塚先生の「オルターエゴ」としての性質が強いのはその様なことなのだろうか? と、何となく合点してみたり、… まぁ、いつもの「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」案件ですが、

 また ー

《 つまり、この物語は、つぎのようによみこむことが可能だということだ、すなわち、主人公は、太陽爆弾 ( 原爆つまりはアメリカの科学技術文化 ) がおとされて二〇年後 ( 一九四五年の原爆と日本占領から二〇年後 ) の世界からやってくる。爆弾 ( アメリカの科学技術文化 ) によっていためつけられた母 ( すなわち日本のメタファー ) をすくうためにやってきたキャプテン・ケンは、同じく虐殺され、抑圧されてきたアメリカインディアンを象徴する火星人のパピリヨンとともに、アメリカの科学技術文化のシンボルたる太陽爆弾の進路をそらすべく立ち上がるのである 》

 と、櫻井氏のご指摘にある様に、上記の物語を背負った『キャプテン・ken』の「ケン」は、象徴的に「日の丸」の鉢巻きを締め、胸に「日の丸」を付けています。

 このように、手塚キャラクターはその身に纏うもので何者なのか表されていることも多いので、「百鬼丸」の纏う着物の模様も何らかの暗喩であると考えられ、昔からいろいろと考察されているのでしょう。

 

 

 さて、以下は蛇足ですが、

『ころすけの橋』は主人公が橋の上でカモシカの子と出会ってストーリーが始まるのですが『どろろ』も橋の上で百鬼丸どろろと出会って話が始まります。

 死霊の声が聞こえないかと問う百鬼丸に、モブの河原者もどろろもきょとんとしますが、その後の展開は皆さんご存知の通り。これは「どろろ」がここで初めて「怪異」に出会ったこと、つまり「どろろ」が「百鬼丸」のいる世界、死霊魔物がうようよいる世界の住人ではないことを表しています。

どろろ』の物語の主人公2人は違う世界に住んでいます。

百鬼丸」が侍、「どろろ」が野盗の子なので身分違い … 

 … とかいうのではなくて、「百鬼丸」は御伽噺・怨霊譚世界の住人で、どちらかというと「水木しげる」世界のキャラクター、「どろろ」は宿命を背負った革命の子で「白土三平」世界のキャラクター、

 この二つの世界は相性が水と油だと思うのですが、手塚先生はこの二人をW主人公にしてしまうんですね。こんな木に竹を接ぐような、ちぐはぐな、それでいて魅力的なストーリーを、よく違和感無く成立できたなぁ、感嘆符  ― と思います。

どろろ」を主人公に据えて歴史物的な「一揆 ( 革命 )」を描く、と考えると?

 妖怪退治譚や貴種流離譚的な枠組みからは逸脱するし、違和感なく成立させることが難しくなる気がするんですよね。

 手塚作品には「非属」のものと出会って始まるビルドゥングスロマンが多いのですが、その枠組みを考えても、『どろろ』は手塚マンガでも少し異質な作品かな?

 

 

【 マンガの中の障害者たち -表現と人権- 】 永井哲著 解放出版

 【 マンガの中の障害者たち -表現と人権- 】 

 永井哲著 解放出版 1998年7月2日発行

 マンガの中にいろいろな形で登場する “ 障碍者 ” その描かれ方を点検・分析しながら紹介した一冊。《 間違った内容を間違ったまま覚えてほしくない、本当のところも知ってほしい 》と、ろうあ者である著者が、収集した多数の作品を個々に検証。マンガの中の障碍者像を通して社会の「障碍者観」がどうだったのか? その作品が描かれた時代に障碍者がどのように見られていたのか? と、詳細に紹介しています。

《 そして、わかってほしいことは、障害者というのは、何も「特別な存在」ではなく、「聞こえない」「しゃべれない」「見えない」「歩けない」という特徴を持った、ただのあたりまえの人びとだということです。そうしたこともぜひわかってもらいたいと思ってます。でも、もともと「マンガ大好き!」ってとこから始まった本だから、そんなに難しくなるはずがないの! どうか読んで見てね!》と、堅苦しさは無く、楽しく読めますが、読後に考えさせられる学びの多い良書です。

 特に、創作に関わっている方には参考になる部分も多いと思います。

 

― 第三章 ここにも、あそこにも… さまざまな聴覚・言語障害者たち -

百鬼丸が、権力を求める父によって奪われたものは、たんに身体の手足や目耳と言ったものではないのです。人間としての生き方、生きる権利、家族や周囲の人びととのつながりや愛、その他さまざまな権利を根こそぎ奪われたのです。百鬼丸が四八匹の妖怪と、それに奪われた身体にこだわらざるをえないのは、それが自分の否定された「生きる」ということを奪い返すことにほかならないからです。そして、それこそが障害者、健全者といったワクを超えて、人間として最も大切な「生きる」ということ、自分は今生きている、だから生きる権利があるんだ!と主張することなのです。

 現代の障害者たちも同じなのです。「不幸な子を産まないように」と生まれてくることさえ否定されがちです。一生をほとんど外に出られないままに、家や施設に閉じ込められたまま過ごす人びとも少なくありません。自分たちも生きる権利があるんだと、「人間らしく」生きるんだと、障害者たちは街に、社会に出ていこうとします。その時に四八匹どころか、よりたくさんの「妖怪たち」がその前に立ちふさがります。医者の診療拒否、バスの乗車拒否、飲食店の入店拒否など、それらの「妖怪たち」を一匹一匹倒していくなかで「生きる」というものがはっきり見えてくるのです。

 ぼくが百鬼丸の闘いに気持ちをひかれるのは、生まれてすぐ捨てられ「生きる」ことを否定された彼が、一生懸命自分自身の生をその手に取り戻そうとする、その姿なのです 》

 

 

 さて、この本から離れて、気になっていたことを少し、いろいろ論争を呼んでいる議論に「百鬼丸は身体障碍者か?」というものがあります。 つか、あるんですね。

 これに関しては、手塚先生は「百鬼丸」を「和製サイボーグ・ミュータント」として描いていると思うので、この問いで問われている意味での「障碍者」としては描かれていないと、私は考えています。また、自身の奪われた「生 ( 権利 )」を取り戻す戦いに「健常者」「障碍者」であるかどうかは関係ないし、この作品のテーマはそこには無いと思います。

 ただ、美術品でも文学作品でも、見た後に「その人」がどの様に考えるか、その作品を「どのように」とらえるかは、文字通り「人それぞれ」です。

 どの人の心も微妙に、あるいは大幅に認知が歪んでいるので、感想・感じ方は似たものは有ったとしても、全て同じになることはありません。誰も多かれ少なかれ「認知 ( 鏡 )」の歪みがあって、「感想 ( 像 )」「どのように感じたか」は人それぞれ、一つ一つ違って当たり前だと思っているので、( 完全にフラットな鏡も、同じ鏡も無いので、結ばれる像はみんな違う、みたいな? )

「歪み」というと良くないモノのように思うかもしれませんが、そうではなく、その人の経験・学習 ( 持っている知識 ) その他諸々で、微妙に、あるいは大幅に、フィルターがかかっている状態、でしょうか? 良いフィルターであれば、その人の感想や解説は知見が広がる良いもの・面白いものになりましょうし、逆に、その人自身を苦しめるもの、偏見じみたフィルターもあるわけです。

 だから、作品を観て「こう感じた」「いや、違う」は、有って当たり前。

 皆が同じように考えている、100%一致するような「もの」があったら、それは奇妙で逆に歪であると思います。 -ので、「百鬼丸」というキャラクターをどう捉えるか、それは原作『どろろ』を読んだ、ひとりひとりに委ねられています。世に発表された作品 ( テキスト ) が、作者が意図しなかった「読み取られ方」をすること、作者が意図した以上の読み方をされることも少なくないワケですし ー

( ただ、『どろろ』は差別マンガである、「百鬼丸」は障碍者である、この漫画はケシカランといわれれば、私は「それは違う」と、いうと思います。ましてや「この様に感じるのが正しいから同じように考えて」とかいう輩がいたら「あんたはアホか」と返します )   

― なので、逆にその作品をどのように「読んだ」のか、「感じた」のか? は、その人の心の有り様を反映していて、それを否定されると「自分自身」を否定されたような気分になる、というのはよくある話で、板やらタイムラインが荒れる理由もその様なところにあるのでしょう。でも、それは感想が「人それぞれ」なだけで「自分自身」が否定されたワケではありません。意見や感想が食い違っただけで、それは当たり前のことです。だから、すり合わせが必要な事象なら、議論して落としどころを見つける、また、議論してより高い知見を得る、と言うのが建設的だと思います。

 -閑話休題

 

 さて、「百鬼丸」が障碍者であり、その様な作品は不適切であるという声が上がったのであるとしたら? どのような問いをたてて考えればいいのか?

 これは、当ブログで紹介した【 ブラックジャックロボトミー抗議事件 】【 ジャングル大帝、黒人差別抗議事件 】とリンクしている問題だと思います。前者は天才的な外科医の手術や実際にはありえない技術で作中の人物が「治療」されている事へ「デタラメを描くな」と抗議があった事件ですね。

 また、当ブログの悪書追放運動関連・抗議事件のまとめを読んで頂いてから、以下を読んで頂ければ何となく、参考になるのではと思うのですが、

 それでは、また遠い所からになりますが、

 

 2003年春の統一地方選時に視覚障害者団体から「ダルマに目を入れて選挙の勝利を祝う風習は、両目があって完全、という偏見意識につながりかねない」というクレームが入ったことで選挙勝利時の「ダルマに目入れ」が問題化。それ以降、ダルマを置く選挙事務所も減少傾向となっているそうです。これに関して、乙武氏のTwitterを記事にまとめたものが興味深かったので、ご紹介させて頂きたいと思います。

《「だるまに目を入れるという風習が差別や偏見に当たってしまうというのなら、世の中の多くのことがグレーゾーンになる」、「手を焼く」や「足並みをそろえる」などといった慣用句も、「手足のない僕が、これらの言葉を『差別だ』と騒ぎたてたなら、こうした表現も使えないということになる」》

《 障害だけではない。美肌を良しとする風潮を、アトピー患者の方が『偏見を助長する』と主張する。モデル=高身長という概念は『差別だ』と低身長の人が訴える。現時点でそんな話を聞いたことはないが、これだって『だるまに目を入れる』のと大差はないように思う。正直、言いだしたら、キリがない 》
 しかし、乙武氏は、障害者団体の問題提起を「考えすぎ、そんな意図はない」と受け流してしまうことについても異論を述べています。

《 幼少期にいじめに遭い、親にも受け入れられず、しんどい環境のなかで育ってきた方に、『障害なんて、乙武のように笑い飛ばせ』と言っても無理があるし、僕らが『それしきのこと』と感じることにも敏感に反応してしまう。『やめてくれ』と思ってしまう 》

《『いやだ』という人に『そんなの気にしすぎだ』と言うのはかんたん。でも、彼らがなぜ『いやだ』と感じてしまうのか、そこに気持ちを寄り添わせる視点は忘れずにいたい 》

 乙武氏は自身をネタにすることもあり、エイプリルフールに《 手足が生えてきた 》と呟いたり、Twitterを見た人をギョッとさせることも少なくありません。それは氏が自らの障碍を「ただの特徴」だと思っており、「障碍の有無」に価値観を置かない考え方ができているからだと思います。しかし、それは氏の心の有り様がそうなのであって、そのような考え方ができる方ばかりでは無いのが現状でしょう。

 最後に氏は《 幼少期に「障害がある」という理由でつらい思いをする人々が少しでも減るように、僕自身、尽力していきたい 》と、結んでいます。

 私は『ブラック・ジャック』『どろろ』が差別的な意図で描かれたケシカラン作品とは思いませんが、読んで不快に感じたり、傷つく方々の「心」の状態がどんな有り様であったのか、慮る視点は持っていたいと思います。

 ただ、残念ながら誰も傷つけない表現は無いです。

 もともと創作者は観測者の心に何らかの足跡 ( 傷跡 ) を残したくて創作していると思うので、( ゾーニングや配慮は無論、必要だと思いますが ) なので、最近多いアレコレは「木に寄りて魚を求める」みたいなものなんじゃないかと思うんですよ。「だれも傷つけない表現にしてください」と「ありえないもの」を要求して相手をずっと非難するのも「ハラスメント」ではないでしょうか、

 また、原作『どろろ』の「百鬼丸」が体を取り戻して喜ぶ場面を取り上げ、配慮が足りない作品だとみる向きもあるようですが、一部分だけ取り上げて作品をアレコレいうのは意味の無いことだと考えます。この作品で「五体満足で侍大将」である醍醐景光、「五体満足で村という共同体に属する普通の」人々の描かれ方を見ていたらいろいろ違って見えるのではないかと思うのですけども、

 寄る辺無い ( 非属の ) 身の上で人間以下とされている「どろろ」「百鬼丸」と、「所属する場所を持つ」普通の人々の「どちらが人なのか」「人にとって大切なものは何か」「何が人を人たらしめているのか」多くの問いかけが本作品中にはあります。そして、「五体満足」で「普通」で有るはずの人々の作中での描かれ方を見ていると「五体満足」であることが「人に成る」ための条件として作中で設定されているとは思えません。作中に出てくる共同体は百鬼丸の探していた「しあわせの国」として描かれていませんし ……

 卑近に書くと「百鬼丸どろろと、彼らを追い出す村人や醍醐景光と、どっちが〇ズなの?」という問いかけ …? うーん、平たくしすぎて話がズレてきましたね。

そろそろ、この辺りで失礼致しましょうか、

 

それでは、どっと祓い

皆さま、良いお年を!

 

【百鬼丸という子ども・②】

 

 真面目に当ブログをご覧になっている方からお叱りを受けそうなネタでございますが、

 

 昔からある『どろろ』の謎に「百鬼丸は魔物に身体四十八箇所を奪われているが、股間は大丈夫であったのか?」という、「アニキの股間問題」があります。

 私が現役のちびっこだった時も、友人間でその疑義が持ち上がりました。

 当時、仲の良かったNちゃんに『どろろ』全四巻を貸した後、Nちゃんは返却時に「アニキ、体のあちこち取られているけど、〇んちん大丈夫だったんかなあ」と、大変素直に子供らしい感想を述べて下さり、ひとしきり友人間で、その話題が協議されました。

 意見は割れて紛糾し、

「さすがに妖怪も股間は持っていかないのではないか?」

股間も持っていかないと四十八箇所にならないのではないか?」

 この様に、意見は真っ二つだったのですが、最終的に、

「寿海さんが男子だと判断したのだから股間はあったのだろう」

 に落ち着きました。

 

 この謎は、連載中の手塚先生に伺わないと結論は出ないだろうな、と思うので、永遠の謎ですが、

 

『小説・どろろ』 鳥海尽三:著 表紙切り絵:百鬼丸 ( 渡辺文昭 ) 発行:学習研究社 

2001年7月「百鬼丸誕生」9月「妖刀乱舞」11月「崩壊大魔城」と全3巻で刊行

《それだけではない、頭部はそのままだが、耳と鼻がない。ただ小さな穴が開いているだけである。両眼は閉じられているが窪みになっていた。眼球も無い。腹部には切り取られた臍の緒が垂れ、股間に当たる部分の生殖器だけが男の赤子であることを物語っている》

 と、鳥海版『小説・どろろ』では、「とられなかった」ことになっています。

 

どろろ』 NAKA雅MURA:著 発行:朝日新聞社 2006年12月

2007年1月公開の実写映画脚本を担当した “ NAKA雅MURA ” 氏による映画のノベライズ、上下巻が同時刊行

 こちらでは、五体目の魔物『ぱっくりモチ爺い』を倒した後に、百鬼丸が取り戻した男性器を自分で確認するシーンが有り、「とられた」設定になっています。

 

 舞台・ゲーム版では、どちらも股間を取り戻すシーンは無いので、映画ノベライズ版が唯一、「とられていた」設定を採用したリメイク作品でしょうか、映画版の寿海さんは「呪医師」なので、外性器で判別しなくても性別が判ったのかもしれません。

 

 また、この「謎」から派生して、

「身体の部位が全部戻ってきたら“アネキ”という展開もあるのではないか?」

というネタもありました。

 

どろろ梵』

ヤングチャンピオンコミックス:全四巻 道家大輔

ヤングチャンピオン秋田書店」2007年12号~09年5号まで、全38話連載

 こちらでは、現代日本百鬼丸が「女性」として転生するのですが、転生前は男性なので、少し違うかな、

 

「アニキは男性か女性か?」 

 原作で男性として描かれているので、この「問い」は蛇足だとは思いますが、

 

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 原作の、このシーンの着物横の小さい線は臍だと思います。

 んで、絵をお描きになる方がお詳しいと思いますが、このシーンのアニキの臍は男性の臍の位置です。臍の位置は内臓とも関係が有るので、アニキは「男子」ですね、

 また、創作物でアレコレいうのも野暮天ですが、当時の医療事情を考えると性別の判定は外性器の状態で判別するしかないでしょうから、鳥海版のように「股間」は取られずに済んだというのが落としどころですかね、

 

 まぁ、「股間」担当になった妖怪も嫌だろうし、

 でも、河童みたいに「尻子玉大好き」とかいう妖怪さんもいるしなぁ …

【百鬼丸という子ども・①】

どろろ 秋田文庫1巻 : 解説 呪いと祓い ー 百鬼丸の運命  荒俣宏

手塚治虫の『どろろ』は昭和四三年に週刊まんが誌に登場した。大学紛争に端を発した動乱が、混乱のきわみに近づこうという時代でちょうど『どろろ』の舞台となった乱世に似ていた。体制がわも学生がわも、どちらが鬼でどちらが祓い師なのか、しろうとである市民には、とんと区別がつかなかった。そのときの不安な感情を、こう言い換えてもいい、だれが世をしずめ、だれが秩序をもたらすのか、と。

 百鬼丸は、そういう世に生まれた。しかも異児として! これは途方もなく迷惑な話だし、悲惨な巡りあわせだ、チベットの「死者の書」ではないが、人は悲しみながら生れでるのに祝福され、喜びながら死ぬのに哀悼される。ところが百鬼丸は、呪われて生まれ、たぶん

―喜ばれながら死んでいくはずだったのだ。

 しかし、百鬼丸は、医師の手でそだてられ、成長する。かれは四十八の魔物を倒して、父のせいで奪われた身体各部四十八か所を取り戻す旅にでるが、そもそもこの四十八か所という数字からして暗示的だ。( 中略 ) 妖怪一匹退治することを、中陰の一日を過ごすことと読み替えてみよう。四十八体の魔物は、中陰四十九日のうちの四十八日にあたる。あと一日、いや、あと一匹、妖怪をかたづければ、百鬼丸は体を完全に取り戻し、成仏することができる。この成仏は、乱世の終わりであり、かれの父の野望がつぶれることをも、意味しているのだ 》

 

 荒俣先生の解説はトテモ魅力的なのですが、私には「成長」して旅立った百鬼丸の旅路が死出の旅路 ( 成仏 ) とも思えないので、まあ、その辺から考えたいと思います。

 身体四十八箇所が何かの暗喩ではないか、というのは、昔からあちこちの考察で言われていました。有名なのだと、阿弥陀仏四十八願でしょうか、百鬼丸の旅路を仏の修業に儗る考察かな、舞台『新浄瑠璃百鬼丸』では、いろは47文字の妖怪が出てきましたし、身体四十八箇所で「すべて」、呪いを受けて「すべて」を奪われた子供、と考えると考察として座りも良い気はします。

 さて、ちょっと遠い所からこの話をはじめます。

 昭和42年、原作『どろろ』連載時に少年マンガには怪奇もの・妖怪ブームが訪れていましたが、この時期以前、戦後マンガ初期から、怪奇マンガは描かれていて読者に好評を博していました。

 初期の貸本劇画誌から「ミステリ・謎解きもの」は人気のあるジャンルで「怪奇スリラー」をテーマにした短編誌が出版されましたが、これらの多くは「怪奇ミステリ」を主軸にしていて「怪談・恐怖マンガ」そのものは主流ではありませんでした。

 その後、昭和33年に “ 怪奇と恐怖 ” を中心にした『怪談』( つばめ出版 ) が創刊され、同年末には『オール怪談』が創刊、と貸本怪奇漫画誌を代表する短編誌が相次いで創刊されます。翌年の昭和34年には「怪奇小説全集」が創元社から出版、ハマーフィルムの怪奇映画が公開されるなど、怪奇物のブームが活発となる中、昭和34~35年にかけて「因果もの」「怨霊譚」を中心とした怪談漫画誌が相次いで創刊され、貸本劇画が怪談ブームのピークを迎えます。

 昭和33年に水木しげる氏が『ロケットマン』を発表し、昭和35年には『墓場鬼太郎』『鬼太郎夜話』、翌年には『河童の三平』を発表。

 昭和30年代、貸本劇画時代の水木氏はマイナーな作家でしたが、コンスタントに作品を発表し続け、この時期から熱心なファンを獲得していました。

 その後、水木氏は貸本劇画から活躍の場を少年誌「週刊少年マガジン」に移し、昭和40年には『テレビくん』で講談社児童まんが賞を受賞、翌41年には『悪魔くん』がテレビ放映されています。

 この、『悪魔くん』のヒットで水木しげる氏は一躍人気作家になり、人気が今一つで不定期な連載であった 少年マガジンの『墓場の鬼太郎』も正式な連載となります。内容も少年誌読者層に合わせて、怪談色が強かったストーリーを「鬼太郎が悪い妖怪を退治」と勧善懲悪にテコ入れ、これが功を奏して徐々に人気が加速、翌年には『ゲゲゲの鬼太郎』としてテレビマンガ化を果たします。

 この様に水木しげる氏が牽引した怪奇・妖怪ブームの流れの中、

 昭和42年に鳥山石燕の『図画百鬼夜行』がシリーズで渡辺書店から影印復刻。これを手塚先生も『どろろ』連載前に資料として購入されていた様子です。

【 虫ん坊 手塚マンガあの日あの時・第27回―妖怪ブームの荒波に挑んだ『どろろ』の挑戦!― 】 こちらの記事内で語られたように、手塚先生が幼少時の眞氏が描いた妖怪と図画百鬼夜行の鉄鼠から「四化入道」の着想を得たエピソードは有名ですね。

 この手塚先生の蔵書だった『図画百鬼夜行』現在は眞氏が所有されているそうです。

 また、『どろろ』連載開始年の昭和42年に「一乗谷朝倉氏遺跡」の発掘調査が行われ、地下から見事な庭園が発掘されました。これは大きく報道されたので『どろろ』の時代背景・舞台の着想はこの辺りにあったのかもしれません。

※鳥海版『小説どろろ』の舞台はこの周辺で、映画制作発表時にはロケ地になるかも、と期待で地元が盛り上がった。 -そうですが、ロケ地がニュージーランドになったのは皆さんご存知のとおり。小説内でアニキが修行した「文殊山」に、今は《 百鬼丸修行の場 》と立て看板が立っているそうです。昔は、散策していて脅えるほど《 熊出没注意 》の看板がいくつも立っていて、アニキは金太郎か何かですか? 修行していて大丈夫だったのか? と、思いましたが、軽装でひょこひょこ登っている私が一番大丈夫ではなかったな ……

無事帰還できて良かった。

閑話休題

 

 さて、

画図百鬼夜行」「今昔画図続百鬼」「今昔百鬼拾遺」「百器徒然袋」、鳥山石燕の四つの妖怪画集は総称して『画図百鬼夜行シリーズ』といわれ、これの「百器徒然袋」に登場する妖怪が四十八種。また、この「百器徒然袋」の妖怪は、能、浄瑠璃、歌舞伎、いずれかの芝居と結びついているとの説もあり、― と、案外「身体四十八箇所」の着想もこの辺りでしょうか?

「百器徒然袋」が「宝船」に始まって「宝船」に終わるのも、

「宝船」といえば夷・大黒、出雲神話では、この二柱、事代主命大国主命の神様は「親子」。大国主命因幡の白兎で有名な様に医療神 ……

 えーと、この辺りも面白いのですが、長くなりそうなので割愛します。

 また「宝船」の原型は悪夢と良夢を違えて悪い夢を流す「夢違え」が原型で ( 穢れを流すという大祓と同じ発想 ) ここでもアニキの出自と奇妙な符号の一致もあるような … ないような …

 

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【 能天気教養図鑑・唐沢商会 幻冬舎

 また、おかだえみこ氏のインタビューでも、このように先生が回答していたので、阿弥陀仏四十八願とか、中陰の四十九日は恰好良い暗喩ですが、何か違うような気はします。

 まあ、私が百鬼丸の旅路を「人に成る ( 人でなしにならない )」旅路と捉えているので、仏となって文字通り「成仏」するのは違和感があるから、そのように思うのかも知れませんが、

 

 

 

どろろ』謎多き打ち切りを徹底考察 -みたいな記事を拝見したんですが ……

「掲載誌の中心読者層は少年で、きらきらした夢や冒険譚を求める年頃、『どろろ』はそんな少年たちの求める内容と違って陰鬱で残酷な内容であったので当時の読者層のニーズと合致していなかったので連載が終了した」

というような内容だったのですが、

 えーと、この辺で、つっこみどころ満載でございます。

 記事をお書きになるのなら、せめて、当時の少年サンデーとかマガジンとか読んでみましょうよ … 劇画・妖怪・怪獣ブームもあって、怪奇物、グロテスクな作品も当時の少年誌には多く掲載されていて、『どろろ』なんか上品な方ですよ? 少年はエロもグロも好きだと思うんですが、( 当然すべての “ 少年が ” ではないですよ )

 少年誌に限らず少女誌でも、この時期から怪奇物は増えて、昭和40年代には楳図かずお先生が活躍する下地ができておりました。 女の子も怪奇物は好きですしね、

 まあ、いろいろ、いい加減に書かれちゃうほどに、

 昭和は遠くなったという事ですかね ( 寄る年波感 )

 

ブラック・ジャック、ロボトミー抗議事件・⑤ 雑感まとめ

 -どのように問いを立て、考えるのか? 

【 マンガ環境・現代風俗’93 発行:リブロポート マンガと差別 灘本昌久 】

《 青い芝の会の人たちが指摘する第二の点、すなわち手塚が「障害者を健全者に同化すべき者として描」いたということが、問題の指摘としては重要である。つまり、「ブラック・ジャック」の筋書きが、障害者はかわいそうな存在で、治療することでその境遇から抜けでられると考えているというのだ。障害問題になじみのない読者には、治療することのどこがいけないかわからないかもしれないが、青い芝の会の会の存立を支える重要な思想が、この「障害」をどうとらえるかということにある。従来の障害者運動は障害を健常な状態からの欠損とみなし、治療を当然のこととしてきたが、青い芝の会は、一九七〇年以来の、親による重症身体障害者殺しに対する告発運動などを通じて、脳性マヒ者を「本来あってはならない存在」として見る見方に重大な意義申し立てをしてきた。この内容には、私自身は異論がないわけではないが、ここでは立ち入るのをやめよう。しかし、この障害者はあってはならない存在なのかという問いかけは、十分尊重に値すると思う 》

 

 さて、

ブラック・ジャック』への抗議は秋田書店手塚プロダクションの謝罪内容から、“ ロボトミーを美化して描いた ” “ 障碍者を健全者に同化すべき者として描いた ” ことに抗議が寄せられていたことが分かります。

 ロボトミーを美化しているという抗議は、手塚先生も作中での「ロボトミー」は誤用であることを認めていて、美化しているという批判は当を得ているとは言い難いと思います。しかし、もう一つの “ 障碍者を ( 治療して ) 健全者に同化すべきものとして描いた ” という指摘についてはどうでしょうか?

 

 これまた、私見ではあるのですが、

 この問題は「切り分けて」考えたほうが良いと思います。『ブラックジャック』は本間氏が語ったように「普通に障碍者が出てくる」ストーリーが多くて、主人公は天才的な外科医ですから「治療」がメインに描かれることが多いのですが、「治療」は ” 障害者を健全者に同化する ” ことではないし、“ 障碍のある方を健常者に同化されるべきものだと ( 劣ったものだと ) 憐れむ ” ことでもありません。

 医師をはじめとして多くの医療に携わる方たちが大変な思いをして働いて「患者さんを治療して」いるのは ( 生活のため、おちんぎんのためもありましょうが )「QOLを上げるため」です。

 簡単にいうとみんなを「しあわせ」にする業務です。

 病や障碍で苦痛や不便が有る状態では、皆さん「しあわせ」の追求どころじゃないですから、

「治療」と “ 健常者に同化されるべきものだと ( 劣ったものだと ) 憐れむ ” ことは切り離して考えないと、変な結論にたどり着きます。

「治療」を受ける受けないの選択は個々人が持っていますし、例えば、その方が「治療」を望んで、結果として持っていた障碍や病いが無くなったとしても、それは “ 健常者に同化された ” “ 障碍者が否定された ” わけではありませんよね?

「治療」は「健常者に同化」させることではありません。

 障碍のある方たちを、病に苦しむ人々を「安楽」にして「しあわせの追求」が出来る状態にして差し上げる、そんなものです。

 

 なので、この問題を考えるとしたら、

 “ 障碍者はあってはならない存在なのか ” という問いかけだろうかと思います。

 当然、そんなことはありません。

『ある監督の記録』も “ 障碍者はかわいそうな存在で、治療することでその境遇から抜けでられる ” と考えて描かれた作品ではないと思います。

 でも、当時の「青い芝の会」や「東大精医連」はそう思ってしまった。

 何故か?

 

封印作品の謎-2004年10月発行・太田書店 著者:安藤健二

《 長嶋医師は「反対運動がちょうど盛り上がっていたときに、手塚さんはロボトミーという言葉を使ってしまったんです。手塚さんに抗議してマスコミに取り上げられれば、『ロボトミーは悪い手術だ』と広くアピールできるんで、非常にタイミングがよかったというのもあったと思います。誰でも知っている漫画家の手塚治虫が間違った表現をしたということであれば、今までロボトミーを知らなかった人たちにも、その問題点をPRできるわけですから」と語っており、この様な経緯で、「東大精医連」や各団体から『ブラックジャック』への抗議がなされるのも当然の成り行きであったと言える 》

 

ブラック・ジャックロボトミー抗議事件・② 】でまとめたように精神医療の悲惨な歴史があり、反対運動が盛り上がっていた時期に、この作品が発表されたことが抗議事件の発端のひとつでしょう。そして、このタイミングの悪さも原因の一つだと思いますが、大本の原因は心身に障碍のある方達の辿ってきた過酷な歴史※にあると思います。「兄弟の縁談にさわるから」「風聞が悪い」と心身に障碍のある方たちを「私宅監置=治療なき監禁」してきた歴史。また、抗精神薬が現れるまでの前時代的な治療の拷問の様な過酷さ、特に重篤な後遺症が予測できないロボトミー手術は人体実験のような側面もあり、多くの被害者を生むことになってしまいました。

 1970年代後半から、人権運動の活発化とともに、悲惨で前時代的な医療現場への糾弾運動が興ってきた時代を背景として、歴史の中で常に存在を否定されてきた「精神疾患患者」「障碍者」の「強い怒り」が、大きな抗議活動として噴出してきた時期に、手塚先生が『ブラック・ジャック』で「ロボトミー」を誤用してしまった。これが今回の事件につながったことは疑い様も無く、手塚先生が ( 御多忙であったこともありましょうが )「ロボトミー」について、きちんと調べて『ある監督の記録』を描いていたら避けられた抗議だったかもしれません。

 

※これは、日本精神神経学会の【 写真で見る学会百年のあゆみ 】が参考になると思います。また、Wikipedia【 私宅監置 】の項目も詳細です。( ショッキングな画像もありますので、閲覧はご注意下さい ) 私は『写真で見る学会百年のあゆみ・その3 私宅監置と拘束具』の画像にある「濯水籠」を拝見したことが有るのですが、この器具は、かなり小さいです。主に治療に使用されていましたが、拘束目的でも使用されました。

 治療といっても、この檻に患者さんを入れて上から水を浴びせる治療で、現在から考えると拷問の様ですが、当時は抗精神薬もなく、発作を起こして自傷他害の恐れがある場合は拘束するしかなく、また、今ほど医療が発達していませんでしたから、精神疾患の原因も不明で「脳の器質的」な障害が原因と考えられていたので、とにかく頭を冷やしていた ( 水を浴びせていた ) んですね。

 この治療だけでも前時代的な精神医療の悲惨な状況が垣間見えると思います。

 

手塚治虫漫画全集ブラック・ジャック』18巻・あとがき 】

《 あるとき、東大医学部の学生の活動家グループがぼくに、「そんなでたらめをかくのなら、漫画家をやめちまえ」と、どなったことがあります。東大の医学部とかなんとかいったって、まったく幼稚な連中です。でたらめなことがかけない漫画なんて、この世にあるものでしょうか 》

 

 精神疾患患者さんや障碍のある方達の辿ってきた苦難の歴史と、それでも無くならない差別を思うと「青い芝の会」「東大精医連」の抗議運動が過激なものになった背景も、「けしからん、こんなマンガは描くな」と憤慨したことも理解はできるのですが、その作品が不快だと感じた時に「不快なので削除」と短絡的に結論づけるのではなく、何がいけないのか、不快なのか、きちんと議論を尽くさないと、けしからんと怒って抗議した、謝罪・削除された、絶版になった、それで終了  ―と、前回のブログでも書きましたが、ぺんぺん草も生えない不毛なことになってしまうと思います。

 

【 被差別者の被差別感情 】

《 自分が何か不快だというふうに思った時に、「不快だからけしからん」とは結論づけられないということです。例えば、「エタ」という字を全部消してしまいたいというような感情に襲われているとしたら、その人自身の中に、克服すべき課題が山積みしているということを指摘できると思います。「エタ」という言葉が嫌いで、それに墨でも塗りたいと思っている部落出身者がいたとします。その友人は、この部落民に対してどういうことを言うべきか。一緒に本から文字を消すのを手伝ってあげるのが、本当の友人であるのか。あるいは、彼の、彼女の話をよく聞いて、言うべきことは言うのが、本当の友人であるかは、よく考える必要があることです 》

 

 私たちは否定されるべき存在なのか? という問いかけは、悲しい歴史と無くならない差別に対する「不安 ( 私たちは否定されるのか )」から発生したもので、「不安」は「怒り」の一次感情ですから、「青い芝の会」の社会運動や「東大精医連」の告発が「強い怒り」に裏打ちされた過激な主張になったのも、不安の過剰保障として怒りを足掛かりにした過激な抗議活動になっていったのも、時代背景とともに仕方無いことであったのだろうと思います。

 しかし、それは障碍や疾病の有る方たちを取り巻く社会環境の問題であるとともに、個人の克服すべき課題もはらんでいて、マンガや絵空事であっても「でたらめ」は許せないという不寛容さも、この「怒り ( 不安 ) 」が根底にあり、( 確かに今だに如何なものか? と思う作品もありますが ) この「怒り ( 不安感 )」と向き合っていく事が、今後、一人一人の課題なのだろうと思います。また「すべてけしからん、消してしまいたい」という人たちの感情の裏に何があるのか考えて、その人たちをケアすることも大切なのだと思います。

 私は、障害の有無に価値観を置かない「価値観の再構成」が、個人にとっても、社会にとっても大切で、それには、今ある差別を皆で考えて議論することが出発点なのだと考えます。

 なので「安易に削除」は悪手なんだよなぁ、ホントに、

 

封印作品の謎 -禁じられたオペ- 著者:安藤健二 】より

ブラック・ジャックロボトミー手術抗議事件」直後の本間氏によるインタビュー

《「ある監督の記録」は脳性マヒの患者を扱っていたこともあり、「青い芝の会」の抗議は「本来治る見込みのないはずの脳性マヒ患者が『ブラック・ジャック』の手術で完治するのはおかしい」というものだったという。これを受けて、手塚は『ブラック・ジャック』の中で障害者を描くことも自粛してしまっていた。「身障者の気持ちは健康体の者にはわからない」というのがその理由だった。

『それは間違っていると、はっきり伝えました。確かに障害者の気持ちは障害者にしかわかりませんが、そしたら障害者は健常者の気持ちがわからないから、健常者のことは何も描けないとなってしまう。僕は、手塚さんの描いた障害者の物語を読みたかったんです』》

 

「でたらめをかくな」という批判には「デタラメが描けない漫画なんてありません」と気炎を上げた先生も、障碍の有る方達からの抗議は辛かったのだと思います。しかし、「身障者の気持ちは健康体の者にはわからない」と、そこで思考を止めるのではなく、さらに「問い」を作品で深めていただきたかったと、私は思います。なので、【 月刊:障害者問題 】編集長の本間康二氏が手塚先生に『僕は、手塚さんの描いた障害者の物語を読みたかったんです』と、伝えて下さったことはファンの一人として嬉しく思います、ありがとうございました。

 

 

 

 釈尊四門出遊で「老い・病気・死」は人が逃れられない苦しみとして挙げられているのですが、これとガチンコしているのが医療職の方たちなんです。最大にして逃れられない苦しみと日夜戦っている、しかも、必ず人は死ぬ、ブラックジャックや医師の闘いは常に負け戦なんです。

 それに「ブラック・ジャック」はずっと抗っている「何のために」

 それこそが手塚作品の根底にあるものだとおもうのですけれども、

ジャングル大帝、黒人差別抗議事件・⑤ 雑感まとめ

 今回、『ジャングル大帝』黒人差別表現問題について調べていたので、『ちびくろサンボ』絶版についての記事も多く拝見しました。黒人差別表現問題といえば『ちびくろサンボ』というぐらい、当初問題になったサンリオのキャラクター「サンボ&ハンナ」やヤマトマネキンよりもこちらが有名で記事も豊富です。

 その一つに【 差別っていったい何だろう 京都部落史研究所月報『こぺる』165号、1991年9月 】という記事がありました。

 京都部落史研究所の灘本氏が『ちびくろサンボ』問題をテキストに、現在の差別問題の扱われ方、差別的な表現があるとされた途端に議論もされず、何が問題の本質なのかわからないうちに、その作品や出版物が消えていく、「見ぬ物清し」的な問題解決方法に、疑問を投げかけ、本当にこれが差別問題なのか、差別の本質とは何か、これらの問題にどのように「問いをたてるのか」氏が語られた公演のまとめです。興味の有る方は【 差別っていったい何だろう 京都部落史研究所月報『こぺる』165号、1991年9月 】で、ググって御一読ください。解りやすいだけでなく、今までこの問題で何か引っかかって「もにょもにょ」していたことが腑に落ちます。

 以下、抜粋ですが、

 

ステレオタイプの克服 】

《 ある民族を思い浮かべれば、ある特定の映像のイメージというのが、喚起されますね。アメリカン・インディアンを思い浮かべれば、羽根の飾り物をつけたインディアンが思い浮かぶだろうし、エスキモーだったら、毛皮を着た、犬ぞりに乗っているような、寒いところにいるエスキモーを思い浮かべます。たとえば、弓矢を引き、犬ぞりに乗って雪の上を走っているようなエスキモーの絵を描いたとします。それがエスキモーにとって、いかなる意味を持っているかということは、絵だけからは客観的にはわかりません。エスキモーが、自分たちの文化に対して、どういう考え方、感じ方を持っているかによるわけです。たとえば、エスキモーが機械文明・工業文明に侵略されて、徹底的に文化を破壊され、お前たちの文化は、劣っているんだ、犬ぞりをひいて狩りをしているような人間は劣った人間だということを、文化的に強要されたとします。エスキモーがそれを受け入れれば、自分たち自身の生活なんていうのは、全く否定的なものとして、自分たち自身にもイメージされるわけですね。そういう状況におかれたとしますと、我々がエスキモーを思い浮かべて、犬ぞりに乗って、弓矢を引いているエスキモーの絵を描いたとしますと、それは当然、怒りの対象になってくる。「昔はどうか知らんけど、今はこんな格好はしとらへんぞ。スノーモービルに乗って、ライフル撃っとるんや」という怒り方が出てきて不思議ではありません。

ですから、ステレオ・タイプといった場合、ある民族からある特定のイメージを思い起こすということ自体が、悪いわけではなく、それにどういう価値づけを行っているかということが、問題にされなきゃいけないわけです。黒人の絵が決まりきったパターンである。唇が分厚くて、色が真っ黒で、目が大きいというのがけしからんのではなくて、それにマイナスの価値づけがされているということが、問題だと思います。かつ、黒人がそういうものをマイナスとして受け入れていることも、克服の対象とされなければなりません。ブラック・ピープルという呼ばれ方をされるのがいやな間は、黒人はどういうふうに描かれても、やっぱり、黒人にとって、いやな描かれ方だろうと思います 》

【 被差別者の被差別感情 】

《 自分が何か不快だというふうに思った時に、「不快だからけしからん」とは結論づけられないということです。例えば、「エタ」という字を全部消してしまいたいというような感情に襲われているとしたら、その人自身の中に、克服すべき課題が山積みしているということを指摘できると思います。「エタ」という言葉が嫌いで、それに墨でも塗りたいと思っている部落出身者がいたとします。その友人は、この部落民に対してどういうことを言うべきか。一緒に本から文字を消すのを手伝ってあげるのが、本当の友人であるのか。あるいは、彼の、彼女の話をよく聞いて、言うべきことは言うのが、本当の友人であるかは、よく考える必要があることです。

繰り返しになりますが、「差別語問題」を考えるとき、言葉はでなく、言葉に含まれている差別的内容のみを問題にするべきであるというのが、ぼくの考えです。言葉だけを切り取って論じるということは不毛であって、その言葉をはさんでいる人間関係を検討し論じるべきと思います。これは「言うは易し、行うは難し」ですけれども、そう問題をたてるべきなんです 》

 

ちびくろサンボ』も、発表当初から1960年代までは黒人のイメージを良くする良書として扱われていました。1930年代後半から1940年代に、黒人のステレオタイプ化された描写に対する抗議が起こりますが、この時期のサンボは他の否定的な書籍と比較して「幸福な黒人」を描いた良書・推薦図書として扱われています。しかし、次第に『ちびくろサンボ』は問題のある図書として取り扱われるようになります。

 その批判の一つが、

 ジェシ・バーサ《 もし、この種の話が黒人と白人の両方がいるお話の時間や教室で読まれることがあれば、黒人の生徒たちにいやな思いをさせ、さらには劣等感までいだかせるようにようになる。なぜなら、白人のクラスメートが黒人の友人を見てニヤニヤし、サンボと呼んでいじめるからだ。ある本がどんなに面白かろうと、一部の人々の気持ちを踏みにじってまで、その本を楽しむ権利は誰にもないのである 》という、「この作品で ( 教室・学校内の ) 差別がつつき出されるのではないか」という批判。

 これは、筒井康隆先生の短編『無人警察』が “ 日本てんかん協会 ” に、作中に出てくる「てんかん」という言葉の扱われ方が差別を助長するとして抗議された事件 ( 1993年 ) と似ています。後に、“ 筒井康隆断筆宣言 ” にまで発展した差別表現への抗議事件ですが、これも、筒井先生に差別的な意図があって「てんかん」という脳疾患の名称が作中で使用されたとは思えません。

 この抗議事件の発端は「高校教科書に掲載された」ことで「隠されていた差別がつつき出される」ことが問題の一つとされた点など、『ちびくろサンボ』への抗議・批判と類似していると思います。つまり、その小説が授業で使用された時に、クラスに「てんかん」患者の生徒がいたらどう思うか? が問題とされたのです。

 これは、上記のエスキモーの例のように「言葉」が問題なのではなく、

《 ステレオ・タイプといった場合、ある民族からある特定のイメージを思い起こすということ自体が、悪いわけではなく、それにどういう価値づけを行っているかということが、問題にされなきゃいけないわけです 》と、灘本氏が語ったように、「サンボ」も「てんかん」も言葉や作品を問題として、それらを消して行けば良い、ものではなく、その言葉を使っている人が「どの様な価値づけを行って、どのような場面で使用しているか」が問われなくてはいけないのだと思います。

 クラスメイトをからかうために、「サンボ」「てんかん」などの言葉に差別的な意味を含ませて使用している人に問題があるのであって、問題とされる言葉や表現を作品から消しても、その様な人たちは新しいスラングを考え出して隠れてハラスメントを行うでしょうし、根本的な解決にはなりません。これは “ 性表現 ” にもいえることで、性的な漫画や創作物が悪いわけではなく、ハラスメントをする人の心の問題だと思います。

 また『蘭学事始』の現代文でも、差別的とされた言葉・文字が消去されています。杉田玄白たちが「骨が原」の「青茶婆」の腑分けを見学、穢多の老人が数々の腑分けを行い人体の構造を熟知・精通していることに驚愕し、医学者として恥じ入っている場面で「穢多」「老屠」などの言葉は「丈夫な老人」「こういう人たち」に変更されています。( 岩波書店から1984年に『蘭学事始・現代文』が発行されているので、時代背景を考えると腰が引けてしまった理由も分かるのですが※ )「穢多」という言葉は差別的な言葉で現在では殆ど目にすることもありませんが、このような「歴史」まで遡って改変してはアカンのではなかろうか( 小並感 ) と思います。

 結局、過激な抗議活動は、表現者・創作活動だけでなく、様々な問題の検証・議論も畏縮させて、被差別者の方たちにも益の無いことなのではないかと思います。

 

※灘本氏は「黒人差別をなくす会」の抗議を受けて『ちびくろサンボ』などの出版物・キャラクターが一斉に消えた理由を「部落解放運動がやっていた差別表現告発の運動のピークが、ちょうどこの時期だったんです。国会議員もやっていた小龍龍邦さんが、1985年ごろから10年近く、部落解放同盟の書記長をやっていて、差別表現の摘発路線を最も過激にやった時代なのです。その結果『もの言えば唇寒し』といった雰囲気が、ぱぁっと広がった」と、語っており、1980年代半ば、創作物への差別表現抗議が多岐に渡って、厳しく行われていたことが、『解体新書・現代文』などの歴史的な著作物からも「穢多」などの言葉が消された原因のひとつではないか? と思います。

 

 最後に、これはLGBT差別の問題ですが、

【 封印漫画大全 著:坂茂樹 発行:三才ブックス 】で、紹介されていた『オカマ白書』というオカマをネタにしたギャグ漫画への抗議事件。

 1991年に同性愛者に対する偏見が描かれているとして小学館に “ 動くゲイとレズビアンの会 ” から抗議があり、3巻の発売が白紙となりますが、復刊に向けて小学館は協議を続け、同団体は指摘した箇所を削除しても、絶版にしても根本的な解決にはならないとして、判断を出版社に委ね、同書は1997年に復刊。この様に差別表現を当事者間で協議を重ね、安易に謝罪・絶版としなかった例もあります。

 

 私見ではありますが、今後も、抗議 ⇒ 謝罪 ⇒ 削除 ( 絶版 ) の流れを続けていたら出版業界が畏縮して、創作物から性的マイノリティといわれる人たちの姿やLGBT問題が消えてしまう。しかし、性的マイノリティへの理解が深まったわけでも、社会からLGBT問題が無くなったわけでもなく、ただ、クレーム・抗議が来ないように消しただけで、その結果、議論の余地すらなくなることの不毛さに “ 動くゲイとレズビアンの会 ” が気づいて下さったのではないかと思います。

 創作物の差別表現問題は性差別・LGBT問題と裾野は広がり、今後も無くならない問題ですが、《 わけのわからぬまま、読者の前から突然作品が姿を消す。それはもっともよくないやり方であるにちがいないからだ 》と竹内オサム氏が語ったように、安易に作品を消すのではなく、真摯に議論を重ねて、経験と知識を積み重ねていくことが、今後も大切だと思います。

 

 

 今年のオリンピックで民族衣装で入場された選手がいらっしゃいました。「腰ミノ」「黒い肌」で上半身裸のステレオタイプが悪いと消すのではなく、誇らしく胸を張って民族衣装を着ることが出来るようにする事が素敵なんだと思います( 小並感 ) 。

 

 

ジャングル大帝、黒人差別抗議事件・④

【『ジャングル大帝』は黒人差別だったのか?】

 この一連の「黒人差別表現抗議事件」当時に、

【 がちゃぼい一代記 】※の一場面を取り上げ、手塚氏も黒人に対する差別意識を持っていた、と手塚プロダクションに抗議する人もいたそうですが、【 誌外戦 】で松谷氏が《 あのマンガは、黒人からの抗議をかわすために黒人をスマートに描くといった、アメリカのテレビ局の皮相な対応を手塚治虫の貪欲な漫画家精神が風刺的にマンガ化したもので、そんなことでは差別問題の解決にはならないよと言っているようにも受けとれます 》と語った様に、本質的な議論・対話による問題の解決ではなく、“黒人を美しく描く”ことで抗議の矛先を逸らそうとしたアメリカのテレビ局への皮肉の様にも受け取れます。

 手塚作品の根底に流れるテーマを考えれば、手塚先生が意識的に、差別表現を描いていた、とは思えず、逆に本間氏が語っていた様に手塚作品には「弱者に寄り添う視点」が感じられると思います。

…が、これも、その作品を読む人によって感想は変化するので、「これがこう」とは言い切れず ( なんとも歯切れの悪いことなのですが、) そんなアレコレも含めて、本事件は手塚先生が亡くなられてからの抗議事件であり、手塚プロダクションも対応に苦慮されていた様子が伺えます。

※ ( 1960年代、手塚先生がアメリカのテレビ局に「ジャングル大帝」を紹介した際に、「なにしろいまアメリカ国内は、黒人問題がうるさくってねぇ」「黒人はスマートな美男子に白人はみにくい悪人にかいてください」といわれ、手塚先生本人が「さまにならねえなァ」と言っている場面 )

 

 この時期はマンガの黒人描写への抗議以外にも、性表現も含めて ( 差別的と見做された ) 多くの創作物が抗議の対象となりました。黒人描写への抗議は、手塚作品だけで無く、「週刊少年ジャンプ」の『こちら亀有公園前派出所』『ドクタースランプ』『ついでにとんちんかん』『燃えるお兄さん』、藤原カムイ氏の『チョコレートパニック』、石ノ森先生の『サイボーグ009』、黒人ボクサーが描かれた『はじめの一歩』など、多くのマンガが抗議を受けており、藤子先生の『オバケのQ太郎』も「国際オバケ連合・人食いオバケ」で “ 黒人差別をなくす会 ” から抗議を受けて20年以上絶版になっています。

 有名な作品は衆目を集めるので、後に経緯が記事に纏められたり、ファンが復刊に向けて活動したり、と「タイトル」は残りますが、ひっそり削除されて誰にも知られることなく消えていった作品も多くあります。また、有名作家の作品でも単行本に未収録で、読者の記憶から消えていった作品も多く、手塚先生の作品でも身体欠損表現がある作品、精神疾患を取り扱った作品、在日外国人などマイノリティーな人々を扱った作品、と多くの作品が ( 手塚プロダクションが先生の御意志を尊重しての事と思いますが ) 未収録です。

 ファンとしては残念な限りですが、先生の御意志では仕方がないのでしょう…… と、思うのですが、改めてこの時代にそれらの作品に光を当てて検証して頂きたい。とも、思うのです。

 

 

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 本棚をゴソゴソしていたら出荷端境期の本が偶然『ジャングル大帝』でした。

 出荷再開当時に印刷が間に合わなかったものは、このような折り込みチラシのかたちで「読者の皆様へ」が封入されていました。

ジャングル大帝、黒人差別抗議事件・③

 こうして、一年間出荷停止となっていた講談社の『手塚治虫漫画全集』も “ 読者の皆様へ ” と解説文をつけて、1992年3月から出荷再開となり、他の出版社もその流れに追随する形で解説文・注釈をつけて出荷を再開した。多くの手塚漫画が絶版になる危機は回避されたが、しかし、黒人差別表現問題が根本的に解決した訳では無く、“ 黒人差別をなくす会 ” からは「認められない、解説文をつければそれでよいと思っておられるのか」と、この対応への抗議が届いた。また “ 日本アフロアメリカン友好協会 ” のジョン・G・ラッセル氏は【 日本人の黒人観-問題はちびくろサンボだけではない ( 1991年:新評論 ) 】の中で、この解説文を《 問題なのは、この注釈も、作品の中に表れている差別の存在を認識しているというよりも、むしろ、それを軽視、否定する方向に走っているということだ。つまり、手塚作品を弁解するその注釈を読んでも、彼が描いた当時の外国人」( 外国を舞台にした作品の場合、登場している原住民を「外国人」と呼ぶのも変だが ) のその姿は彼らの過去の正体であり、単にその「未開発国」の状態から現在の黒人その他の「外国人」の姿に変化してきただけである、という理屈で問題を片づけようとしているにすぎない 》と批判した。

 これらの抗議への反論としては “ マンガ記号論 ” が挙げられる。つまり、ステレオタイプにデフォルメされた黒人像は差別的な意図があってそのように描写されているのでは無く、マンガの中で記号的に表現されているのだ。という主張であり、講談社手塚治虫漫画全集の解説文もそれに依る部分がある。手塚治虫氏自身が自画像で自分の鼻をことさら大きく描いたように、対象の特徴を強調してデフォルメすることは漫画の基本的な表現技法であり、それが差別的であるということになれば似顔絵も描けないのではないか? というものである。

 この主張に対する反論は前述のジョン・G・ラッセル氏が、

《「週刊朝日」などに出る似顔絵は、あくまでも、ある実在している人物 ( 芸能人、作家、政治家など ) がもつ個人的な身体的特徴を誇張して描いたものである。つまり、その人の個性を特徴としているのである。しかし、ステレオタイプ化された人種的な描写は、個人の特徴を誇張するどころか、むしろ、ある固定化された形で、ある人種・民族に属している人々を描き、彼らの個性をなくし、消すものである ( ステレオタイプの基本は、「みんな同じように見える」ということからはじまり、自分と違うグループに所属している人間の個性、多様性を否定することにある ) 。黒人ならば、分厚い唇、ギョロ目などというふうに描かなければ、固定化された「黒人」のイメージに見えない、そのように描いてこそ「黒人らしい」ではないか、という定着のさせ方である 》

と述べている。

 また、大塚英志氏も【 創・1992年10月号 】で、

《 コミックは対象を「記号」として図形的に表現する、だから黒人の唇は厚くなってしまうが、これはいた仕方ないことだ。手塚の表現をマンガ界がそう弁明することは、実は手塚は ( そして戦後のコミックは ) 対象を「記号」として、はなから「デフォルメ」としてとらえることを前提とし、対象そのものを直接的にとらえようという努力をしてこなかった、とそのまんが表現の救い難い限界を告白しているに等しいのだ。誤解のないようにいっておくが、それが手塚の絵が、そして戦後まんがの絵が写実的かどうかというレベルの議論をしているのではない。手塚まんがが黒人の唇をぶあつく記号化した時、それが本当に「デフォルメ」であればぼくは問題がやや異なっていたように思う。

 黒人の唇をそう表現するのは手塚治虫の創意ではなく、あくまでもそれ以前に存在した定型的描写の踏襲に他ならない。手塚に先行する何人かの描き手が、対象を自らの感覚でデフォルメすることによって、記号的な絵を創造的に描いていたのに対し、手塚は「対象」をまんが的表現にデフォルメ=変換する技術について十全ではなく、デフォルメされた絵をあくまでも形式として模倣し反復していった側面が強い。

 手塚によって提出された戦後まんがは表現としては極めて明快な限界を持った形式であり、しかしその限界はまさに「まんがだから」と許容されることで当のまんが自身にとって問題としてつきつけられることなく、ここに至っている。表現としての未熟さ、杜撰さが放置されたまま肥大し、しかも描き手も読者も無垢なままにその内部にとどまり、批評を排除することでその未熟さと限界を守り続けてきた。

 なるほどコミックが、ブームといわれながらも、結局は、子供文化として、メインカルチャーに対するサブカルチャーとして、限られた世界にあるうちはそれでもよかったのかもしれない。しかし80年代の消費社会でコミックの量的な肥大は限界値に達し、しかもメインカルチャーそのものが崩壊し見えなくなるという事情もあいまって、当のまんが界は「まんが」という閉鎖的な表現空間にとどまっているつもりであっても、否応なく、まんがは社会的存在になっていくという環境の大きな変化があった。その時、閉鎖的表現空間では問題にされなかった「黒人の唇」もある種の性的表現も、外の視線から見たときには「問題」となっていく。ぼくは手塚作品に対する「黒人」差別という批判やフェミニストたちからの「性差別」批判そのものの水準が冷静に見て批判というよりは言いがかりに近いという認識を持つ。持つがしかし、その水準の低い批判に抗せるほどにまんが表現とそれに対するまんが界内部の水準が高いとも思えないのだ 》

と語っている。

 そして、竹内オサム氏は【 戦後マンガ50年史 】で、この一連の抗議事件に対して、この様に結んでいる。

《 マンガ表現は、誇張と変形がその本領であるので、何が「差別」で何が他の絵と区別するための「変形」であるのか、その点が問われている。特に戦後の日本のマンガは、コマーシャリズムに深く根を下ろし、「風刺性」よりも「可笑生」に重きをおいてきたので、対象をおもしろおかしく変形する身振りが、無意識に身についてしまっている。七〇年代後半のマンガにおけるパロディ・ブームが、社会風刺に結びつかずに遊戯性におちいったのも、こうした体質のせいであった。その点が、今回のような事件を生むベースになっているわけだ。日々使用される言葉の背後に歴史的な差別意識がはりついているように、デフォルメされた絵にも歴史的な差別意識が潜在している。それが、ひとつの型となっている場合は確かにそうだろう、手塚マンガのある部分も、そうした類型を抜け出ているとは言いがたい。だからといって、作品そのものが全否定されることには、当然なりえない。『ちびくろサンボ』事件のあとであっただけに、関係者も相当神経を使ったものと思われるが、全集などにコメントをつけて出版することになった経過は、それはそれで評価されるべきものだと、ぼくなどは思う。わけのわからぬまま、読者の前から突然作品が姿を消す。それはもっともよくないやり方であるにちがいないからだ 》

 

 

 残念ながら、30年の時を経ても、差別表現も性表現も当時より議論が深まっているとは言い難い状況が現在も続いている。

 1970年代以降、人権運動の活発化とともに黒人描写だけではなく、多くの差別的とみられる表現がクレームを受けて規制の対象となり消えていった。マスコミも出版業界も議論を深めて建設的に知識を積み上げる事よりも、個々の批判への対応に汲々とし、クレームにつながりそうな表現を先手を打って消す事ばかりに腐心している様に見える。クレームが無ければそれで良い「事勿れ主義」の風潮は今後も継続していくのだろうか?

『どろろ』は妖怪マンガか? 【 妖怪の理、妖怪の檻 】

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【 妖怪の理、妖怪の檻・京極夏彦著 角川書店、2007 】

― 本当はみんな知っている。“ 妖 怪 ” とはなんなのか。

《 知っているようで、何だかよくわからない存在、妖怪。それはいつ、どうやってこの世に現れたのだろう。妖怪について深く愉しく考察し、ついに辿り着いた答えとは。全ての妖怪好きに贈る、画期的妖怪解体新書 》

 私たちが普段何気無く使っている “ 妖怪 ” という言葉の成立・概念について、博覧強記な著者・京極夏彦氏が、学術・伝承・美術・マンガなどサブカルチャーから民俗学鳥山石燕、井上圓了、江馬務、藤澤衛彦、柳田國男水木しげる好美のぼる、大伴昌司と、多彩に引用し “ 妖怪 ” という不確実で不定形なモノを縦横無尽に解き明かす “ 妖怪 ” 好きにはおすすめの一冊です。

  本書の構成は、

・妖怪という言葉について

 妖怪という言葉の歴史的変遷

・妖怪のなりたちについて

 現代の妖怪概念はどのように形成されたのか?

・妖怪のかたちについて

 特に、現代における “ 妖怪のかたち ” デザイン・キャラクター化に水木しげる氏の果たした役割は大きく、その影響と功績について詳細に語られている部分は “ 妖怪好き ” 必読。書肆一覧と妖怪年表も詳細で、文庫化され入手しやすくなっているので興味の有る方は是非、

 

【 妖怪の理、妖怪の檻・P250 】

《 漫画の神様とまで謂われる手塚治虫にも「どろろ」( 1967 - 1968 )という傑作漫画があります。『どろろ』にも “ 妖怪 ” はたくさん登場します。さすがは手塚治虫、江戸の化け物絵などから材を採り、オリジナルながらも本物の “ 妖怪 ” を装った、いかにもなフォルムのキャラクターが登場しています。

 ただ、それでも『どろろ』はどこか “ 妖怪 ” 漫画らしくない佇まいなのは、やはり作者である手塚の顔が透けてしまうこと―― テーマ性、ドラマ性が前面に押し出されていること―― 手塚作品として完結してしまっていることに由来するのでしょう。『どろろ』は手塚作品としては申し分のないでき栄えではあるのです。しかし、作者である手塚治虫は現代人です。登場する “ 妖怪 ” が、その手塚の作家性を色濃く感じさせる「手塚キャラ」であった場合、それはどうしたって前近代的ではあり得ない、ということになります。

 また、隙のない物語性は、時に作品から通俗性を剥奪してしまう場合があるのです。

 

C・妖怪は「通俗的」である。

という条件を満たすうえで、『どろろ』の物語は上手くでき過ぎているわけです。

 崇高なテーマや高尚な芸術性、カッコ良さといったものは、あまり “ 妖怪 ” と相性の良くないもののようです。水木作品の場合は「そうしたものを感じさせないようにする」という逆向きの計算が―― 作品を外に開く周到な配慮が―― なされているわけです。さらに、『どろろ』の場合、作品の舞台が戦国時代だということも考慮するべき事柄なのかもしれません。その時代に “ 妖怪 ” はいません。時代設定は戦国、デザインは江戸、概念は近代という取り合わせは、やはりちぐはぐな印象をもたらします。精密な設計で成り立っている手塚漫画において、読者は通俗的 “ 妖怪 ” 概念を排除せざるを得なくなるのです。

 また、戦国時代を舞台にしたせいで、

 

B・妖怪は「民俗学」と関りがある。

という条件も満たされにくくなってしまいます。

 歴史学ならともかく、民俗学は戦国時代を直接的には扱いません。加えて、いうまでもなく古過ぎる時代設定はノスタルジーを抱かせるのに相応しいものではないのです 》

 

 

どろろ』は中世日本を舞台とした妖怪マンガ、だというのが、一般的な認識だと思うのですが、京極夏彦氏が語っているように、「どこか “ 妖怪 ” 漫画らしくない佇まい」だと感じた読者も、私の様に少なからず存在したのではないかと思います。

 

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【 アニメーションに挑戦した「どろろ」 豊田有恒

どろろ」はすぐれた伝奇文学である。

《 伝奇文学という点では、「どろろ」は、もっとも早く発表されている ( 昭和四十二年、少年サンデー誌上 ) 。小説のほうでは、伝奇SFが、SFのひとつのジャンルとして定着してくるのは、半村良の「石の血脈」が発表されてからであり、「どろろ」からは数年おくれている。

 小説とマンガが並行して存在し、相互に情報交換があるところが、SF界の特徴であるが、「どろろ」が現れた時点では、日本の伝奇SFは、まだ、その芽生えもなかった。国枝史郎など一時代まえの作家が、ゴシック・ロマン風に書いた伝奇小説と、現在、半村良、荒巻雅夫、山田正紀、などの作家が、SFマインドで書いている伝奇SFとは、あきらかに断絶がある。伝奇文学を系統づけるためには、小説のメディアばかりを追っていては、この断絶の説明がつかない。「どろろ」は、あきらかにこの両者の間に位置づけられるものである。奔放なイマジネーションに支えられた手塚マンガは、ここでひとつの転換点を迎えたのかもしれない 》

 

  秋田文庫『どろろ』のあとがきでSF作家・豊田有恒先生が指摘している様に「伝奇SFマンガ」という性質も『どろろ』にはあり、和製サイボーグ・ミュータントとして描かれた “ 百鬼丸 ” をはじめとする、その「伝奇 ( 時代劇 ) SF」のテイストが物語の大きな土台の一つになっていて、これが「妖怪マンガらしく無く」見える要因の一つだと思います。手塚マンガの「転換点」であり、実験的な作品としての側面も強かった『どろろ』は、妖怪 “ 鵺 ” のようにいろんなテーマや要素を内包して、切り口・視点の変化で、千変万化の色彩を魅せる感興尽きぬ作品であり、それらが、ほぼ破綻なく、ひとつの “ 成長物語 ” として成立しているところに手塚先生の非凡な力量が表れていると思います。

 

 

ーなので、リメイク時に視点を絞ろうとすると “ ズレ ” が生じ違和感の原因になってしまうのも、止むを得ないんですね。アイデアやテーマの流用が、むしろ違和感なく『どろろ』らしさを感じられるのはその様なコトなのか、と改めて合点してみたり、

ジャングル大帝、黒人差別抗議事件・②

封印作品の闇 -悲しい熱帯・ジャングル黒べえー 著者:安藤健二 】で、当時「黒人差別をなくす会」の抗議を受けて、講談社手塚プロダクションが、どのような対応をしていたのか? 詳細に語られていたのでご紹介します。

 

《 元講談社法務部長・西尾秀和氏※ インタビュー 》

( ※なくす会の抗議を受けて出荷停止になっていた『手塚治虫漫画全集』を、解説文をつけて再出荷決定した当時の担当者。映倫の「青少年映画審議会」委員。『差別表現の検証:講談社』著者 )

《 手塚作品に抗議を受けた当初は、有田さんのバックに部落解放同盟がついているんじゃないかという錯覚を持っていたことは確かです。『ここで逆らったり、喧嘩をしたりすれば部落解放同盟がストレートに出てきて収拾がつかなくなるんじゃないか』と思っていました。それは講談社に限らず、どこの出版社もそうだったと思います。『週刊文春』に “ 親子三人でやっている ” という記事が出る前くらいまでは、何者かわからなかったですよ。( 部落解放運動が盛んな ) 関西で反差別運動をやってるんだから、解放同盟と無関係なわけはないだろう、と思っていました 》

 1991年4月、部落解放同盟書記の坂本信義氏が立ち合い人となり、部落解放同盟大阪本部、会議室で講談社と有田氏の三時間の話し合いを行うが、議論は平行線のまま物別れに、

《 当事者同士だと客観性を欠くから、解放同盟に立会人になってほしいと頼んだんです。解放同盟は話を聞いてるだけで、あくまでも有田さんとのやり取りでした。ただ私たちが最初に考えていたこととは逆に、解放同盟のほうは有田さんを遠ざけていました。反差別運動をやるんだったら自分たちと一緒に組めばいいのに単独ではね上がってやっている人、みたいな印象を持っていたようです。解放同盟は一切バックアップしていなかったんです。ただ、それは有田さんと会ったり、僕らがいろいろ調べていってわかったことです。抗議があった当時はそうしたことがわからないから、出版界全体に『「なくす会」は解放同盟とつながってるんじゃないか』という錯覚がありました。各社の自主回収には、そうした錯覚がかなり影響していますよ。ただ、それは出版社の自主的な判断です。有田さん自身は解放同盟がバックにいるとかいうことは全然におわせていない。僕らが勝手に、人権運動団体ということで、そういう憶測をしてしまったということです 》

  出版界は海外からのパッシング、1970年代~80年代の部落解放同盟の激しい糾弾運動の影に脅え、対策を急いだというのが実情の様で、1988年に各社が『ちびくろサンボ』を絶版にした時期に講談社も絶版を決定している。

《 まだ法務部長になったばかりで、右も左もわからなかった。それで抗議文が来た。小学館など各社が回収絶版するというのを聞いて、『うちだけ頑張れないだろう、右にならえせざるをえない』ということで、恥ずかしながら絶版回収にしました。正直にいうと、僕の中でも『議論しなきゃダメだ』って認識がまだなかった。ただ、今から思えば、明らかに過剰な反応でしたね。そのときの反省で、手塚治虫作品に抗議を受けたときに『あれを繰り返しちゃいけない』と思ったんです 》

 このとき、手塚作品を絶版にするか否かで講談社内では激しいやり取りがあった。

《 議論もしないで闇雲に回収するのはまずい、と。なんとか出す方法がないかと社内で話し合いました。今だから言うけど、講談社の役員は『回収するしかないだろう』って言ったんです。それで僕は『ちょっと待ってください。回収するのは簡単だけど、手塚治虫みたいに日本を代表する漫画家の作品をそう簡単に回収絶版にしていいんですか。もうちょっと出す方法をかんがえましょうよ』という言い方で粘って……。 結論的には注釈をつける方法で出すことになりました。注釈文の素案を僕が作って、それを手塚プロ社長の松谷孝征さんにチェックしてもらいました。それで出したら各社とも同じような文章を載せるようになった。うちのがもとになったんです 》《 もし役員の『回収するしかないだろう』って言葉に従っていれば、今ごろ各社の手塚作品は消えてましたよ。それは大げさな話じゃなくてね。『ちびくろサンボ』が一斉に絶版なったのと同じだよ。それと同じ倫理がはたらくと思いますよ 》

 多くの手塚作品が絶版となる危機を迎えていた。

 

 

 1960年代~70年代の学生運動安保闘争の盛り上がりを経て、大衆の異議申し立て運動は活発化していたが、日大紛争・東大安田講堂事件後に「日米安全保障条約」の延長が自動承認され、これらの運動は失速していく。そして1970年代後半、この動きは人権問題・差別反対を推進力とした、より大きなムーブメントに移行していく事となる。
 また、経済的な復興、人権意識の高まりとともに、貧困問題・前時代的な差別も改善が見られるようになってきた時期であったが、やはり1970年代は現在より人権意識が希薄で、様々な差別が今より明確に感じられる時代でもあった。

 その様な矛盾を抱えた時代変化の中、1980年代以降はメディア上の差別表現問題が急速に浮上してきた時期であった。「差別表現がある」とされる作品を槍玉に挙げるのは解かり易く、世間の衆目を集め、大手新聞誌や週刊誌も取り上げてくれるキャッチーな問題であったのだろう。また、マンガが常に悪書と白眼視された「叩きやすい」出版物であったのも大きく関係していそうだ。