『どろろ』を巡る冒険或いは私的備忘録

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どろろのあゆみ【10】表現規制とオタクバッシング

 1988 ~ 89年に起きた「連続幼女誘拐殺人事件」犯人逮捕により、一連の報道は過熱。マスコミは特異な事件として連日報道、マンガ・アニメなどのメディアが犯罪の誘因と視聴者に印象を与えかねないフレームアップも有って、その影響は今も続いています。

 この事件直前には、最高裁が青少年条例により有害と指定された「図書」の販売規制を合憲と判決。そして1980年代末までに長野県を除く全都道府県で青少年条例が制定されるなど、創作物を取り巻く環境が厳しくなっている中、事件の発生を受けて、1990年の和歌山県住民運動を発端とする “ 有害コミック規制運動 ” の動きは大阪にも波及。この時期より“青少年に有害なコンテンツ”の追放運動は全国で急速に進み、有害と指定された創作物の表現・販売規制は強化されていきます。

 この様に「有害図書」と見做された創作物の表現規制・排斥の動きが多方面に及んでいた時期、
 1991年、男性向け同人誌を委託販売していた都内の書店 ( コミック高岡・漫画の森:新宿店・書泉ブックマート ) の店長及び書店員が「わいせつ図画販売目的所持」で警察の取り締まりの対象となり、また美少女系同人サークルも摘発を受けました。この他にも印刷業者を含む総計75名が逮捕または書類送検される事件となり、同人界のみならず出版業界にも大きな影響がでました。
 これら一連の流れの中、「コミケ幕張メッセ追放事件」勃発
 幕張メッセを管轄する千葉西警察署に届けられた拾得物に無修正同人誌が含まれていた事態を重く見て、同警察署は「コミックマーケット準備会」と「幕張メッセ」に事情聴取を行いました。
 この事情聴取を受けて、既に準備会によるコミケの開催告知、サークル申し込みは済んでいた状況でしたが、幕張メッセは使用拒否を準備会に通告。
 コミックマーケット史上最大と言われる開催危機が訪れます。
 これを受けて「コミックマーケット準備会」は「晴海東京国際見本市会場」に会場使用を依頼、見本誌のチェック・印刷会社への協力依頼を含む充分な対策を取ることで1991年8月の『コミックマーケット40』は予定通り開催されましたが、その後も「コミックシティ中止事件」など、同人界への余波は続きました。

 また1991年に目を向けると、
 出倫協が “ 成年コミック ” マークの制定、「コミック特別委員会」を設置。
 自民党有志議員がポルノコミック対策議連を結成、法規制を示唆。
 これらの動きを受けて、出版大手三社が指定コミックスを出荷停止、絶版、回収。
 と、この時期から漫画を含む創作物の規制はさらに厳しくなって行きます。
 

 そして翌年の1992年、これらの動きに反発して有志の編集者・有名漫画家が「コミック表現の自由を守る会」を結成。
 出版社もコミック誌を中心に、法規制反対を訴える「コミック表現の自由を守る会」の意見広告を掲載するなどの運動を展開。この広告掲載は大手出版社十数社、四十誌以上が参加する大きな運動となりました。
 この「コミック表現の自由を守る会」の活動により、表現規制を容認した報道を行っていたマスコミも表現規制に慎重、あるいは批判的な立場をとるメディアが出てくるなど、動きに変化が見られました。

 しかし、1992年3月26日「コミック表現の自由を守る会」世話人のひとりである山本直樹氏のコミックス『Blue・光文社』が、東京都の「不健全図書」として告示。守る会の世話人を狙ったかの様な指定に波紋は広がり、光文社労組は廃棄などの自粛を批判し、会社を追求する事態となりました。
 また、政府は事業税の見直しの中で “ 文化的出版物 ” と “ 非文化的出版物 ” を選別し、非課税対象と課税対象の書籍を線引きしたいと書籍協会に提案します。出版社への事業税減免撤廃の経過措置延長と引き換えに出版業界に「さらなる自主規制」を要求する。政府の出版業界への圧力と取られ兼ねない、いえ、圧力であったと思います。

 この様に業界へ表現自粛を求める動きは継続し、
 そして、1999年5月に「児童ポルノ禁止法成立」が国会で可決。同年11月1日施行となります。
児童ポルノ禁止法」は、児童を性的搾取・虐待から守り、児童の権利を保護することを目的とする法律でしたが、出版業界・オタク界では、絵画・コミック・アニメ・ゲームなどの創作物も取り締まりの対象となるとの情報が流れ、市場にも混乱は広がります。当ブログの【 どろろに影響を受けた作品・ベルセルク 】でも少し触れましたが、大手書店の中には法律施行後、問題があると思われるコミックスを店頭から排除し、「児童ポルノ法が施行されました。当店は法律を尊守します」との内容を店内に掲示するなど、過剰な自粛が見られました。その後、混乱は徐々に落ち着きますが、表現規制表現の自由を巡る問題は、今も続いています。

 以下、自主規制の事例を少し、

覚悟のススメ』 山口貴由:著
週間少年チャンピオン 1994年:13号 ~ 1996年:18号まで連載 
覚悟のススメ』の登場人物が「4鬼!」と言いながら手で数字の4を示す仕草が「差別表現 ( 四 つ ) に見える」として編集部から作者に確認が入り、編集部が関係機関に相談し「問題なし」との回答を得たにも関わらず、最終的に修正されました。
ゴーマニズム宣言』内で小林よしのり先生が取り上げたこともあり、表現の自主規制として有名な事例。

『BLEACH -ブリーチ-』久保帯人:著
 週間少年ジャンプ2001 ~ 2016年の38号まで連載 
 アニメ・2004年10月 ~ 2012年3月まで放映
「志波空鶴」という、コミック原作では右腕の肩より下がないキャラクターが、アニメ放映時には義手を装着して登場。身体表現に配慮した為と思われます。

 この時期、特に槍玉に挙がっていた性的表現以外にも、部落差別問題に関連した表現、身体障がい ( 欠 損 ) 表現と多岐に渡って業界の表現自粛が行われていた形跡が伺えます。
 ネーム段階のチェックで修正される表面に出ない自主規制は以前からあったと思いますが、この時期以降さらに多くなったと思います。
( 私は、創作物の適切な配慮やゾーニングは大切だと考えていますが、過剰な規制で創作物に関わる業界全体が委縮してしまう事も、創作者の表現の自由が制約を受けることも問題だと考えています )

 さて、
 ここで話を『どろろ』に戻します。

 1980年代に入り、
 1984年にっかつビデオフィルムズから『どろろ』ビデオソフト発売。
 1987年以降の『魍魎戦記MADARA』シリーズのヒット、
 1988年JICC出版から『どろろゲームブック発売。
 1989年『どろろ』PC版ゲーム、発売。
 と、
どろろ』の再発見・リメイクが続いていた1980年代後半、
 この時期、サブカル誌に【 手塚治虫特集 】『どろろ』の記事が散見されるようになります。
( 1980年代後半はバブル景気もあり、多くのサブカル誌が創刊されていました。また、旧アニメ放映時からのファンや『どろろ』放映時に幼児であった視聴者の年齢がさらに上がっていた事も理由に有りそうです )
 この “ 再発見 ” の流れは継続するかに見えましたが、
 上記の様に、1989年「埼玉幼女誘拐殺人事件」以降、出版業界を含め創作物全体に自主規制が強く求められる様になります。

 私見ですが、この事件後の過剰ともいえる業界の「表現自粛」で『どろろ』の再発見・リメイクの動きは鈍化したのではないかと考えています。
 東映ビデオ『どろろ・3巻 どろろと百鬼丸・3巻、全6巻』2000年発売。
 これなどはもっと早く発売されても良かった映像商品だと思うのですが、1984年のにっかつビデオフィルムズ『どろろ・全2巻』ビデオソフト発売から16年以上の時間を経て販売されています。
(『どろろ』LDボックス、1998年1月25日発売・『どろろ』DVD Complete-BOX、2002年11月21発売 )
 また『どろろ』のPS2ゲームソフト化も、この事件が無ければ “ 再発見 ” の流れに乗って、もう少し早かったのではないか? と考えます。


 

 1950年、岡山県での「図書による青少年の保護育成に関する条例」制定を嚆矢とする「不良出版物絶滅運動」への流れは1980年代、90年代を経て今も続いており、創作者・創作物を愛する多くの人に関わっている問題です。
 2019年3月「表現の自由を守る会」の山田太郎議員が、組織の支援なくSNS・インターネット上を主戦場として活動を行い、目標を超える540,077票を得票し当選、支援を続けてきた赤松健氏 ( 漫画家・日本漫画家協会理事 ) は「オタクが票田になる可能性を示した」とコメントを寄せました。
 若いオタク層の票が山田太郎議員を国会に送り出せた意義は大きく、今も戦っておられる多くの創作者の方々、先人の努力に頭が下がります。
 そして、この流れは手塚先生が何時の時代もその先頭にいて、マンガの社会的な地位を上げようとしてくださった事と繋がっているのだと思います。
 

 機会があれば1950年代の「不良出版物絶滅運動」についても纏めたいと思っています。